第64話 〜困惑、焦燥、そして追走〜
◇◇◇【SIDE:シルフィーナ】
カランッカランッ……
ラフィールの扉の鐘の音が静かに鳴り、ウチはハッと我に返った。
見たことのない笑顔を残して、アード君の背中が消えていく。
「ア、アードく、」
「アード様、」
バッ……
ウチとカレンさんが後を追うのを制するように、アリスさんは手を広げた。
その手は微かに震えていて、ただでさえ白いアリスさんの顔は、更に血の気が引いているように見える。
「えっ、ア、アリス!? 早く追わないと! 今はバラバラでいい状況じゃ、」
「いまは……旦那様を、少し1人に」
アリスさんの紺碧の瞳が揺れている。
綺麗なアクアマリンの宝石が、綺麗な水に浮いてるみたいだ。
ガタッ……
アリスさんはその場に座りこむと、瞳に溜まった涙は耐えきれず、ツゥーッと頬を濡らす。
「ア、アリス!?」
カレンさんはすぐに歩み寄り声をかけてる。
アリスさんはグッと唇を噛み締めたまま、気丈に振る舞っている。
リッカちゃんは呆然と立ち尽くしてカタカタと震え、ランドルフさんは椅子から立ち上がって、扉を見つめたまま。
ミザリーお嬢様は不安気な様子でアリスさんの表情をうかがい、パパは真剣な表情でお酒に口をつけた。
なんで……? 何があったの……?
この数分の間に一体……。
ウチにはアリスさんの涙の理由がわからない。
カレンさんとアード君の会話にもついていけない。
ーー偽善を吐きたいなら……、綺麗事を吐きたいなら、『絶望』を知ってから、もう一度言ってみろ!!
あんなに苛立った、いや、苦しそうなアード君は見た事がなかった。
夫婦の間にしかわからないものがあったのかな? それとも勇者パーティーにしかわからないもの?
でも……、
――ちょっと飲み過ぎたみたいだ!
つい先ほどのアード君の笑顔が蘇る。
とってつけたような、感情のない笑顔。
きっと誰でもしたことのある"作り笑い"。
それに少しの拒絶を加えたような曖昧な笑顔。
きっと生きていれば誰だって目にする表情のはずなのに、『アード君』がその表情をする違和感はとてつもないものだった。
それだけは、知ってる。
『アード君はあんな風に笑わない』
これだけは知っているんだ。
いつも、いつも、自分の感情を素直に表現するアード君。嫌なことには嫌な顔を。すけべなことを考えてる時にはえっちな顔を。呆れた時には呆れたように「ふっ」と笑って……。
嬉しい……、楽しい時には満面の笑顔を……。
そこに壁はない。
カッコ悪いところを惜しげもなく晒す。
そんなところもカッコいいんだ。
それでも、今の笑顔の裏には……。
きっと"あの笑顔"を向けられたアリスさんにしかわからない何かがあったんだろう。
"当事者"じゃなくても、なんだか、知らない人みたいに見えた。
変なゴブリンとの戦闘。
あの時に感じた近寄りがたい恐怖。
それとも違う。
言いようのない焦燥からくる恐怖。
もう二度と会えなくなるような予感からくる恐怖。今、追いかけても拒絶されてしまうかもしれないという恐怖。
あぁ。そっか……。
アリスさんは、真正面から拒絶されたのかな……? アリスさんの涙は、そういう事なのかな?
ここにいる人たちは、みんなアード君が好きだ。
"好き"と言っても、恋愛感情だけじゃないだろうけど……。アリスさんがアード君を追う、選択をさせないのは……、
「護ってるんだね……。アード君の居場所」
アード君がアード君で居られる場所。
誰よりも自由で、素直なアード君でいられる場所をアリスさんは護ろうとしたとウチは思った。
アード君は、誰にでも一線を引いていた。
どんなパーティーに所属しても、その場限りの酒盛りをしても……。誰とも深く関わらなかった。
それでも、今、この場所にいる人たちとは……。
様子がヘンだったアード君に、誰も拒絶させないため。この場にいる人たちが、誰も拒絶されないため。
――今は1人にしてくれ。
そのために、アリスさんはアード君の言葉に従ったのかな……?
『拒絶されるのは私だけでいい』
そう思った?
『私はどんな旦那様でもお慕いしてるから』
そう言いたいのかな……?
……冗談じゃない。
そんな"綺麗事"で足を止めた?
更に拒絶されるのが怖くて、『関係』が終わってしまうのを恐れて、足を止めたんじゃないのかな?
「違う……違うよ。そうじゃない……」
ウチは誰にも聞こえない声でポツリと呟いた。
ウチは、アード君を想う気持ちがアリスさんに劣っているなんて一度も思ったことはない。
でも、アード君の気持ちを尊重する余裕なんて、ウチには1ミリもない! 拒絶されて壊れてしまうような『関係』もウチにはない!
ウチは……、妻でも……勇者パーティーでもない。
ただ、放っておけない。
ウチは、さっきのアード君を1人にできない。
ウチが駆け出す理由はそれで充分だ。
もう「待つだけ」はやめたんだ。
迷惑でもいい。嫌われたっていい。
ウチはもう……、2人が結ばれたあの日。
あの日、心に誓ったんだ。
「待つだけはもうしない」って……。
アリスさんは先程の涙なんてなかったかのように立ち上がると、いつもの無表情を貼り付ける。
「……カレン。いまは私たちだけで、話を進めておきましょう。確かに、旦那様が勇者パーティーに加入している条件は、『サポート役である事』なのです」
「……そ、そうだね。僕たちだけでも方針を決めなきゃ。今も苦しんでいる人が大勢いるのはかわらない。アード様は『サポートはする』って言ってくれたんだ……」
言葉とは裏腹に、2人とも入り口の扉を見つめたまま。
「はい……。旦那様は"約束"を違(たが)えません。違えない……のです……。私たちも約束を"違える"ことは……できません」
ポツリと呟いたアリスさんの言葉。
珍しく、苦しそうな感情が滲んだアリスさんの表情にブワッと毛が逆立つ。
推測だ……。全部がウチの憶測でしかない。
アリスさんには、もっと別のところで考えがあるのかもしれない。
でも……。
「ふふふっ!! ウチ、アード君のところに行ってきます! “コラコラ! ダメだぞ!”って叱ってきますよ!」
ウチはわざと明るい口調で声を上げた。
「……シルフさん、」
「アリスさん。止めても無駄です。えっとー……うん。……ウチは今のアード君を1人にできませんから」
「……!!」
アリスさんの紺碧の瞳が揺れる。珍しく感情豊かな表情でも足を止めてなんていられない。
「わ、妾も……! 主様を……!!」
リッカちゃんもすかさず声を上げるけど、カタカタと小さく震えたまま。
こんなに怯えたリッカちゃんは見たことがない。
「……あ、主様……。う、うぅ……主様……」
堪らず座り込んで涙を流し始めたリッカちゃんに、アリスさんがすかさず駆け寄り抱きしめる。
そして、グッと唇を噛み締めてウチを見上げる。
「……シルフさん……。お願いします……」
アリスさんの瞳は、また潤んでいる。
「……はい! 任せて下さい!」
ウチは力強く返事をしてニコッと笑顔を作り、すぐに駆け出した。
ラフィールの扉は、カランッカランッと大きな音を立てた。
※※※※※【あとがき】※※※※※
コメントくださっている皆様。
本当に感謝です!! 原動力でしかないです!
正直、この展開はネット小説的にはタブーではないかな?と思いつつ、避けては通らないとも思っていましたので、コメントに本当に救われました!
「アリスの葛藤」も書きたかったですが、ここはシルフィーナで行きました。いかがだったでしょうか?
今後ともよろしくです!
続き早よ!と少しでも思ってくれたら幸いです。
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