第66話 〜ユグリッドの焦燥〜



   ◆◆◆◆◆



 ――ルフ「研究施設(タルタロス)」



 魔将王"ローディア"、いや、辺境都市「ルフ」現領主"ローデン"への報告を終えた側近の1人であるユグリッドは、上機嫌で地下の研究施設(タルタロス)に戻って来た。



「ユグリッド様ぁあ!! 早く! 早く血を!」

「ぁあああ、血! 血!! 血!!!!」

「ウグゥゥウウウウ……! ァアガガァア!」


 

 ユグリッドは限界を迎える子供たちが収容されているA棟を鼻歌混じりに歩く。軽やかな足取りは、スキップしているようだ。


(……あぁ。父様……!!)


 更に血を与えて貰った。

 極上にして最古。原液である吸血鬼の血。

 混じり気のない、高濃度の血を接種した。

 

 10歳前後の容姿は少し成長している。

 14歳。成人を前にした美少年に成長したユグリッドは、身体の奥から湧き出してくる魔力に、頬が緩みっぱなしなのだ。


「もう少し、我慢してねぇ! みんな、あと少しでたくさん……たぁくさん血を飲めるからね!」



 ガシャんッ、ガシャん!!



 檻を叩く子供たち。


「ユグリッドざま! ユグリッドざま!!」

「ぅあわああ! 早く、早く、血をォオオ!」

「ァガガガガガァア……」

「ふぅ、フゥーぅううううう……」


 うめき声とも奇声ともとれるさまざまな声。


 この子たちは、もう人間ではない。禁断症状とさまざまな投薬により、人の見た目すら無くなってしまった"ただの鬼"だ。



 ユグリッドはその中を歩く。

 ニヤニヤと緩む頬を抑えられないまま。

 あと少しでルフから『人間』はいなくなる事を確信しながら……。


「うぅーん……、"適合者"はどれくらいなんだろぅねぇ?」


 死ぬまで血を啜られるか、適合できるか。

 そこには"死"か、"吸血鬼になれるか"しかない。


 ――本当に楽しみだね、ユグリッド。


 自分の"主(しゅ)"の言葉は、『あの男』に勝つ算段がついた事を意味していた。


 中断されていた作戦。

 

 『吸血鬼の巨城(キャッスル・オブ・ヴァンパイア)』


 最終決戦(ラグナロク)を前に、絶対に攻め落とせない巨城を築く。街全体にいくつもの罠(トラップ)魔法を配置する完璧の要塞。


 あらゆる種族。つまりは、魔将王と呼ばれる存在に確実に勝利するための下準備。


 そのためにルフは絶好の場所にあった。

 ジュリミナード家に伝わる【竜殺魔術】の奪取。《魅了(チャーム)》を無効化する獣国の隣接都市。


 脅威となりえる獣国を最終決戦(ラグナロク)の前に滅亡させ、最大の壁となる魔将王「竜人王」の討伐を可能にする力を手にする。


 準備は整っていた。

 "手駒"を揃え、いざ獣国を滅亡に追いやる行動に移そうとした時、1人の『人間』がルフを訪れた。



 ――な、何者ですか……? 彼は……。



 一度すれ違っただけの酔っ払いの冒険者に、『主(しゅ)』は全ての計画を中断したのだ。


 止まっていた歯車がやっと動き始めた。

 そのきっかけを見つけたのは自分だ。


「本当に楽しみだね、父様……!!」


 ユグリッドは悍ましい表情を浮かべる。


 "あの男"を捕えたら、どんな褒美が貰えるのかと。これから、死ぬ事のない世界で、ずっと『主(しゅ)』の隣にいれるのだと……。



 キィイー……バタン……



 騒がしいA棟を抜け、重い扉をくぐりB棟に入る。


 ここは「優秀な適合者」のエリアだ。


「「「おかえりなさい! ユグリッド様」」」


 まだ起きていた子供たちに声をかけられる。

 すっかり白髪に紅の瞳に変化し、吸血鬼の仲間入りを果たした者たち。


「僕、今日の戦闘訓練でA判定でしたよ!」

「見て下さい! ユグリッド様! 《血槍(ブラッドランス)》ができるようになりました!!」

「わ、私は《血連弾(ブラッドラッシュ)》!」


 上機嫌のユグリッドは、


「みんな、とっても偉いね!! 僕は本当に幸せ者だなぁ!! 明日はご褒美をあげるね!!」


 大きな声でそれらに応える。


 無邪気に喜ぶ声がB棟に響き渡る。

 まるで指揮者のようにそれを煽りながら、ユグリッドは『最高傑作』に視線を向けるが……、


 ブワッ……!!


 一瞬で全身から冷や汗を吹き出した。



「えっ………………?」



 呼吸をするのを忘れるほどの衝撃と焦燥。



「……ゼ、『05(ゼロゴー)』は……? ゼ、ゼ、05(ゼロゴー)はどこに行ったぁ!!」



 ユグリッドの絶叫と魔力の圧力に、B棟は静寂に包まれた。


 子供たち……、いや、実験体たちはユグリッドが狼狽え、取り繕えていないところをはじめて見た。


「……ね、"姉さん"なら、顔色を悪くしてあっちに」


 1人の少年はユグリッドの狼狽する姿に声を上げた。指差したのはA棟……その先には「地上」が待っている。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 少年の言葉にユグリッドは呼吸を荒くする。


「ユグリッド様……?」


 心配そうに顔色をうかがう少年に、ユグリッドは血走った紅の瞳で応える。少年はビクッと身体を揺らし、一瞬で冷や汗を流す。



「……"06(ゼロロク)"。全く……、君の姉さんには困っちゃうよ……」


「……」


「なんで?」


「……えっと、」


「ど、どうしたんですか!? ユグリッドさ、」



 ガシャッ、グチュンッ!!



 ただならぬ様子に声をかけたのは1571(イチゴーナナイチ)。しかし、言葉を言い終わる前に「赤い刃」に首を飛ばされてしまった。



 ゴトッ……コロコロコロ……



 転がる顔は心配気な表情のまま、冷たい床に転がる。


 鉄格子はまるで紙切れのように鋭い爪痕を残しており、優しい少年の顔は首と胴が切り離された事に気がついていないようだ。



 シィーン……



 再度、B棟に静寂が訪れる。


 正確には、子供たちの歯と歯がカチカチと鳴る音以外の音が消えた。呼吸音すらも聞こえない、カチカチと不気味な音に包まれる異常な空間と成り果てた。



 ユグリッドは無言のままB棟の奥へと向かい、自室の扉を震える手で開ける。



 目の前に現れたのは、鍵穴のついた土台に乗せられている巨大な水晶玉。


 ユグリッドはまるで火玉を作り出すかのように手を上に向け、血で形作られた鍵を創造する。


 スッと鍵穴にそれを差し込み魔力を注ぐ。



 ズズズッ……



 紅く血塗られた水晶玉が徐々に紅が侵食し、壁際の棚から『05』の血が入った試験管を手に取る。



 鍵穴の上部にそれをポタッと数滴垂らすと、巨大な水晶は、カラフルに変化していく。


 鮮明に写し出された景色は、重苦しい雰囲気を滲ませる大衆酒場の光景だった。



「……"ラフィール"か。……よりによってこの連中と一緒とはね……。クソッ……、あの"狐"、厄介この上ない!」


 写し出されたのは勇者パーティーの面々。

 幸いな事に『あの男』の姿はない。


 ただでさえ、やらかしてしまった。

 これ以上ヘタを打つわけにはいかない。

 05を失うわけにはいかない。


 自分が「主(しゅ)」の計画を中断させることは許されない。


 ユグリッドは焦燥を落ち着かせるために深く深く息を吐きながら思考を加速させると、ニヤァと悍(おぞ)ましい笑みを浮かべる。



「仕方ないかな……? 仕方ないよねぇ? "アイツ"が帰る前に"05"を取り戻さなきゃいけないよねぇ……」



 ユグリッドの思考はまとまった。

 


「もう僕たちの存在は気づかれてるって事? ハ、ハハハッ、まぁ……全員、殺しちゃえば姿を見せた事にはならないでしょ?」



 ユグリッドはダイヤの刺繍が施された黒ローブを手に取ると躊躇なくバサッと羽織る。


 そこには白髪から黒髪に、両の牙は八重歯に、漏れ出る魔力は常人並に……しかし、紅眼だけはそのままの姿に変化した15歳前後の美少年がいた。

 


 魔将王"ローディア"が誇る宝石(ダイヤ)の吸血鬼(ヴァンパイア)。


 実験体3888人の"眷属"を従えるユグリッド。


 魔将王ローディア直属の眷属。その4人の中の1人は、ラフィールへと向かって歩き始めた。

 



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