第59話 笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。
※※※※※
湖から上がると、圧倒的で暴力的な顔面のいい女性たちにたじろいだ。
アリス、カレン、シルフィーナ、リッカ、そして"吸血少女"……。
「旦那様……服を……。カレン、ここで旦那様と合流できたのは僥倖(ぎょうこう)です」
アリスの第一声と無表情に、俺は息を呑んだ。
シルフィーナ、吸血少女は俺と同じ反応を見せ、カレンはハッとしたように真剣な表情を浮かべる。
リッカはアリスを見つめて首を傾げた。
この場合はリッカを見ていればいい。
アリスは怒っているのか、拗ねているのか、困っているのか……。正直、"わからない"。
この1ヶ月で培った妻の表情の機微がわからない。
ま、まあ、多少は拗ねてくれないと? その分、今夜は互いを貪り合う的な事もあるんじゃないでしょうかねぇ……。
よりアリスの"心"を理解するには、言葉に滲んだ感情を感じ取る事ができるリッカを注視するのが一番なんだが……、
「……アード様、『この子』は……?」
さっきまでバカヅラだったくせに、何やら神妙な顔をしやがる"勇者"が目の前に立つ。
「吸血鬼(ヴァンパイア)らしい。俺の血をやったんだが……?」
「……リッカちゃん。元からこの魔力量だったのかな? それとも、アード様の血を飲んで、急に魔力量が跳ね上がった?」
「……後者なの」
「「「「…………」」」」
急に訪れた静寂に、鳥の囀りが森に響く。
明らかにカレンのターンなんだが、ジィッと俺を見つめるアリスから視線が外せない。
いつものように顔を赤くしない。
無表情はいつも通りだが、困っているような、悩んでいるような、不安気な印象だ。
まさか、俺が《吸血》行為の快楽に溺れていたのを見透かされているのか……? 他の女に喘ぎそうになった俺を責めているのか……?
「……べ、別に気持ちよくなかったぞ……?」
俺は思わず視線を外しながら、そんな事を呟いた。
俺がアリスの様子を横目に見ると、小さく首を傾げる姿なんだが、……かわいい……じゃなくて、もうわからん!
それよりも、自分の尻尾で口元を隠しているリッカが舐め腐ってる。
「リッカ……、お前、マジで後で覚えてろよ?」
「……い、いやなの」
フイッと視線を外しながらも、尻尾をフリフリとさせる"腹黒使い魔"。コイツはマジで、ベッドのくせに生意気だ。
……あとで本気で泣かしてやる!!
俺はワナワナとリッカを睨むが、いつも騒ぎ立てるカレンからの声がない。「ん?」と様子をうかがえば、カレンは少し顔を青くさせて短く息を吐く。
「……そっか。……吸血鬼(ヴァンパイア)」
「……はっ?」
「僕とアリスは今日、周辺の村で"子供の神隠し"に遭遇したんだ。大人達は誰も気が付いてなかった。ルフ周辺に吸血鬼が巣食っているなんて、聞いたこともない。……もしかしたら、この子も……?」
カレンの"勇者顔"に軽く笑いそうになる。
いつもバカみたいに騒ぐくせに、真剣に何かを考えているカレンの顔に思わず笑いそうになってしまったのだ。
「僕たちの知らないところで、何者かの毒牙が喉元を狙っているのかもしれない」
カレンのくせに……。「毒牙」とか言うな。
カ、カレンのくせに……ククッ……。
おそらく「何か」があって、カレンはカレンなりに必死に解決に向けて考えているのだろうが、重くなって行く空気感と見慣れない"勇者顔"。
話の内容は一切頭に入って来ないのだ。
この笑ってはいけない雰囲気と、無駄に整いすぎているカレンの顔。顎に手を当てて熟考している姿は、正直、アリスに負けずとも劣らない絶世の美少女なのだが……、
な、なんだよ、それ。
その、いかにも「考えてます」のポーズやめろ!
ツッコミだしたら止まらなくなってくる。
「……!!」
カレンは何かに気がついたように、ハッと真紅の瞳を揺らすが、
……も、もうやめてくれ。
インテリぶらないでくれ……。
バカのくせに、結論に辿り着いたみたいな顔をしないでくれッ!!
「近くに吸血鬼の根城があるのかな……? みんな連れ去られて吸血鬼にされてる……?」
「可能性はあると思うの。この小娘は"混じってる"。主様の血を飲む前から、そうだったの」
「……そっか。リッカちゃん、他に気づいた事ある?」
「魔力量は魔将王と同等。使い方を知っているのかどうかもわからないの」
「……まずは"この子"の処遇をどうするのかだけど、」
「カレン。こちらで保護した方が良いですね。旦那様やリッカさんのそばが1番、安全で安心でしょう」
「……そうだね。ラン爺の意見も聞きたいな。この子が何者なのか、どこから来て、なぜここにいるのか……。子供たちとの関係も……。悪いけど拘束してルフに、」
カレンの真剣な真紅の瞳が少女に向かうと、すかさずリッカと、シルフィーナが一歩前に出る。
「もう主様が拾ってしまったの。"悪さ"はさせないし、しないと思うの」
「……そ、そうです。なんだかとても苦しそうで、さっきまでずっと泣いてて……、えっと、ウチはよくわからないんだけど、そんなに悪い子には見えないです」
「そもそも、本当に"吸血鬼なのか?"はわからないの」
「『白髪に紅(くれない)の瞳。陶器のように白い肌に、鋭利な牙』……。確かに文献で見た特徴とは一致しない部分もありますね」
「……わかった。……えっと、ごめんね? 拘束はしない。けど、ひとつだけいいかな……?」
カレンは片膝をつき、ずっと微かに震えてオドオドしていた吸血少女と目線を合わせると、
「……僕は勇者"カレン・ユーリ・オリエント"……。君の名前は?」
ガラス玉のように綺麗な真紅の瞳を怪しく光らせる。
チュンッ、チュンチュンッ……
静寂の中小鳥の声が辺りには響く。
みんなが真剣に議論している。
きっと吸血少女の次の一言は重要なものなんだろう。
この場の者は皆、カレンの動向を気にかけている。
アリスは無表情で「なにか」を深く熟考しているし、リッカは少し眉間に皺を寄せて、吸血少女の次の言葉を待っている。
シルフィーナは不安気な表情でキョロキョロと表情をうかがい、吸血少女は悩ましい表情を浮かべている。
「……君は誰なのかな?」
緊張したようにゴクッと息を呑み、吸血少女に声をかけるカレンの表情。
プルプルッ……プルプルプルッ……
俺は口内の肉を食いしばり、身体を震わせながら、吹き出してしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。
な、なんで、みんな、笑わないんだ……?
爆笑もののシーンだろ?
「……言えないのかな?」
も、もう、やめろッ……!!
俺は死ぬほど笑いそうになっていた。
……いや、お前が誰だよッ!
顔、キリッとして、目をグッとするなッ!!
いや、笑ってる状況じゃない。
それはわかっている。アリスの無表情も、リッカの険しい表情も、きっと吸血少女の次の一言は重要なものなんだろう。
それはわかる。
それはわかってるんだ。
ここは、みんなで『何があったんだ?』と真剣に考えるところなんだろ?
いや、わかってる。そういう空気だ。
それに、俺も表面的にはめちゃくちゃシリアス顔をしている。
って……、俺まで、なにしてんの?
プルプルッ……プルプルッ……
自分の顔を客観的に想像してしまい、この状況が更に面白いものになってしまった。
「……あたしは、"ミザリー"……です……」
怯えたような吸血女の一言に、
「……うん。そっか……」
返事をしながらニコッと微笑んで、吸血少女をフワリと抱きしめたカレンに俺はもう限界寸前だ。
「……うん。そっか……」じゃないだろ!
ちょっと間を取るなよッ!
名前がわかったからってなんなんだよ!!
「……お、俺、少し……、水を飲んで、」
その場から避難しようとする俺の言葉を、
「その綺麗なピンク色の髪……って……、ミ、"ミザリーお嬢様"……?」
シルフィーナが遮り、大きく目を見開いた。
「……」
同様に大きく目を見開いた吸血少女、いや、"ミザリー"。
「……え、"疫病"で亡くなったんじゃ……?」
シルフィーナは顔を引き攣らせ、アリスは俺にしかわからないように口内の肉を噛み締めた。
"めんどくさいセンサー"がビビッと発動すると共に、俺は急速に冷めていく。
えっ……? なに?
"疫病"? それに、軽く聞き流していたが、"カレン・ユーリ・オリエント"……?
『オリエント』……? はて? この王国と同じ名前じゃないか……?
……ふっ……。
あれ? なんだろう、この気持ち……。
なんか、エール、飲みたいんだがッ!?
俺は苦笑しまくりながら、秒で現実逃避を図った。
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