十三話 世界一強くて、優しい子
十三話 世界一強くて、優しい子
「魔素を、集中……風を一点に集束……擬似操風魔術、風発!!」
数日が経過した。アンジェさんとのマンツーマン指導に加えて、身体の中に残っている感覚を押し上げることで得た合成魔術の力は、微かに顕現している。
擬似操風魔術、風発。操風魔術における初期も初期のもので、主な効力としては風を起こすことのみ。これ単体で戦うことは不可能とされる、練習用の魔術だ。
だが……
「全然ダメだな。もう一度だ」
「っ……はい!!」
僕はその基礎ですら、未だ掴めずにいた。
今アンジェさんから課されている課題は、この風発を使って机の上に置かれている蝋燭の火を消すこと。しかし僕の起こした風では少し火を揺らすくらいが限界で、消すなどまだまだ遠い目標になってしまっている。
「……よし。今日はそこまでだ」
「……」
こうして、三日目の魔術鍛錬は終了した。ふっ、と小さく息を吹きかけてアンジェさんが蝋燭の火を消すと、慰めるように肩を叩かれる。
「焦るな、ユウナ。いくら私の教えがあるとは言っても、初めて使う魔術は一朝一夕で出来るものではない。特に魔術そのものに触れるのが初めてのお前なら尚更、な」
頭では理解していても、どうしても焦ってしまう。何故なら先日、僕はアンジェさんとこの空間にいる″期限″の話をしたからだ。
この先、僕はここを出て学園に戻る。今のこの期間は学園側から見れば無断欠席なのだから、復学を考えるならいつまでも無限に時間があるとは思ってはいけないのだ。
その中で決められたタイムリミットは″三年″。外の世界の十分の一の速度で時間が進むここでの三年は、すなわち外での約三ヶ月弱を意味する。
ウルヴォグ騎士学園は実力主義だ。出席日数、普段の態度等々。平常点と呼ばれるものはほとんど存在せず、判断材料は日々の戦闘訓練の実績と春に行われる昇格判断試験がほぼ百。ただ学園として成り立っている以上それなりの出席はしないといけないという事で、休んでいい日数を一年のうちに四ヶ月までとしていた。
僕がここに来たのは外での十一月。年末年始の冬休みを入れての約三ヶ月弱の休学は、試験で点数を出せさえすれば簡単に許される行為だ。
でも……
(あと三年で、本当に僕は強くなれるのか……)
強くなるための方向性は見えていても、その道は果てしなく長い。アンジェさんが言うにはこの調子で行けば二年もあれば足りるとのことだが、不安は消えない。
「……はぁ。ったく、お前は張り詰めすぎだ。そんなことではそのうち身体を壊してしまうぞ」
「で、でも!」
「でもじゃない。私はお前を壊すために魔術を教えているのではないぞ。頑張るのは結構な事だが、休むのも立派な修行だ」
半ば無理やり気味に鍛錬は中止され、僕はアンジェさんに地下から連れ出される。
階段を上がって部屋のリビング空間へと戻ると、アンジェさんは椅子に座ってぐるんぐるんと右肩を回した。
「ふぅ。実はというと私もここ最近無理をし過ぎていてな。今日は二人でゆっくりしようじゃないか」
「無理? あ、もしかしてここを出るための研究を?」
「ああ。封印の構造はほとんど解明済みなのだが、肝心の破り方がな。この封印は時を重ねれば老朽化する類のものではないし、自分で破らなければならないのだが……」
八百年かけても見つからないその破り方を、師匠は今でも探し続けている。確かに昨日、夜中にふと目が覚めて水を飲みに行った時、師匠の部屋の電気はついたままだった。きっと毎日のように夜遅くまで研究を繰り返しているのだろう。
「買い被りすぎだ。それよりユウナよ、肩を揉んでくれないか? 最近コリが酷くてな」
「え? あ、はい……」
言われるがまま僕はアンジェさんの背後に周り、両肩にそっと手を触れる。
服越しでもじんわりと暖かい人肌。だけどコリは本当に酷くて、肩周りはカチカチだ。
「揉んでいきますね」
手のひら全体を使って、丁寧にほぐす。昔お母さんの肩をよく揉んでいたのを思い出して、それを真似るようにやってみた。
「お、おぉ……んぁ。っ、中々気持ち、いぃぞ……」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
すると思っていたよりも好評で、師匠は小さく身体を震わせながら段々と力を抜いていく。
(それにしても、改めて本当に綺麗な人だな……)
サラサラで長い紫髪はとても美しくて、顔も体型も僕が今まで見てきた人達の中で一番美人だと思う。だからずっと一人でいたせいなのか無防備な服装でいられると、中々に目のやり場に困る。
今だってそうだ。色っぽい変な声を上げながら双丘を揺らすアンジェさんの姿は、中々に刺激が強い。
「おぉい、ユウナぁ。思春期でお盛んな時期なのは分かるが、胸ばかりを見るのは良くないぞぉ。まあ愛しのクレハちゃんも大きかったし、好きなのは分かるがなぁ……」
「み、見てませんよ! っていうか、また勝手に心を読んでますね!?」
「ふふ、ふふふふふ。ツンデレめ。お前が心の中では私のことをベタ褒めしていることは知って……いで、いでででで!! おい、やめろ! 骨をゴリゴリはやめろぉ!!」
揶揄うのをやめない師匠を黙らせるため、僕は肩の骨と骨の間みたいなところをゴリゴリした。最強のアンジェさんでもこのゴリゴリは相当効いたらしく、さっきまで気持ちよさそうに蕩けていたのに今では少し涙目だ。
「全く……。そんなに怒ることないじゃないか。私は女の子だぞ? 男ならもっと丁寧に扱ってだな」
「師匠が変なことを言うからです」
力を入れて少しピリピリしている手のひらを振って、僕は向かいの椅子に座り直す。アンジェさんはマッサージが少し名残惜しそうだが、もうおしまい。
「悪かった、悪かったよ。ほら、これでも飲んで落ち着いてくれ」
そう言って渡されたコップにお茶が注がれていく。もはや当たり前のように浮いて運ばれてくるそれらに違和感はない。この人は大体のことは魔術を使って済ませてしまうから運動不足になってしまっているのだが、それを自覚しても絶対に運動はしたくないそうな。
「師匠、たまには運動もしなきゃですよ? せめてものを取りに行くのくらい、自分の脚でしないと」
「む、何を言うか。私は最適化をしているだけだよ。歩く必要がないのだから歩かない。それの何が悪いと言うんだ」
開き直ってしまった。まあ確かに動く必要はないし、師匠曰く体内の脂肪なども自由自在に操れるそうなので太る心配もないのだが。それでもこの数日間、自室とリビングの移動とトイレ、お風呂に行く時くらいしか動いていないのを見ていたのでどうしても心配になる。
「弟子に心配されるほど落ちぶれはしないさ。というより、心配しているのは師匠である私の方だ。特にお前の場合は不安になる要素が多いからな」
「そう、ですか?」
「そうだ。お前は頑張り過ぎるうえに一人で抱え込もうとする癖がある。しかも自分を過小評価してばかりで、自分で自分を褒めてやることが下手くそなんだ」
自分で自分を褒める、か。確かにそんなことほとんどしたことないような気がする。この数日間においても、一つできたと思ったら一つできないことが生まれて。初期魔術である「風発」すら、あとちょっとなのにというところで止まってしまっているのだから。
でも、そんなに一人で抱え込もうとしているだろうか。自分では全くそうは思えないのだけれど。
「だから、私がたくさん褒めてやる。そしてお前ができなくて悩んでいることは、師匠としてこの四年で必ずできるようにしてやるからな。お前が悩み続けている″欠陥″も、時間をかけてゆっくりと治していけばいい」
「……治り、ますかね」
「ああ。必ず、な」
僕が強くなるためにしなければいけないこと。それは単に魔術を扱えるようになることだけじゃない。何よりも一番大切なのが、″剣を握れない″という欠陥を治すことだ。
アンジェさんは言っていた。僕のこれは過去のトラウマが原因であり、治す手段は僕自身にしか分からないと。
剣を握れば、すぐにあの時の情景が蘇る。心の中では乗り越えようとしている決意も、実際に頭の中に映像を流し込まれるだけであっという間に崩壊した。日々の合同訓練で剣を握っては思い出し、握っては思い出しを繰り返した僕の身体はここに来てから、それを手に持つことすら拒絶している。
アンジェさんの言葉でこの先生き続けることを、強くなることを決めた。それでもまだ僕は……その決意が簡単に壊れてしまうのではないかと、怖くて仕方がない。本当に弱い人間だ。
「……おい、また悪い癖が出ているぞ。全く、ちょっとこっちへ来い」
「え?」
「いいから。早く」
呼びつけられた僕がアンジェさんの座る椅子の前に立つと、後ろからさっきまで僕が座っていた椅子もついてきてそこに座らされる。
ほぼゼロ距離の対面。何をするのかと思いきや、師匠がとった行動は……僕の頭を、撫でることだった。
「……なんですか、これ」
何度も、何度も撫でられる。細い腕の先についた小さな手のひらで、繰り返し。少し顔を上げると小さく微笑むアンジェさんと目が合って、そのままゆっくりと抱きしめられた。
「ユウナ、お前は弱い子だ。秀でた運動能力があるわけでも、魔術の才能があるわけでもない。でもな……お前は世界一強くて、優しい子だよ」
「……」
「自信を持て。お前には私がついてる。最強の魔女である私が言うんだ、信用できるだろ?」
信用、できるに決まっている。僕には心を読む力は無いけれど、この人は僕に嘘をついたことなど一度も無い。そう確信できるほどに、暖かい言葉をかけてくれるのだから。
「今日はもう休め。明日、また一緒に頑張ろう」
「……はい」
その後も僕はアンジェさんと共に、鍛錬の日々を繰り返した。
一月が経つ頃には風発を完全に完成させ、次のステップへ。初級魔術の基礎を固める鍛錬の続く日常の中であっという間に時は過ぎ……そうして一年半の月日が流れたのだった。
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