第52話 〜え、あっ、えっと〜


   ◇◇◇【SIDE:シルフィーナ】



 ――ラハルの森



「冒険者ならではの水浴びには掟があるんだ。パーティーメンバーで汚れを洗い合うっていうのが決まりなんだけど……」


「……えっ?」


 アード君の言葉にウチはビクッと身体を震わせて顔色をうかがう。アード君の表情は真剣そのもの。


 えっ、あっ、ちょ……、さ、さっきの、ものすごく速いゴブリンを討伐した時より、真剣なんだけどぉ!! 


 漆黒の瞳はやけに色っぽくて、ウチは顔に熱が湧いてきた。




   ※※※※※




 つい先程の戦闘。


 そのあまりに圧倒的な武力にウチは、声も出なかった……。


 ただ目が離さなくて、自分には向けられた事がない……いや、見たこともないような冷酷な漆黒の瞳から目が離せなかった。



 正直、少し怖かった。

 アード君がアード君じゃないみたいで。

 目で追う事もできないような魔物を軽く捻り潰す姿は、酒場で可愛らしい笑顔を絶やさない姿とは対照的で……、


 カッコよかった。


 冷たい瞳も気怠そうな表情も。

 魔物を嘲笑する呆れたような笑みも……。


 それは間違いないのに少し怖かったんだ。



 触れてはいけない存在(もの)。

 人智を超えた神々しい存在(もの)。

 ただの酒場の店員が見てはいけない存在(もの)。



 神様は残酷だ。

 頭で理解しちゃった。


 『アード君の隣に立つ』


 自分が踏み出した一歩が、どれだけ険しいものなのかを。



 それなのに……、


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……


 身体は……、ウチの心臓は、どうしようもなくアード君を愛してると言っている。


 息が詰まるほどの光景に、ただ圧倒され、涙を堪える事しかできない自分が悔しくて仕方なかった。


 いいんだ。わかってた。

 これが、ウチの現在地。

 大丈夫、ちゃんとわかってる。



 ――シルフちゃんは強くなるよ。



 この一言だけが、ウチが一歩を踏み出す力になる。この一言だけが、ウチが目指すべき指針となる。



 目指す場所は変わらない。

 変えられない。

 ウチは誰よりもアード君の隣にいたいんだ。



 誰よりも速く駆け上がる。

 誰よりも努力してみせる。



 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……


 この壊れたように脈打つ心臓が、ウチに力をくれるから……。



   ※※※※※



 そう決意を新たにしていたのに……、"突然の異臭騒ぎ"がそれを吹き飛ばした。


「じゃあ……、脱いでくれる?」


 湖に到着するやいなや、『いつも通り』のアード君のペース。


 自分の匂いもかなり気になってはいるし、すぐにでも身体を綺麗にしたいけど……。


 ま、待って!! "冒険者の"? "水浴びの掟"? "身体を洗い合う"? そ、そんな事、聞いたことないんだけどっ!


 "脱いで"って……、どこまで!? 全部だよね!? えっ、あっ、……ちょ!! どうすれば!?


 掟っていうのは、嘘だろうけど……、こ、ここは信じたフリをして、お互いに身体を洗い合う……って恥ずかしすぎるよ! こんな明るい場所で!!



 湖は日差しが反射して、キラキラと輝いている。



 ゴブリンの返り血で服がベタベタで気持ち悪いけど、アード君の目の前で、自分で服を脱ぐのは、流石に恥ずかしいし……、汗も掻いてるし、血塗れだし……。


 もう鼻が麻痺してるのか、気が動転しているのか、匂いも気にならなくなっちゃったし……、いや、でも、クサイよね……?


 モジモジとするウチの様子をジッと見つめ続けるアード君は、少し鼻息が荒くなってるような気がする。



「ちょ、ちょっと待ってね? な、なんだか恥ずかしく、」


「シルフちゃん! これは冒険者の掟なんだ!! それに、装備や衣類を《縮小(シュリンク)》したら、とんでもなく洗濯が早く終わるんだよ!?」


「えっ、あ、う、うん……。で、でも、ちょっと心の準備、」


「そんなものは必要ない!! シルフちゃんはもっと誇るべきだ!! 君のその身体を!!」


「……!!」


 う、うぅ……。


 ア、アリスさんはいつも一緒にお風呂に入ってるって……、それに、それ以上だってしてるって……。


 うん。ウ、ウ、ウチだって、ははは、裸の一つや二つ!!


「わ、わかったよ!! べ、べ、別に冒険者の人達なら、"当たり前"なんだもんね!?」


「そうだ! その通り!! 一枚ずつゆっくりと脱いでくれ!」


「……えっ?」


「あ、いや、違う! 違わないけど、違う!! さ、さぁ!! どうぞ!!」


 アード君はズイッと一歩前に出て、ウチの前に立つ。


 こ、これで嘘をつけてると思ってるのかな?


 で、でも、"冒険者の掟"なんだから。

 アリスさん。冒険者の掟だからっ!! って、いやいや、えっ、と……、


 ウチは顔にとてつもなく熱を感じながら、自分の装備に手をかけるけど、アード君は瞬き一つしない。


 こ、こんなの無理だよぉお……。


「ちょ、ちょっと、アード君!! 後ろを向いててくれるかな? そんなに見られてたらウチ、ちょっと恥ずか、」



 クルッ!!



 尋常ではないスピードで後ろを向いたアード君はすかさず口を開く。


「これは普通の、当たり前の事なんだ!! でも、最初は少し恥ずかしいだろう! 俺は紳士だ!! さぁ! どうぞ!!」


「……アリスにいうの……」


「リッカ!! お前は黙っててくれ!! これは"神聖な儀式"だ! ……ん? ……ア、アリス……? アリス!!」


 アード君は今、思い出したかのようにアリスさんの名前を叫ぶ。


 え、いや、ちょっと待って!!

 きゅ、急に冷静になんて、ならないでよ!!


 ウチはもう……。



 ガシャん……



 慌てて装備を脱ぎ、下着姿になったウチ。


 アード君とリッカちゃんは脱いだ装備が落ちた音で、クルッと振り返る。


「……し、下着は、よ、汚れてないから……」


 ウチは小さく呟いた。


 もう恥ずかしすぎて……、でも、アード君の気を引きたくて、リッカちゃんにそれを見透かされるのが怖くて……、こんなズルい自分も恥ずかしくて……。



「……く、黒かッ!!」



 アード君はそう叫んで綺麗な漆黒の瞳を血走らせ、リッカちゃんは驚いたような顔でウチの身体を無言で見つめる。


「え、ちょ、アード君!? リ、リッカちゃん!?」


「そ、そ、想像以上の破壊力だ……!!」


「……シルフ、えっちなの……」



 カァアア……


 ウチはもう本当に恥ずかしくて、……もうどうすればいいのかわからなくて、透き通る綺麗な湖に飛び込んだ。



 パシャんッ……


 水はとっても冷たいけど、ドクンッドクンッと心臓がうるさいし、2人の方を見れなかった。



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