第39話 〜『リッカ』〜


―――88階層



【side:ランドルフ】



 ……後ろにいる"九尾"。

 やはり『クラマ』であったのか……。


 極東には"決して溶けぬ氷"に包まれた都市があると読んだ事がある。


 放つ冷気は禍々しく、ずっと吹雪(ふぶき)。

 人間は立ち入ることも出来ない死地。


 気候にさえ干渉する9本の尻尾を持つ妖狐。



 "白氷の九羅魔(クラマ)"。



 禁書庫の文献でチラリと確認しただけじゃが、まさかこの王国におったとはのぉ……。


 その存在はカレンやアリステラですら知らない。


 "賢者"という肩書きを持ち、さまざまな王国の"禁書"を閲覧できるワシでしか知り得ない存在が目の前に……。



 ぉおおおおお!! ワシの研究意欲が滾(たぎ)るぞい!! もしかしたら、アードに関してもワシ以上に理解しておる部分があるのかもしれん。



 魔法談義したいんじゃが……?

 いや、それよりも、さっきのアードの腹を喰らったグリムゼードの攻撃は……?


 ぐぬぬ……。わ、わからん!!


 分からん! 知りたい、知りたい!!


 ワ、ワシ、もうお主に夢中ぅぅうじゃああ!!



「……妾は"リッカ"なの……」



 消え入りそうな小さな声が後ろから聞こえる。振り向き、その表情を伺いたいのに、それは叶わない。



「フォッフォッ! "リッカ殿"! 『喋る"肉片"』の言葉など捨て置くとよいぞ?」


「……」


「アードが其方(ソナタ)に跨って現れたんじゃ。"ワシら"はリッカ殿に感謝しかない。ありがとのぉ……アードを連れて来てくれて」


「……あなたも"畏れ"ないの。本当に……、なんなの……、主様(あるじさま)は……、妾の主様は……、」




キュオオオオオオオン!!



 巨大な咆哮が響く。

 "声しか出せぬ"グリムゼード。


 耳を塞いでアリステラの胸を見つめるアード。


 無表情で小首を傾げるアリステラは、少し前……、アードと出会う前とは比べるまでもないほど"感情"を持っておる。


 カレンもアードが来るまでまでは見違えるように成長しておった。



スッ……



 冷気を纏うリッカ殿がワシの視界の端に入ってくる。


 真っ白の毛並みに9本の尾。

 汚れ1つない毛並みはひどく美しい。



「クラマァア!! 早く……早く、我に魔力を!! 寄越さなければ、許さぬぞ!! "アジダハ"を暴走させ、」



ピキピキッビキッ……グザッ!!



 グリムゼードの言葉を遮るように氷柱(ツララ)が、獅子の腹に突き刺さる。



「……妾に命令していいのは……、"主様だけ"なの」



 おそらくは長い年月を生きているであろう"白氷の九羅魔(クラマ)"はそう言って薄く微笑んだ。


 なんだか嬉々としているような九尾の笑みは、まるで幼子のように無邪気な物だ。


「こら! "リッカ"、殺すなよ! カレンが討伐するんだからな!! 大人しくしてろ!」



 アードの声が聞こえると、フイッとそっぽを向きながらも、


「……はいなの、主様」


 おそらくはアードに聞こえない声で呟いた。



 フォッフォッ! 何をどうやって手懐けたのかは知らんが……、本当に罪の多い男じゃのぉ……アードは。


 

 ワシはグリムゼードなどどうでもよくなり、(アードに聞きたい事が山ほどあるわい)と頬を緩めながら、先程のアードの戦闘を反芻し始めた。




※※※※※【side:リッカ】





――"死人"に囚われてなんになる? ソイツだって、お前がそんな暗い顔してたら『迷惑だ!』って言うに決まってる。



 つい先程の言葉を思い返しながら、主様を見つめる。


(妾を叱るなんて、本当に……)


 妾は少し口を尖らせながらも、どれだけの長い時間が経っても、片時も忘れる事のなかった"親友の死"を、鼻で笑った"異形"の笑顔を思い返していた。


 


〜〜〜◇「No.28 ダンジョン」92階層◇



【side:"クラマ"】



 

ズズッ……



 少し上の階層でグリムゼードのオーラに目を覚ました『異形』は妾を見据えると、パッと頭を下げた。



「なぁ、"上"に連れてってくれ……。お願いだ」



 妾は絶句して大きく目を見開いた。


 これだけの"力"を持ちながら、こんなにも簡単に頭を下げられる"人間"。


 "人間"という種族は傲慢で強欲で……、とても醜く欲深い。


 きょ、"脅迫"しないの? それだけの力がありながら……? なぜ、頭を下げられるの……?


 長きに渡る"生"の中で刷り込まれた凝り固まった頭を容赦なく壊してくる。



「妾は……、妾は……」


「俺ってヤツは場所はわかってても、きっと辿り着けない。確実に迷う自信がある!!」


「な、馴れ合う気はないの……」


「ふっ、別にそんな事は求めてない。……俺のパーティーメンバーは何があっても死なせはしない。どんなクズやバカでも関係ない……。俺が『加入中』のパーティーで死人を出す事を、"俺"は絶対に許さない」


「……」



 彼はスッと手を前に出して妾の頭に優しく触れる。



「《縮小解除(シュリンク・オフ)》……」




ズワァアッ!!



 消えたはずの魔力が蘇り、妾は更に目を見開く。



(な、何を考えて……いるの? 本当になんなの? この場で妾を回復させるなんて、)



「もちろん、お前の望みを言えば、可能な限り叶えてやる」



 "圧倒的強者"からの申し出に、すぐに頭をよぎる物がある。


「……じゃ、じゃあ! 妾の親友を殺した"クソトカゲ"を屠って欲しいの! アイツさえ消せれば、妾はやっと『平穏』を……!! 君の力があれば、簡単に、」


 ふと感じた寂しそうな漆黒の瞳に、妾は言葉を止める。


「"復讐"か……。ふっ……、そんな事でいいのか? その"クソトカゲ"が何かは知らないが、屠ってやる。早く上に連れて行って、」


「ま、待つの……!! なんなの!? 妾の"大切な人"を奪った報いを与えるの! 絶対に、許さないの! 絶対に、あのクソトカゲだけはッ!!」


「わかった、わかった。"トドメ"はお前に譲ればいいんだろ? お安いご用だ。"そんな事"はどうでもいいから、さっさと上に連れて行け」


「……な、なんで"呆れ"るの!? 何で、"憐れむ"の!?」


「……?」


「君、本当におかしいの……。まだ少ししか生きてないくせに、妾に"そんな目"を向けないでなの!!」



キュッ……



「んんっ!!」



 彼は妾の耳をつまみ顔かニヤリと笑う。


「バカめ! 俺は憐れんでなんかない。ただ……、4000年も生きてて、頭が悪いなって思っただけだ!」


「……て、手を離すの!!」


「"死人"に囚われてなんになる? ソイツだって、お前がそんな暗い顔してたら『迷惑だ!』って言うだろうなって思っただけだ」


「……」


「復讐を果たしたってなんにもならない。その大切なヤツが帰ってくるわけじゃない」


「……そ、そんな事、わかって……るの……」



 妾が呟くと彼は耳から手を離し、



ポンッ……



「……イメージしろ。もし、お前の大切なヤツが殺された時……、殺されてたのがお前で、残されたのがその"親友"だった時、……お前は死後の世界でソイツを見つめるんだ」


「……」


「……お前は、生きてるソイツにどんな顔をしてて欲しい?」



 頭に乗せられた手が温かい。

 少し寂しそうな漆黒の瞳はひどく優しい。


 そんなの……、そんなの……。


――クラちゃん!


 笑ってて欲しいに決まってるの……。



「君……なんなの……本当に……」


「……"先輩"だな……"復讐"の……」


 彼は少し悲しそうな笑みで小さく呟き、


「そんな事より、さっさと上に連れて行ってくれよ! さっさとエールを飲みたいんだ!!」


 先程の表情など気のせいであるかのように続けた。



 妾の気持ちを"わかったフリ"をしたわけじゃなく、彼はちゃんと"知っている"。


 彼から一瞬だけ滲み出た「悲哀」が全てを物語っている。



「……だ、誰が殺されたの……? 君にとって大事な人だったの……?」


「……バカめ! 嘘に決まってるだろ! さっさと望みを言え! 誰か1人でも死んでたら、はぐれた俺が悪いみたいだろ? そんなのは死んでも嫌なんだよ」



 妾に"嘘"は通じない。

 いくら隠した所で感情が流れ込んでくるから。


 "焦燥"と"畏怖"。


 堕獣(ダジュウ)を前にしても、魔力を解放した妾と対峙しても、一切感じ取れなかった2つの感情。


 きっとこの人は、"失う事だけが怖い"の……。


 素直に「早く助けに行きたい」とは言わないところ……。そんな事は決して口にはしない見えっ張りなところは、いかにも人間らしい……。



 人智を超えた『力』の"持ち主"。


 「あのクソトカゲを殺したい」


 それしかなかった妾は、今、"初めての欲"に包まれてる。


 「この人の側に居たい……」


 理由はわからない。


 けど、この人の過去を知りたい。復讐を終えた"彼"が何を思い、何をするのか見ていたい。


 妾の"復讐"は"それ"を見てからでも遅くないの……。



「妾を……、妾を"使い魔"にして欲しいの」


「……はっ?」


「……復讐するとしても君の力は借りない……の」



「……ハハッ!! いいぞ? このモフモフが俺の物って事だな?! よし。俺の"ベッド"にしてやる!!」


「ち、ちがっ! 妾を側に置いてくれるだけでいいの!!」


「ふっ! バカめ! それが"ベッド"になるって事だろ? ハハハハッ!」


「……ほ、本当になにを、」



ヒョイッ!



 妾の背に飛び乗り言葉を遮ると、


「よし! いいぞ! 早く行ってくれ!」


 妾に行動を促した。


 な、なんなの……。本当に……。妾に対して、なんでこんなにも『普通』なの……?


 これまでの"人間達"からの仕打ちが頭に蘇りながら、言いようのない感情に包まれつつも指示に従う。



「……で? お前の名前は?」



 駆け出した妾に彼は背中から問いかけてくるけど……、

 


ピクッ……



 妾は押し黙る事しか出来ない。



――"九"つの尾を持つ、修"羅"の"魔"物!! 逃げろ! "災いの権化"だ!!


 『不名誉の名前』。

 自分が畏れられる存在だと認めた"諦めの象徴"。


 『九羅魔(クラマ)』


 だけど……、



「おい! 聞いてるのか? 名前だよ! "おい"とか"お前"じゃ、なんか変な感じだろ?」



 ……もう、この名前はもういらないの。



「……な、名前はないの。き、君に名付けて欲しいの……」


「……ん? 名前ないのか? お前、"なかなか"だからあると思ってたけど……。そっかぁ〜……うぅ〜ん……」


「……」


 トクンッ、トクンッと心臓が音を立てる。緊張? 不安? 拒絶されるような"名"を与えられる事への畏怖が身体に充満する。


「あっ、じゃあ、お前は『リッカ』だ! どっかの国で"雪"とかそんな言葉だろ? お前の綺麗な白い毛並みにピッタリだ!」


「……妾……"リッカ"……」


「なんだよ? 嫌なら自分で決めろ!」


「ううん。いやじゃないの……。よろしくなの……。"主様(あるじさま)"!」


「ふっ……、よろしくな、"リッカ"」



 "主様"はそう言って笑うと妾の頭を撫でてくれたけど、ハッと思い出す事がある。



「……わ、妾、"ベッド"じゃないの! 主様の側で、主様の事を理解したい、」



キュッ!



「ひゃあッ! んっ……。み、耳はやめてなの!!」


「ハハッ! 急げ! リッカ! 早くしないと耳をこねくり回すぞ?」


「そ、それはダメなのぉお!!」



 妾は、主様の"大切な人達"の元へと加速した。



〜〜〜〜〜



 グリムゼードを相手に、あまりに一方的な蹂躙。グリムゼードは決して弱くないけど、"これ"は必然。


 "相手"が悪すぎるの。

 だって……妾の"主様"なの。


 本当は妾も駆け寄りたい。

 もっと近くで、今何を考え、何を望むのか知りたい。


 主様が話す声は聞こえない。


 "ここ"じゃ、滲んだ感情を読めないの……。

 『大人しく』なんてしたくないの。


 ……妾も……。


 抱いた事のない感情に、"理解できない存在に対する探究心"なのだと蓋をする。


 そんな物じゃないのはすぐにわかったけど、それは、まだ、見て見ぬふりをした。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る