第71話  ったく……




   ◇◇◇◇◇



 ――酒場「ラフィール」


 

「旦那様……!! ……リッカさん!!」


 

 リッカが展開していた氷の球体の中から、手から血を流しているアリスが飛び出してきた。



 アリスは俺と目が合うと、ジワァアっと瞳いっぱいに涙を溜めたが、ハッとしたようにリッカの治療に取りかかる。



「……全く情けないわい。ワシが"守られる"とはのぉ……」


 見たこともないような真剣な表情で、少し怒っているようなランドルフ。


 このバカには少し言いたい事があるが、そんな雰囲気でもないようだ。


 ラフィールを包むように立ち昇っていた「光の柱」は、ランドルフが周囲への被害を出さないために展開していた「結界」でまず間違いないだろう。


 ラフィールに着くまでの間に、ルフへの被害は一切出ていなかった。


 ラフィールだけが、無茶苦茶になっている。


 俺は結界を《縮小(シュリンク)》すべきなのか、どうか少し悩んでしまった。


 中の状況がわからないから、何かが暴発してルフへの被害を許してしまえば、「カレンの意志」も「ランドルフの機転」も無にしてしまう可能性も充分にあったからだ。


 しかし……、


 ズワァア……!!


 結界の中からでも、黒々とした悪意に満ちた"殺意の気配"を感じ取った瞬間に、俺は即座に結界を《縮小(シュリンク)》して、店に足を踏み入れたんだが……、


「……すまねぇ……」


 ガーフィールはリッカの姿を見つめ、ギリギリと歯を食いしばりながら拳を握り、


「あたし……、あたし……」


 ミザリーは変わり果てたラフィールとリッカの姿に顔を青くしている。


 カレンは「……まだ終わってないや」などと、拘束していた4人と倒れていた1人の方へと向かう。


 重苦しい雰囲気ではあるが、ひとまず全員の無事を確認できた俺は誰にも気づかれないように深く、深く、息を吐く。


 あっ、あっぶねぇ~!!

 今回はマジで焦ったぞ……!!


 研究施設を見つけに行こうとしていたとは言え、シルフィーナと楽しくやってたんだ。


 もし、「この中の誰かが死んでました」なんてクズを通り越して、死んだ方がマシなヤツになっちまうとこだった……って……、


「……ア、アウトか?」


 グルリとラフィールの惨状を見渡しながら独り言を呟いた。


 先程、カレンと口論にらなって逃げ出した時の"気まずさ"も絶賛、継続中……。重苦しい雰囲気のラフィールが死ぬほど居心地が悪い。



 『混乱に乗じて研究施設探しに行こうかな……』



 俺は今すぐにでもまた逃げ出したくなっている。


 いやいや……。それは流石にダメだろ。

 ……えっと……ごめん!!

 ……め、めちゃくちゃ、ごめんなさい!!


 いや……も、元はと言えば、カレンがバカみたいな事言い出したから……。さ、更にいえばランドルフが、意味わからない結界なんて張ってるから……。


 ……ダ、ダメか? ダメだよな。

 ……は、はいはい。ガキみたいに拗ねて、逃げ出して、ドキドキムラムラしてました!!


 でも、ちゃんと研究施設を見つけるつもりだったんだぞ? それを手土産に「すごいです! 旦那様」ってアリスと仲直りしたかった……んだけど……。


 はいはい、俺が悪かったです!! 


 完璧にアウトでしたね、ごめんなさい!!


 なんとも言えない俺は、心の中で謝罪を叫ぶ。

 口に出すような事はしない……いや、できないんだ。


 俺は……、人付き合いが苦手だ。見栄っ張りだし、しんどいのも嫌いだ。楽しい事だけしていたいし、酒ばっかり飲んでいたい。


 バカみたいな思考を繰り返しては逆ギレする始末。クズでスケベでゲスで、本当に顔しか取り柄がない。


 ――……仕方ありませんね。


 勇者パーティーに加入するハメになった。

 アリスのあの一言で……。


 英雄なんてクソ喰らえだ。俺はのんびり酒を飲みながらダラダラと過ごしたかったんだ。


 それなのに、なんでこうなった……。


「……ふざけろ」


 あまりの居心地の悪さに、ボロボロになってるカウンターの後ろに隠れようとする俺は、


「リッカさん! なぜ、あのような事を……。私は……、私たちは……!!」


 2歩目にして足を止めてしまう。


 リッカへの治癒を行いながら、珍しく……いや、ベッドの上以外で、初めてアリスが感情をあらわにしている。



「……ア、アリス。お、怒らないでなの……」


「リッカさん。……助けて下さった事はわかっています。本当に感謝しております……。う、っ……うぅ……うっ。で、ですが……、私たちは……!! うぅ……」


 アリスの涙にバクンッと心臓が跳ね、


 ゴクッ……


 その場に立ち尽くして息を呑む。 


 ポロポロと……、いつもキスしている頬に涙が駆けている。俺と目が合うといつも真っ赤に染まる頬に涙が伝っている。



「……ア、リス」


 小さく呟くと胸が痛くなり、自分が「当事者」である事を突きつけられる。


 ……自分の妻を泣かされた。

 俺の可愛くて完璧な嫁が傷つけられた。


「……な、泣かないでなの。妾なら大丈夫なの! アリスに治癒してもらえれば、すぐ治るの!」


 俺の使い魔を……、最高級のベッドを傷つけられた。



 ガラッ……ガラ、ガコンッ……



 瓦礫が崩れる音にギリッと歯を食いしばる。


 大切でお気に入りの酒場を……、ガーフィールとシルフィーナが大切にして来た「ラフィール」をめちゃくちゃにされたんだ。



「私たちは、旦那様やリッカさんに比べると、とても無力です……。ですが、私たちは守られるだけは……とても苦しいのです、リッカさん……」


「……ア、アリス」


「それほどまでに信用できませんか……? 私たちは、私たちは……仲間なのではないのでしょうか……!?」


 アリスの涙が加速していく。

 ポタポタとリッカに落ちて染み込んでいく。


 綺麗な紺碧の瞳から聖女の涙がとめどなく流れていく。


「……な、仲間なの……」

 

 照れたように顔を背けるリッカの傷はみるみる回復していくが、俺が買ってやった白い着物(キモノ)は穴だらけ。


「でしたら、一緒に……。1人だけ犠牲になるような真似は2度とお辞め下さい……!!」


 アリスは治癒を終えた様子でリッカに告げる。


 リッカは少し驚いたように目を見開くと、少し悩んでからアリスの涙を拭う。


「ぁ、ありがとうなの、アリス。あの小僧……"アスラ王朝の呪術"なんて纏わせてたから、妾の《自然治癒》では治らなかったの。妾がこうして話せているのは、アリスの力のおかげなの」


「……いえ、私なんて、」


「カレンが妾の氷から抜け出して、時間を稼いでくれなければ、妾は……。あのままだと、きっと妖狐の姿になるしかなかった。街に……人間に恐れられて、みんなに迷惑を……。きっと、もう一緒にいる事はできなかったと思うの……」


「リッカさん……」


「ランドルフが居てくれなかったら、ルフへの被害は……。“主様の気配”が帰って来てくれなければ、妾は『死』を覚悟するしかなか、」


 アリスは言葉を遮るようにリッカを抱きしめ、ポロポロと涙を流し続けている。



 俺は、2人のやりとりを見つめ、


 俺が側にいれば……。

 俺が変な意地を張らずに居ればよかったのか?


 自問する。


 俺の頭の中は、安堵と罪悪感と後悔でいっぱいだ。


 俺は楽しくダラダラ生きたいだけなのに、まるで自分に言われているようなアリスの言葉に、なんとも言えない感情を持て余し、声をかけることもできない。


 ……俺は『守れて』ない。

 大切な場所も……自分の嫁も使い魔も……。


 俺が居ればよかったのか……?

 俺がいればよかったんだな。

 

 かなり傲慢なのは自覚するが、それが率直な感想だ。


 確かに、それでリッカも傷つく事なく済ませれたかもしれない。誰も嫌な思いをすることもなかったのかもしれない。


 でも……、待ってくれよ。


 ……それって俺のせいか……?

 確かに一切、悪くなかったとは言わない。パーティーから、リーダーの許可なく出ていって、かわいい美女とムフフしてたんだ。


 でも……、明らかに襲って来たヤツが悪いだろ?


 アイツが全部、悪いだろ?

 襲ってきたあのガキが……。なんか『逃げ出した』っぽい、あの"ガキ"のせいだろ?


 そもそもを正せば……。


 俺が感じている罪悪感も後悔も焦燥も、アリスが泣いてるのも、リッカが傷ついたのも、俺の"友人たち"が飲み会どころじゃなくなってるのも……、


「……全部、全部、全部、"お前"のせいだ……」


 魔将王『ローディア』。

 お前の……。


 俺の『安寧』に手を出したんだ。

 ローディアは俺から『自由』を奪おうって、そーゆー話なわけだ。


 いま俺が感じている『不自由』は、全部、全部、全部、お前が原因ってわけだ……。


 フツフツと湧き上がってくるのは、ひどく久しぶりな感情だった。


 傷ついたリッカを見た瞬間に、頭の中で何かがブチッとキレる感覚に陥ったのも、


 『アー……シン……、ワレのチカラを……』


 俺の中の「だれか」が話しかけてきたのも、『あの時』以来だ。


「……ったく。ふざけろよ……」


 ぽりぽりと頭を掻く。

 "サポート役"の仕事が決まった。


 ドクンッドクンッと心臓が脈打つ度に、苛立ちが湧き上がってくる。


 カレン……。ルフの住人も、実験体のガキ共も……、救いたいなら、救えると思うなら勝手に救えよ。


 たった今、俺も勝手に「ローディア」って"俺の敵"を屠る事にしたから。


 ……本当に随分と久しぶりだ。

 誰かを『殺したい』って思ったのは。


 コレでいい。

 こうしないと気が済まない。


 どうせガキだ。

 やられたらやり返すんだよ。俺は……。


「よし……」


 やる事決めたら、ウジウジ考えたって仕方ない。とりあえず、俺がしなきゃいけない事は決まっている。



 俺はトコトコとアリスとリッカの元へと歩いていくと、


「アリス。リッカ……。本当に悪かったな」


 頭を下げた。


 何年か振りに頭を下げた。

 いや、“墓前に向けて”ぶりに頭を下げた。


 少し落ち着きを取り戻していたアリスは、俺と目が合うとまた更にブワッと瞳に涙を浮かべる。


「カレン、ランドルフ、ガーフィール。ミザリー……。本当にすまなかったな」


 俺の謝罪に周囲はシィーンと静まり返る。


「守ってやれなくて……本当に、」


「あ、謝るのは僕の方だよ!!」


 俺の言葉を遮ったのはカレンだ。


「あんなに大きな口を叩いても、リッカちゃんに守られて、傷つけられて、アード様が来てくれなかったら取り返しのつかないことになるところだった……」


「……」


「本当に怖かった……。守るのは僕の使命だった。守れなかったのは僕の責任だよ。みんな……本当にごめんなさい!」



 カレンはガバッと頭を下げるが、リッカと俺以外の者たちは苦悶の表情を浮かべ、自責しているように見える。




 ドサッ……



 重苦しい雰囲気の中。ラフィールの入り口の方から誰かが倒れた音が聞こえ、全員が視線を向ける。



「……な、なに……これ……。う、嘘だよ……。ラフィールが……。ママの……。パ、パパ……。パパ、嫌……。嫌だよ……!!」



 弱々しい悲痛の声に言葉を失う。

 ボロボロと大粒の涙を流すシルフィーナ。

 うるうるのブラウンの瞳に浮かぶ涙と目が合った。



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