第72話 エールのお代
◇◇◇◇◇
――酒場「ラフィール」
ボロボロと大粒の涙を流すシルフィーナにハッとして、胸がギュッと締め付けられる。
俺が感じている罪悪感なんて比べ物にならないほどの罪悪感を抱いているんじゃないか……?
ふと湧いた疑問にサーッと血の気が引く。
シルフィーナは俺を追いかけて来てくれた。
俺を元気づけようとして、必死に。
んでもって、帰ってきたら、大事な店が無茶苦茶に……って。
「シルフさん、」
「シ、シルフちゃ、」
俺とアリスは同時に、瓦礫と化している入り口に座り込んでいるシルフィーナに歩み寄ろうとするが……、
「あた、あたし……。あたしのせいです!! あたしが逃げ出したから……! ユグリッドさ、"ユグリッド"が! ごめんなさい! ごめんな、さい……!!」
カタカタと小さく震えるミザリーに足を止められる。
……あっ。そっか。
ごめん、お前の事すっかり忘れてた。
って……、くそ!
こんなのどうすりゃいい!
俺が心の中で叫び、立ち往生していると……、
「カッカッカッカッ!!!!」
ガーフィールの大きな笑い声に全員が動きを止めた。
「おい、シルフ! 何を泣いてやがる!? 確かに店は壊れちまったが、俺もお前も生きてるし、"客"だって、こんなにいるぞ!?」
ガーフィールは瓦礫の下敷きになっていた、シルフィーナのエプロンを手に取ると、すぐにシルフィーナに向かって投げる。
パサッ……
座り込んでいるシルフィーナの膝元に落ちたエプロンに、シルフィーナは涙を加速させながら顔を上げた。
「……パ、パパ。でも、このお店は……。ウチ、こんな事になってるなんて知らなくて、ウチ、」
「そんなツラで接客すんのか? お前の笑顔と俺がいりゃ、そこはラフィールなんだぞ? 何も失ってねぇし、壊されてもいねぇ……」
「……パパ」
「カッカッカ!! 気にすんな!! 月明かりの下ってのも悪かねぇ……! おい、アード!! なに、ボーッとしてんだ? ランドルフのジイさんも! なにしけたツラしてやがる!」
ガーフィールは俺とランドルフに向かってニカッと笑うと、コツコツと足音を響かせながらボロボロになったカウンターの中に入る。
「……で? なに、飲むよ? 今日はお前らの貸切なんだぜ?」
いつも通りのイカつい顔に笑顔を浮かべた。
お、お前ってヤツは!!
……ガ、ガーフィールゥウウ!! カッコつけすぎだろ、こ、こ、この野郎ぉおお!
不覚にも「兄貴ぃい」と叫びそうになった俺は、「ハハッ」と乾いた笑い声をあげる。
ガーフィールの言う通りだ。
謝罪を口にした自分が恥ずかしくなる。
許される事を望むのは辞めたはずだ。
また、“らくしない事”をしてしまって、空気を重くしてしまったんだな。
みんなを守ってくれたリッカに……。リッカを治してくれたアリスに。俺が来るまでリッカを守ってくれたカレンに。
俺はかける言葉を間違えた。
それも、これも、あれも……。
全ての原因はローディアと……、“エール不足”のせいに決まってる。
ふぅー……と長く息を吐く。
「んじゃ、まぁ……、ガーフィール!! 俺はキンッキンに冷えたエールを貰おうか!」
「カッカッカッ!! はいよぉ! 爺さんはどうすんだ? まさか、また禁酒でもしようってんじゃねぇんだろ?」
「まったく。お主らは……。フォッフォッフォッ! では、ワシは最高級のワインをもらおうかのぉ!」
俺とランドルフはカウンターへと向かう。
「あぁ、すまねーが、エールは残り1本しか生き残ってねぇな! ワインもやっすいのが1本。こりゃ、品揃えが悪くていけねぇ」
ガーフィールはそう言って「ふっ」と笑うと入り口に視線を向ける。
「おい、シルフ! 補充の酒とツマミの買い出し! 帰ってくるまでに、マシなツラにして来いよ?」
入り口でエプロンを握りしめているシルフィーナに声をかける。
厳しい言葉だが、その声色はとても優しいものだ。シルフィーナは濡れた瞳のまま、グッと唇を噛み締めると、
「……は、はい!! 皆さん、ごめんなさい! しょ、少々お待ちください!!」
大声で返事をして、ガバッと勢いよく頭を下げてガーフィールの言葉に従った。
2人とも本当に大したもんだ……。
今までも2人で支え合って生きてきたんだな。
この親にしてあの子ありってとこか……?
ハハッ……なんだよ、最高かよ。
流石……。
やっぱ、『ラフィール』だなぁ。
感嘆する俺はチラリとリッカに目配せする。
事態が動いてる。
“身内”を1人にするわけにもいかないだろ。
リッカは俺の意図に気づいたようにコクリと頷き、トコトコとシルフィーナの後を追った。
「……すまねぇ。ありがとな、アード」
「バカめ、リッカが勝手に行ったんだよ」
「ふっ……、おし!! んじゃまぁ、ジョッキもねぇし、少しヌルくなっちまってるが、瓶のままでいいか? アード」
ガーフィールはそう言ってエールを手渡してくるが、その手は微かに震えている。
いくらいつも通りを装っていても、俺の目は誤魔化せない。微かな手の震えに気づくのは、何千、何万と酒を手渡されて来た俺だけだろう……。
――この店とシルフは俺の宝物だ!
酔っ払った時のガーフィールの口癖は、俺が1番よく知っている。それでもなお、笑顔を浮かべて、みんなの心を軽くする態度を……、酒場の店主としてのプライドを貫くんだ。
お前はそういうヤツだ。
最高の酒場の店主だ。
もう、アレだ。
かっこよすぎて笑っちまう……。
俺は「ハハッ」と小さく笑うと、ガーフィールは「ん?」と首を傾げる。
「ハハッ……ハハハハッ!! 仕方ねぇから、それでいい! ガーフィール……、この最高に美味そうなエール……」
「……んあ?」
「お代は……、『ローディアの首』でいいんだろ?」
「……ア、アード、お主、」
「カレン!! 今回の"サポート"……それでいいか?」
目を見開いたガーフィールと、ランドルフからの言葉を遮り、俺はカレンに声をかけたが、カレンは唖然とした様子でパチパチと瞬きをする。
先頭に立ち、みんなを扇動するつもりはない。
英雄なんてクソ喰らえ。
この考えが変わったわけじゃない。
「子供を救うだの、街への被害だの……。救いたいなら好きに救えばいい。今回の元凶であるローディアの首は俺が貰う……」
「アード様……」
「しょーじき、俺の関係ないところで威張り散らしたり、悪巧みするなら別にどうでもいい。世界の悲劇を自分から消したいなんて、俺は微塵も思わない」
「……」
「だが、『俺』に手を出すなら容赦しない……」
緊張感が張り詰めたラフィールに俺は「ふっ」と苦笑しながらもカレンの元へと歩く。
「アード様、僕、」
「だから、それ以外は頼むよ。"勇者様"」
目をパチパチとさせてうるうるさせ始めたカレン。
今にも大泣きして飛びついて来そうな雰囲気に、俺はめちゃくちゃ恥ずかしくなってしまい、そそくさとカウンターに戻ってエールに口をつけた。
まだ仄かに冷たいエール。
喉越しはいつも通りなのに、味がしない。
シラフで誰かに"託す"のは、"頼る"のは、いつ以来だろう。
俺は『力』に関して、誰も信じない。いくら強がっていようが、正直、自分の力すら本当は信じちゃいない。
でも、頼ってみようと思っちゃったんだ。
勇者なんだろ?
全てを救うんだろ?
頭のネジが飛んだ"大バカ"なんだろ?
やれるもんならやってみろよ。
「サポート」はしてやる。
……そういう約束だから。
「う、うん!! ……うん!! 任せてよ、アード様!」
バカの大声と顔に、更に熱が込み上がる。
あれ? こんな恥ずかしいの?
人を頼るのってこんなにゾワゾワするもんだっけ?
ゴクッゴクッとエールを身体に流し込み、「ふぅ~」と振り返ると、アリスとパチッと目が合う。
曇りのない澄んだ紺碧の瞳は少し弧を描いている。
ふっ、そうか……。そうだよな。
お前がくれたんだ。お前が俺を変えたんだ。
誰かに頼る事をビビりまくっている俺を、カレンの折れない強さが……、完璧な聖女様じゃない、泣きながらリッカを諭す『アリステラ』が……。
いや、もっと単純な話だ。
お前と出会って、俺の人生は大きく変わったんだ。
「アリス。こっちに来いよ」
「……はぃ」
一瞬にして顔を真っ赤にさせたアリスがトコトコとこちらに向かってくる間に、俺はランドルフに声をかける。
「なぁ、ランドルフ。魔法……教えてくれよ。特定の人物の場所に転移できるようなヤツ」
「……フォフォフォッ!! どうしようかのぉ!?」
一瞬、かなり驚いた顔をして嬉しそうに目尻に皺を寄せるランドルフにまた恥ずかしくなってしまう。
「……ふ、ふざけろ」
「アードォ、ワシも頼まれたいのぉ……」
「可愛くないんだよ、バカ」
「フォフォフォッ!!」
ランドルフの高笑いに「クソ」と悪態を吐き、近くまで来たアリスの細い腰を引き寄せて俺の膝に座らせる。
「だ、旦那様……」
「だってここしか座るとこないだろ?」
「……はい」
「“ありがとな”。リッカを助けてくれて」
「……ありがとうございます。リッカさんを救って下さって」
「寂しかったか?」
「…………」
アリスは顔を真っ赤にしながらも、俺の服をギュッと握った。
俺の嫁は可愛すぎて仕方ない。
……も、もう帰っていいかな……?
今すぐにでも押し倒してしまいたい衝動に駆られるが、そうも言ってられないようだ。
「アードしゃまぁあ!! 僕、僕ぅう!! ううわぁああん!!」
「う、うるさいっ! お前はもっと鍛錬しろ! 弱すぎなんだよ、お前はっ! そんなんで、もう一度、あんな甘ちゃんな事言ってみろ。次は勇者パーティー辞めてやるからな!」
「う、うぅ……アードしゃまぁあ!! うぅ……、頑張る!! アード様に鍛えて貰うんだ!!」
「さっさと離れろ、バカ! “拘束”したんだろ? ちゃんと面倒見てろ!」
「うっ、うぅ……」
俺たちのやりとりにランドルフとガーフィールは声を上げて笑う。
瓦礫の上での『いつも通り』。
これにリッカのソファと、シルフィーナの可愛い笑顔があれば完璧なんだが……、賑やかな雰囲気に呑まれる事なく、決意を固めた様子の少女が1人。
「……アードさん。あたしも……戦えます! あた、あたしも連れて行って下さい!! あの『男』の場所に!!」
声を上げたのはミザリー。
泣き顔や不安気な顔しか浮かべてなかったくせに、どっかのバカみたいに真っ直ぐに見て来やがる。
……これが、勇者の影響力ってか?
「ふっ……話はリッカとシルフちゃん……、それから酒とツマミが届いてからだ」
俺は残りが少なくなっているエールを煽った。
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