第60話 〜不穏な影〜



   ◇◇◇【SIDE:シルフィーナ】



 ――ラハルの森


 ウチの言葉に全員が固まった。

 でも、知ってるんだから仕方がない。


 この吸血鬼さんの顔の中に、"遺影"でみた小さい女の子の面影が残ってる。

 

 あれはルフを訪れてすぐだった。


 ウチが9歳の頃だから10年前。ルフの街では領主様の令嬢と令息が亡くなり、盛大な葬儀が行われてたんだ。


 "原因不明"の流行病。


 ルフに住む多くの人々が次々に亡くなり、街行く人たちはみんな下を向いて歩いていた。


 ――ここにしよう、シルフ。1人でも多くの人が"笑顔になれる"酒場を……。


 悲しみに包まれる辺境都市。

 パパはそう言ってルフに「ラフィール」を作ったんだ。


「……"疫病"……ですか……」


 アリスさんは無表情で小さく呟く。


「はい。よく覚えてます。いまから10年前です! ルフに定住する事を決めて、ラフィールを作るきっかけになったので……」


「……そうですか。おそらく王都に情報が届いていないですね」


「……えっ、と……嘘じゃな、」


「わかっていますよ。シルフさんがこんな嘘を吐くはずがありません。……私の勉強不足の可能性、」


「そんなはずない!!」


「カレン……」


「アリスが勉強不足なんて事は、絶対にないよ。でもシルフちゃんが嘘を吐いてないのもわかってる! きっと、王都に報告がなかったんだ!」


「……"意図的"にでしょうか……?」


 アリスさんの一言に、その場が凍る。


 もし、そうなら……。


 ゾクゾクッ……


 背筋にひんやりしたものが走る。


 疫病の終息のきっかけは、病に伏せていたジュリミナード家の長男が自らを実験体として薬の開発を行った事だった。


 "今のルフ"は、辺境都市ならではの独自の統治が行われている。


 奴隷制の撤廃と良心的な税。

 誰もが住み良い、美しい都市。

 裏路地には飢えや貧困に苦しむ人もいない。


 それを築いた"ルフの救世主"。

 自らを実感体として、疫病の終息のきっかけとなる新薬を作った"天才薬師"。


 ジュリミナード侯爵家、最後の1人にして、ずっと表舞台には出ていなかった長男……、現領主"ローデン・ディ・ジュリミナード"。


 いつもニコニコと笑顔を絶やさない名領主。

 住人に好かれ、時おり街に降りては様子を気にかけてくれるような"善人"。


 ついこの間……、アード君たちがダンジョンに向かっていた時に「ラフィール」に訪れた、"あの人"が……? 


 そういえば、あの時のパパ、少し様子が変だった。


 まさかとは思うけど……。


 ウチの頭に"最悪"がよぎっていると、


「グスッ……うぅ……」


 隣から小さな泣き声が響く。


 大きな大きな色の違う両方の瞳から、大粒の涙を垂らしながらも、ゴシゴシと目元を擦っている姿に胸がぎゅッと締め付けられる。


「……ミ、ミザリーお嬢、」


 思わず抱きしめようとするけど、


 ポンッ……


 アード君が"彼女"の頭に手を置いた。


「ハハッ、泣いてばっかだな、お前は」


 言葉とは裏腹に優しい声色。

 ウチの心臓は意識せずともトクンッと音を立てる。


 ……なんでアード君はいつも、"こう"なんだろう。


 彼女はアード君を見上げると、また大粒の涙を瞳に溜める。


「……ごめん、なさい……」


「……何に謝ってるんだ? 言っておくが、俺は別に怒ってはないし、お前の過去にも興味がない」


「……うっうぅ」


「領主がどうだとか、その"疫病?"の事も、俺は一切興味がない。そんな事より……、『今』のお前は何を考えてるんだ?」


 アード君は真っ直ぐに少女の瞳を射抜き、彼女も視線を外す事なく、ボロボロと涙を流している。



「……あたし、あた、しは……、"ミザリー・ディ・ジュリミナード"です……。『ゼロゴー』じゃありません」


「……俺は"アード・グレイスロッド"だ。確実に『イイヤツ』じゃない」


「……うっ……、あ、あたしは……、な、泣いている場合じゃありません」


「……じゃあ、頑張らないとな」


「……はい……うっうぅ……」


 ポンッ、ポンッ……


 アード君は軽く頭を撫でるだけで、何も言おうとはしない。


 ……なんて厳しくて、なんて優しいんだろう。

 寄り添う事だけが優しさじゃない。……ウチだったら、釣られて泣いてしまってたかも。


 ウチが抱きしめたところで何もできない。

 彼女は、一緒に泣いてくれる事を望んでるわけじゃないんだ。


 でも、"この子"の泣き顔は、なんだか痛いんだ。必死に我慢しても、抑えきれずに涙が出てしまっているように見えちゃう。


 きっとアード君は、カレンさんやアリスさん、そしてウチに釘を刺した。


 "同情"が入り口にならないように……。

 彼女がジュリミナード家の令嬢であり、1人の"人間"であることを。

 

 いつだって、アード君は『今』と向き合ってる。


 口ではいくら憎まれ口を言ってても、誰よりも『今』の相手と向き合おうとするんだ。


 誤解される事も多いけど、誰よりも相手の内面を見てる。


「……あたし、あた、しには……、弟が、います……。たくさんの苦しんでいる人を……知っています。だから……、助けたい……」


「……」


「あたしは、"元人間"です……。元、人間のはずなんです。"アイツ"がお兄ちゃんを殺して、何もかも奪い去って、」


「俺に難しい話をするな。勝手にしろ。自由に、思うがまま生きればいい! お前の"飢え"は俺が解消してやるから」


「……"お兄さん"……」


「……"アード"だ。……"ミザリー"、腹が減ったら言うんだぞ? それから……俺以外の人間の血は絶対に吸うなよ?」


「……はい、"アードさん"」


「ふっ……、じゃあ、アリス、カレン、シルフちゃん。俺はちょっと水でも飲んでくるよ! 何かあれば言ってくれ」


「……はい、旦那様」


 少し微笑んでいるようなアリスさんの返事を聞くと、アード君は湖の方へと歩いて行く。リッカちゃんは何もいうこともなく、トコトコと後ろについて行ってしまった。


「お前も残ってていいぞ、リッカ」


「……迷子になられたら迷惑なの」


「ふざけろ! すぐそこだぞ!」


「主様なら余裕なの」


「お前、さっきと言い、今といい……。覚悟できてるんだろうな……?」


「……で、できてないの!」


 2人の会話が遠のいていくと、アリスさんは片膝をついてミザリーお嬢様と視線を合わせた。

 


「……私は"アリステラ・シャル・フォルランテ"と申します」


「……はぃ」


「私たちは、ルフ周辺の村カーリャで、『子供たちの神隠し』に遭遇し、その手がかりを探っています」


「……うぅっ、うう……」


「何かに巻き込まれているのであれば、絶対に助け出したいと考えております。……よろしければ、何か知っている事はございますか?」


「……はい。知って、います……」


「知って、」


 カレンさんの言葉をアリスさんは手で静止すると、スッとハンカチを取り出し、


「教えて頂けますか? ……その代わりと言ってはなんですが、"あなたの助けたい人々"を救う事、微力ながらお手伝いさせて頂きますので」


 優しく少女の涙を拭った。


 アリスさんの表情に変化はない。いつものような無表情……、でも、優しく包み込むようなオーラを放つ姿は、人ならざる美しい女神のようだ。


 "ミザリーお嬢様"が救いたい人たちと、アリスさんやカレンさんが救いたい人たちは一緒……だよね……?


 言葉の選び方にアリスさんの優しさが見え隠れする。


 ……ウチは、本当にまだまだだ。

 ウチにできることなんて、本当に些細な事しかないんだろう。


 ここにいていいのかな?


 ううん……、ウチにできる事もきっとあるはず。それに、ここまで知っちゃってジッとしてる事なんてできないよ。

 


 スッ……



 ウチは腰に装備しているママの剣にそっと触れて、長く、ゆっくり息を吐いた。


 

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