第3話 監査官エル

 ほとんど放心状態で元の部屋に戻り、ベッドに引きこもった俺は心からの本音を呟いた。

「帰りたい……」

「帰れないことはない」

 絶望に打ちひしがれている俺の背後で、エルが簡単に答えた。

「え?」

 思わず声が裏返った。

「我々の技術ならそれくらい可能だ」

「まじ?」

「ああ。我々は太陽系惑星の中で最も優れた種族。宇宙の環境監視の任務で、定期的に大気圏を巡回しているし、一般家庭の者が宇宙旅行にだって行ける。その宇宙船に乗せて貰えば良いのだ」

「……そうなのか? なーんだ、そうならそうと早く言えよ」

「ただし、当然のことだが、相応の費用もかかる」

 そんなバカな。

「タダで帰してくれないの!?」

「そんな都合の良い話があるか。何事も費用が掛かるんだ。地球人は、働かざるもの食うべからず、という言葉を知らんのか」

「その言葉は知ってるけども。俺のことを誘拐したんだから話は別だろ!?」

「人聞きの悪い。あれは事故だ。古代、地球に隕石が落下した。その衝撃で重力変化が起こり、地球の一部の箇所に時空の歪みが生じたのだ。お前たち地球人は〝バミューダトライアングル〟と呼んでいるそうだな」

「つまり、俺がそれに巻き込まれたって言いたいのか?」

「地球以外でも稀に起っている。別に驚く事案ではない」

「その理屈だと、俺が相当運がない奴みたいじゃないか」

「…………」

 おい、否定しろよ。

 それにしても、俺はあの有名なオカルトを体験してしまったのか。

 オカルト系番組に出てくる外国人の自称体験者達、胡散臭いとか思ってごめんなさい。

「原因がわかってるなら、なんとか出来ないの? 俺を帰したついでに歪みを直すとかさ。よそ者がしょっちゅうこっちに転送されてきたら、そっちだって困るだろ?」

「来るぶんには特に困らない。蟻が大群で攻め込んだところで、易々と侵略される我々ではない。歪みを直すにも、我々が他所の惑星に対してそこまでしてやる義理もない。我々にとって利益もない。自分の惑星なら自分達で何とかしろ。なのに我々は、迷子の面倒をみてやるのだから、そこは感謝して然るべき」

 ぐっ、ムカつくことに正論で殴ってきやがった。

 だがまあ、帰してくれるって言ってるし、解剖されないだけでも喜ぶべきなのかもしれない。

 少し冷静になった俺は、素朴な疑問をぶつけてみた。

「その……帰るための費用って、どのくらい必要なんだ?」

「二百万カテス。地球の通貨でおよそ二千万」

「高っ!! いや、でも宇宙船に乗るにしては安いぞ!」

 この惑星では、宇宙旅行へ行くハードルは地球より低いのは本当らしい。

 貯めるとなると気が遠くなる額だが……。

 でも、決して帰れないわけじゃない。最低賃金にもよるが、自分の頑張り次第では早く地球へ帰還できる。

 こうなったら、どんな手を使ってでも金をかき集めてやる。

 よし! 俄然やる気が出てきたぞ!!

「おい、お前!!」

 俺は意を決して、エルに向かって叫んだ。


「すみません!! お金貸してください!!!!」


 高々と飛び跳ねるようにして、土下座した。

 ここはダメもとだ。帰すアテはないが、どうにもならなくなったら雲隠れしてしまえばいい。

 とにかく、無事帰還さえ出来ればいい。後のことは後で考えよう。

 血が出るまで額を床に擦り付けろ!!

 見ろ、これが地球の土下座だ!!


「お前なんかに貸す金は、無い!!」

 エルの返事は、それはもう至極当然のものだった。

 だがそれで諦める俺ではない。

「じゃあせめて、貸してくれる知り合いとか、金融機関とか、なんか紹介してくれよ! 頼むよ! お金は地球でバイトして返すから」

 足に縋り付いて懇願する俺を、エルは一蹴した。

「無理だ。我々にとって地球の紙幣は無価値。ゴミを返されても困る。それに、この星では住所不特定のお前に貸す金融機関もない」

「そんなぁ……! それじゃあやっぱり帰れないじゃないか!!」

 それにしても、こいつには慈悲の心はないのか。

 ちょっとくらい憐んでくれたって良くないか。


「だが仕事くらいなら紹介できる。真面目に働いて貯めるしか方法はない」

「それだと何年かかることやら……。でもじっとしててもしょうがないしな。頼むよ」

「ただし、住所不特定者を雇ってくれる企業は少ない。だから、ここで働け」

「ここで?」

「僕がお前を雇ってやる。体力仕事だが、給料はそこらの仕事よりは格段に良い」

「マジで?」


 給料が良い、という言葉に思わず反応する。

 意外とおいしい話かもしれない。


「で、どんな仕事だ? 手っ取り早い仕事がいいな。宇宙なんだから、エイリアン退治とかあったりあるのか?」

「退治? ……まあ、ある意味そうだが、命の危険はない」

 エルは空中のディスプレイに向かって忙しなく指を動かしながら答えた。

「当たり前だけど俺、戦ったりしたことないぞ? 普通の大学生でも大丈夫か?」

「心配するな。戦闘技術など必要ない。誰にでもできる簡単な仕事だ」

「ふーん?」

 よく分からないが、誰にでもできるなら何とかなるだろう。

 エルは文章を打ち込むのに夢中で、俺の質問をスルーした。

 本当は楽して早く帰りたかったが、衣食住を面倒見てくれるなら、路頭に迷う心配がないのだ。せっかくだから宇宙を冒険していくのも悪くない。

 命の危険がないと言ってるし、意外と真面な仕事かもしれない。

「エントリーしておいた。明日、迎えにくるから今日は十分な休息をとれ」

 高揚感を抱いている俺とは反対に、エルは相変わらず無感情だった。

 突然訪れた非日常。そして衣食住の補償と帰れる手段があるということで安心しきっていたせいもあり、俺はすっかり漫画の主人公のような気持ちでいた。

『突如転送された惑星』という名目は、俺の心を踊らせるには充分なものだった。


 だがすぐに、俺は余裕ぶっこいたことを後悔することになる。

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