第63話 衝突



   ◇◇◇



「アード様……。ルフが戦場になるんだよ? 子供たちの未来が奪われてるんだよ? 時間との勝負なんだ……」


 半泣きのカレンの言葉に、俺は小さく首を傾げる。


 確かにカレンの言葉はド正論だ。


 それに、怠惰で何不自由ない今の生活の基盤は、「勇者パーティー」の恩恵。俺もポーターというサポート役として、話し合いに参加すべきなのはわかってる。


 だが……、まだ心の整理がついてない!!

 何もしたくない! 見て見ぬフリをしたい!!

 ここは全力で無関心を装いたい!!


 禁欲? 緊急クエスト? しかも、ルフで!?


 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 今は楽しくエールを飲むんだ!


 とりあえずでいいから、今日くらいは飲みまくりたいんだ!!



 なんてクズさ全開で現実逃避していたが、改めてカレンの顔を見て、俺は少し固まってしまう。


「僕たちは勇者パーティーなんだ! 全てを守らないと……。今まで救えなかった命の分まで!」


 "勇者ヅラ"のカレンの顔を、初めて真正面から見た気がする。


 さっきはいつもとのギャップで、笑いを我慢する事に必死だったが、その有無を言わせないどこまでも真っ直ぐな真紅の瞳が、俺の酔いを覚ましやがった。


「……な、なんだよ、急に」


 バツが悪くなり視線を外す俺を他所に、カレンはザッと前に出て来て、無理矢理に視線を合わせてくる。


「……チィッ、はいはい。聞けばいいんだろ? ちゃんと参加するよ、"勇者様"」


「僕はアード様みたいに強くない。でも、僕は勇者だ……。全世界の人々の希望でなければならないんだ! 子供たちの憧れでないといけないんだ……!」


「……」


「みんなの"未来"を……、僕は人々の安息を勝ち取らなければいけない!」


「……あぁ。……そうだな」


 ……随分と綺麗事を言ってくれる。

 呆れて笑ってしまいそうだ。

 "ちゃんと"聞いてみてやったら、コレだ。


 温室育ちの勇者様。

 絶望を知らないであろうカレンの言葉に、俺は身体の芯が冷めていくのを感じる。


「そのために全力を尽くすんだ。そのために努力を続けるんだ……。そのために僕はいるんだ!」


 カレンの潤んだままの真剣な瞳に、堪らず「ふっ」と笑ってしまう。


 まるで自分に言い聞かせているかのような言葉なのに、カレンの瞳には一切の濁りがない。


 "全てを救う"……?

 "人々の希望"……?


 さすがだ。このバカは……。


 本当に全てを救えるはずがない。


 ルフには3万人を超える人間がいるんだぞ?

 どれだけ甘く見積もっても数千人の死者は出る。


 どれだけの力を持ってようが、どれだけの努力をしてようが、この世界には「どうしようもない事」は存在する。


 もう呆れて果てて何も言えない。


「アード様……。力を貸して? 僕は……、僕たちならできるよ! 絶対にッ!!」


 自信満々な瞳は、悔しいが綺麗だ。

 透き通る真紅の瞳。


 毎晩の宿泊代とエール代……。

 怠惰を支えてくれる分の仕事はしなきゃいけない。


 だが、あくまで俺はサポート役として参加する。前線に立つような事はしない。


 このパーティーのリーダーがどんな思想を持っていようが、正直、「どうでもいい」が俺の答えだ。


 だが、俺の嫁が危険な目に遭うのを黙ってるわけにもいかない。俺の加入中のパーティーから死人を出すわけにはいかない。


 自分の「誓い」を蔑(ないがし)ろにする事はできない。つまりは、このバカ勇者のエゴに巻き込ませるわけにはいかないって事だ……。



「……本当に救い切れるとでも思ってるのか? この街に何人の住人がいる? 相手の戦力はどれくらいいると思ってる? まだ全体像も見えてないんだろ? ……ちゃんと"最悪"を考えろよ!」


 あぁ、酒が回ってるな。

 こんな事を言いたいわけじゃない。


 だけど……、

 

 ――"お兄……ちゃん……"。ごめんね……。


 思い出したくもない過去が蘇ってはイライラする。



「……もう、すでに"最悪"だよ、アード様」



 "自分には救える。

 自分にはなんだってできる。

 自分は「勇者」なんだから……"


 そんなカレンの瞳には見覚えがあるんだ。

 

 あぁ。今、わかった。

 とんでもない美人のカレン。

 俺が一切、靡かない理由がわかってしまった。


 『昔』、こんな目をしたヤツをよく見てた。

 俺は"ソイツ"が大嫌いだ。


「ハッ……、ふざけろよ……」


 これはカレンへの返答でもあり、自分自身への言葉でもある。


 あぁーめんどくさい。

 微かに手が震える。

 これはアレだ……完璧にエール不足だな。


「……ったく……」


 俺は、"無謀な事"に挑むバカが大嫌いなんだ。

 

「子供たちは攫われ、実験体のように扱われてる。親たちは子供がいた事すら、忘れてしまってる。これ以上の最悪はない……。もう、これ以上の最悪にしないんだ! 僕たちが!」


「……そんなものは綺麗事だろ? "悲劇"なんてのは、この世界、そこらじゅうに転がってるんだよ」


「綺麗事を貫き通すのが勇者だと僕は思うんだ。だから、一つずつでも救っていくんだ!」


「……どれだけ強くたって、優しくたって、人は死ぬ。死んだ人間は帰ってこないんだ。ちょっとイメージが足りないんじゃないか? "勇者様"」


「足りてるよ……。救えなかった命がなかったわけじゃない。だからこそ、"これから救える命"に全力を懸けるんだ!」


「ハッ! それはすごい!! ここまでバカだとは思わなかったぞ? 高潔な勇者様は崇高な考えを持ってるんだな!!」


「……アードさ」


「そもそも、俺とは人種が違うんだよ! 俺はどっかの誰かが死のうが、別にどうでもいい!! 俺にとって大切なヤツらが救えれば、それでいいんだよ!」


「……!!」


「"救えなかった命がなかったわけじゃない"? 笑わせるなよ? だからこそ、優先順位をつけるんだ! 自分にとって、命を懸ける価値のあるヤツだけを救うんだ」


「……アード様」


「……助けを求める両親の腕が目の前で吹き飛んだ事は?」


「……えっ?」


「……親友の首が目の前で飛んで、その血を浴びた事は?」


「……」


「臓物を撒き散らしながら苦しそうにして、死ぬに死ねない……師のように慕っていたヤツを見た事は?」


「……」


「全身を串刺しにされた死の間際、無理矢理の笑顔で謝罪を残す妹を見たことは!?」


「……」


「偽善を吐きたいなら……、綺麗事を吐きたいなら、『絶望』を知ってから、もう一度言ってみろ!!」


「僕は……」


「"全てを救う"? "人々の希望"? バカか……? そんな事、本気で出来るとでも思ってんのか!? 甘いんだよ! 何もかも! "勇者ごっこ"は1人でやってろ!」


 俺の言葉にカレンの瞳が揺れる。


「言ってみろ、ちゃんと聞いてやるから! ……お前に何ができる? 俺よりも弱いお前に何ができる、」


 スッ……

 

 俺の言葉を遮るように、アリスは優しく俺の手を取った。想像以上に温かく、柔らかな手にハッと我に帰る。


 アリスの紺碧の瞳が、俺を見つめてる。

 滲み出るオーラは聖女たる所以……って……。


 ガラにもなく熱くなってしまった俺はアリスから視線を外し、あまりの恥ずかしさに死にたくなる。


 な、何してんだ、俺……。

 何、言ってんだよ、俺……。

 

 心配そうに俺の顔色をうかがうシルフィーナ。

 顔を青くして今にも泣き出しそうなリッカ。

 真剣な表情のランドルフとガーフィール。


 そして、心配する心を押し殺し、無表情ながら俺にしか分からないように……、まるで女神のように微笑んだアリス。



 辺りはシィーンっと静まりかえっている。

 込み上がってくるのは後悔と恥ずかしさ。


「……ま、まぁ……、アレだ。ふっ、悪かったな……。このパーティーは勇者のものなんだ。ちゃんとお前に従うよ」


「……アード様。僕は本気でできると信じてる。全てを救う事も、僕が"人類の希望"になる事も……」


 このバカだけは、相変わらず真っ直ぐな瞳で俺を見やがる。もう、恥ずかしいったらない。こんなバカに熱くなって、柄にもなく……。


「ハ、ハハッ……。わかった、わかった。できる。……うん、できるよ、お前なら!」


 堪らず視線を外した俺は思ってもない事を口にするが、目の前に立つカレンがフルフルと首を振る。


「……なんだよ?」

 

「ううん。違う……」


「……? お前、何言って、」


「"『僕たち』ならできる"」


「……」


「僕1人じゃ、無理かもしれない。でも……、僕は1人じゃない。……確かに大切な人の凄惨な死も……、本当の絶望も、僕は経験してないのかもしれない……。でも……」


 カレンの言葉に、俺は息を呑んで絶句してしまう。


「救えなかった命はある。間に合わなかった事は何度も何度も、何度も経験してるんだ。人が焼ける匂いも、亡くなった人たちの無念も……、僕は忘れない! 僕にとってのアレは充分すぎる絶望だよ」


「……ぉまえ」


「アリスがいて、ラン爺がいて、この王国……、いや、世界中の人たちの『人々を救いたい』って気持ちの"象徴"が僕なんだ」


「……」


「……アード様。僕が折れるわけにはいかないんだ。どんな時でも、何があっても……。僕は絶対に折れるわけにはいかない」


「……」


「ははっ……。アリスが"女神の化身"なら、僕は"平和の化身"になる!」


「……」


「……うん、なれるに決まってる! だって僕は、アード様の一番弟子だからね!」


 うっすらと涙を浮かべているカレン。

 その屈託のない笑顔に、大きく目を見開いた。


 大バカすぎて話しにならない。

 コイツは本物だ。完璧にイカれてる。


 正直……、


 その『信頼』に逃げ出したくなった。


 逃げ出したくなった自分が恥ずかしくなった。

 

 本気の本気で、コイツはできると……?

 全ての人を抱えても折れる事のないカレンの『強さ』に、俺は顔が引き攣ってしまう。


 ……ハ、ハハッ、コイツ。

 マジで、『勇者』じゃん……。


 どこかの誰かみたいに偽物じゃない。

 この熱量と度量が、"勇者"の証明。


 コイツにとっては、見ず知らずの人間が"大切な人"だとでも言いたいのか……? いや、そんなもんは詭弁だ。


 だが、仮にそうだとしたら?


「なんで折れないんだよ……。マジかよ、コイツ……」


 俺は無意識にポツリと呟いた。


「だーかーらっ! 絶対にアード様の力が必要なんだよ? 今は、みんなの力を合わせる時、」


「ふざけるな……。俺を勝手に戦力にするな。サポートはしてやるよ。……そういう"約束"だからな」


「……えっ、」


 ダメだ。一刻も早くここから逃げだしたい。

 「勇者のエゴ」に呑まれるなんて、ごめんだ。


 その『信頼』という名の鎖で縛られるなんて、もう二度とごめんだ。俺は……、俺はもう……。


「旦那様、」

「アード様、」


 アリスとカレンの言葉が重なるが、俺は遮るように一歩を踏み出して出口に向かう。


「……忘れるな。いくら俺を持て囃そうが勝手だが、俺はDランク冒険者。スキル【縮小】の無能なんだからな?」


 しばしの沈黙に足を止めるような事はしない。


 コツッコツッと足音だけを響かせながら、そのままラフィールを後にしようとするが、



 ちょこん……



 アリスが俺の服の裾を掴む。

 すぐ後ろにはカレンも続いている。


「旦那様、私も一緒に、」


「悪いな、アリス。ちょっと飲み過ぎたみたいだ! ちょっと、頭を冷やしてくるから。……今は1人にしてくれ」


 俺はニコッと笑顔を作ると、アリスの綺麗な瞳が大きく揺れ、パッと手を離した。


 あれ? 上手く笑えてなかったか?

 あぁ、だめだな。でも、限界なんだ。

 本当に今は1人にしてくれ……。


 俺はそのままラフィールを後にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る