第61話 やっぱ、そうかなぁあ……!?



   ◇◇◇


 ――ラハルの森



 パシャんッ……



 湖の冷たい水で顔を洗い、《縮小(シュリンク)》していた嗅覚を戻す。正直、鼻の奥に残った匂いは消えてはいないが、まぁ大丈夫だと思うことにしよう。


 そんな事よりも、あのメスガキ……。


「とんだ、地雷じゃねぇか……!!」


 とにかく、俺は吸血行為以外は関わらないと伝えた。"勝手にしろ"と突き放し、あの吸血少女の話を聞かない事で一定の距離はとれてるはずだ。


 懐かれても面倒だし、頼られるのも勘弁だ。

 "イイヤツ"じゃないとも教えてやったし、下手に優しくせずに突き放した。


 これで俺の平穏……、天国(スローライフ)に《吸血》という気持ちいい娯楽が増えただけ……なんだよな?


 らしくないカレンの真剣な様子にプルプルと笑いを我慢して、シルフィーナのただごとじゃない言葉に逃げ出して来たけど、俺、何もしなくていいよな!?


 珍しくアリスが俺の顔を見ても赤くならなかったけど、嫌われてないだろうな!? さっきのシルフィーナと吸血少女、リッカ……。全員を相手に浮気してたなんて思ってないよな……?


 湖には半泣きで情けない顔をした俺が写っている。ひょこっと顔を覗いて来たのは、顔を赤くしたリッカだ。


 先程までの数々の仕打ちを黙認する俺ではない。



 着物(キモノ)の中の下着をビリビリに破り捨て、俺のポケットに詰め込んでやった。半泣きになっていたが、本気の抵抗もなかったし大丈夫だろう。



 今日一日、裾の短い着物に気を遣いながら、ノーパンで死ぬほど恥ずかしい思いをすればいいんだ、このポンコツ使い魔は……。


「なんだよ、"付け根"を見せながら謝罪する気になったか……?」


「……主様、さっきのゴブリンといい、あの小娘といい、カレンの顔つきと、アリスの"焦燥"」


「何が言いたいんだ?」


「ふふっ……主様(あるじさま)の自堕落な生活は終わったの」


 薄く笑いながらほくそ笑んでいるリッカ。


 もういっそのこと素っ裸にしてやろうかとも思ったが……、


「……バ、バカめ、そんなはずないだろ!」


 俺が考えている事を言い当てられて顔を引き攣ってしまう。


「『子供の神隠し』……『死んだはずの領主の娘』……『殺された兄』……」


「や、やめろ、リッカ……」


「きっとアリスの事だから、"この件"が終わるまで、"お預け"なの」


「……俺は関係、な、いだろ……?」


「アリスが"いつも通り"だとは思えないの」


「……や、やっぱそうかなぁあ……!?」


 ガバッと振り返るとリッカはギョッとしたような顔をして後ろに倒れた。


 俺はすかさずリッカに覆いかぶさるようにガッと肩を掴み、焦燥をぶつける。


「……嘘って言え……。う、嘘だって言え!! それとこれとは別だと言えよ、リッカ!」


「……え、いや、」


「ふざけろよ! 何でだよ! 俺、いま繁殖期の猿だぞ!? 我慢できると思ってんのか!? あの至福の時間と最高の幸福を味わったら、もう無理だろ!?」


「あ、主様、……い、痛いの」


「今はもう!! エールと同じくらい俺には欠かせないんだぞ! さ、酒だ! 酒がないともう無理だ!」


 リッカは顔を真っ赤にしながら、必死に着物(キモノ)の裾を引っ張っている。


「クッソがぁあ!! なんだよ! だれだよ! 俺の『天国(スローライフ)』を奪おうとするヤツは!? ぶっ殺してやるぅう!!」


「……びょ、病気なの」


 恥ずかしそうに顔を染めてフイッとそっぽを向くリッカ。


「うるさい! 生意気な"ベッド"め!」


 俺は叫びながら、リッカから離れると、また湖の冷水で顔を洗う。急に目の前が赤くなってきたんだから仕方ない。※アード、血涙。


 このポンコツ使い魔は俺の気持ちを理解してくれない。完璧な生活が脅かされそうになっているのに……、お前が照れてる時間なんか1秒もない。


 俺の使い魔なら、「心配ないの。大丈夫なの」とか言いながら俺を安心させやがれ!


 ……薄々、気づいていたんだ。アリスみたいな"真面目ちゃん"……。『何かあった』のに、俺に大人しく抱かれているはずがない。


 嫌がる事はないかもしれないが、


「今も苦しんでいる人たちがいるのに、私は……」


 なんて俺との"行為"を後悔されたらたまったものじゃない。いや、無理やりにでもしようものなら、


 "……旦那様には付き合いきれません"


 なんて事もあり得るんじゃないのかぁあ!?


 ふざけろよ! マジ、ありえないからな!

 もうあの頃(童貞)には戻れないぞ、クソが!


 今、考えれば初めてあの吸血少女を目にした瞬間に、危機センサーはビンビンだったはずだ。


 それなのに……、なんで、こうなった!?


 ーー《吸血》って最高!!


 ……ぼ、煩悩か。煩悩なんだな……。

 俺の最大の難敵はいつだって……。


「……主様?」


「リッカ……。お前って"した事"あるのか?」


 言葉と共に視線を向ければ、心配そうな表情はみるみる真っ赤に染まっていく。


「なっ、い……、わ、妾は! よ、よ、4000年も生きてるの! そ、そ、そ、そんなの余裕で、」


「ないんだな……」


「……そ、そもそもなんの事かわからないの!」


「はぁ~……。つまり、お前には、今の俺の気持ちがわからないって事だ。これがどれほどの絶望なのか教えてやりたいよ」


「……だ、だから妾にはなんの事か、」


「セッ○スだ!! セック○の事だ!!」


「…………!! あ、主様は病気なの!!」


「バカめ。わからないフリなんて俺に通じるはずないだろう?」


「……主様の嘘も妾には通じないの……」


「なんだ? はっきり喋れ! モゴモゴ喋るな!」


「……なんでもないの!!」


 リッカは大きな声で叫ぶと、そのまま顔を赤くして何も言わなくなってしまった。


 ダメだ……。リッカを辱(はずかし)めれば少しは気が紛れるかと思ったが……現実逃避しても気分が晴れる事はない。


 ……エールだ。

 エールしかない。


 エールを浴びるほど飲んで、意識を失う事でしか我慢できそうにない。いっそのこと、意識を薄れてるフリをしてアリスと、


「……旦那様」


 声の方へと視線を向けると、張り詰めたようなアリスの無表情。



 想像以上に重たい話だったのか?


 ……あぁ。こんな事ならアリスの無表情から感情を察知できなければ、知らないフリが出来たのに……。今日もダラダラと引きこもっていればこんなことには……。


「話は終わったのか?」


「はい。どうやらルフの街に"研究施設"があるそうで、彼女はそこから逃げ出し、旦那様と出会ったと……」


「……そうか。とりあえず、ラフィールでランドルフとガーフィールに合流だな」


「……」


 アリスは綺麗な紺碧の瞳を少し見開く。


「ん? どうした?」


「いえ。私たちの結論と同じでしたので、話をお聞きしていたのかと思いまして……」


 アリスは小さく呟くとパチパチと瞬きする。


 とてもじゃないが、エールが飲みたいだけなんて言ってられないようだ。そして、甘い雰囲気になる事もなさそうだ……。


「どうかなさいましたか?」


 アリスは小首を傾げて俺を見つめる。


 こ、こんなに可愛いのに……。


 ク、クソがッ!!!!

 もうやけ酒だ。飲まないとやってられるか!!


「……いや、話は聞いてない。経験豊富なヤツらの意見が必要かと思ってな」


 余裕の笑みでカッコつけてしまう自分をぶっ殺してやりたい。


「……はい。帰りましょう」


 無表情のまま、じんわりと頬を染めるアリスは、ハッとしたように"聖女顔"に戻り歩き始めた。


「……あぁ」


 俺は小さく呟き、深い深いため息を吐いた。

 禁欲生活の幕開けの予感。


 ……風呂とキスくらいはいいよな!?

 え? だめ? ……誰かいいって言ってくれぇ!!


 俺は心の中で叫びながら、アリスのプリプリお尻の後を追った。


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