第28話 舌戦の裏で……
―――50階層
「……"グリムゼード"で間違いないのぉ?」
炎影狼(フレアシャドーウルフ)から姿を現した1mほどの魔石から発せられる声と、"聖と闇"を併せ持った魔力。
(フォッフォッ……、これが力の一端じゃとして……、現物は……)
ランドルフはゴクリと息を飲み、そのふざけた魔力量に(流石は世界に7体しかおらん"魔将王"だ)と警戒する。
ゴブリンから採取される魔石は3cm程度。アードが簡単に屠ったが、この魔石の質量……、先程の"魔狼"は「SS-」と査定されてもおかしくはなかったようだ。
ランドルフは先程の魔狼への考えを改めながら、
(アードが異次元すぎて、冷静な判断が下せんわい……)
などとニヤッと頬を緩めた。
「このダンジョンから無数の魔物が溢れかえり、多くの民の生命が奪われた……。人類は悪に屈しない! 僕達は貴様を必ず討つ!」
カレンは氷華(ヒョウカ)と防御系の神技を持つ聖剣"リジル"を持ち、魔石に声をかけた。
ランドルフは一瞬の機微を見逃さないように魔石から視線を外す事なく観察し、《思考加速》を展開させながら、あらゆるパターンを想定する。
『歴代最強と名高い勇者。様々な魔法を操る賢者。全てを癒し浄化する聖女。"下等種族"とはいえ、素晴らしい組み合わせだ……』
「……それがなんだ!? 今更後悔したところで、失った民の生命は帰らない! 貴様を野放しにするわけにはいかないんだ! そして……、僕達が負ける事は絶対にない!! こちらには"神"が降臨しているんだ!」
『……』
「そうじゃ! ここで、もう"1人"について言及せぬなど、お前の"底"が透けて見えるわい! そうであろう!? アードよ!!」
ランドルフはアードに意見を求めるように視線を向ける。
「え、あ、いや、うん! お、おう!!」
ランドルフはアードとアリステラを視認した。
そのあまりに現実離れした光景に、
(う、う、うそぉおおん!!)
尋常ではない老け顔で"白目"を剥いた。
魔将王の一人との邂逅。
姿形は本来の物じゃないとはいえ、未だ世界に君臨し続ける絶対強者との邂逅の最中、『自分の妻』の胸に手を当て、バッキバキに目を見開き、「心ここに在らず」のアードにランドルフは驚愕を通り越し、意識を失ったのだった。
※※※※※【side:アリステラ】
「……んっ……はぁ、はぁ……」
うぅぅ……、変な声が出てしまいます。
荒い呼吸を整えようにも……、
――アリスと2人でパーティー抜けるからな!
先程の旦那様の言葉が嬉しすぎて、身動きが取れません! ……《聖約》の効果を信じて下さっている発言だと頭ではわかっているのに、心が嬉々として仕方がない。
モニュッ……モニュッ……
旦那様は私の胸から手を離す事なく、不規則に私の胸を刺激する。
「んんっ……はぁ、はぁ……だ、旦那……様……」
ラ、ランドルフに見られてしまいましたよ? こ、こんな……、こんな時に、こんな所で……。
ランドルフは意識を失い、ピクピクッと私達を見つめたまま固まり、視界の端にはカレンがグッと2本の聖剣を握り直したのが見える。
「ラン爺の言う通りさ! 僕達にはアード様がついている! 貴様がどれだけの強者であっても、敗北する事はあり得ない!!」
『思い上がりも甚(はなは)だしい!! この世には"普遍的"な物が存在する』
「……それには同意するよ……」
『クククッ……、我が絶対強者であるという理(ことわり)だ!』
「違う……。アード様こそが絶対強者であると言う事さ!」
おそらくはグリムゼードが炎影狼(フレアシャドーウルフ)の魔石越しに、こちらに話しているのに、一切会話の内容は入ってこない。
旦那様の大きな手が、私の胸に……。
おそらくは飛散した氷華(ヒョウカ)の氷から守って下さったのだろうけど……。
「んっ……あっ……はぁ、はぁ……んっあっ……」
意図せず漏れてしまう声を必死に堪えるために、口を塞いで動くことが出来ない。
こうして旦那様に"触れられる"のは嫌ではないのに、あまりの恥ずかしさと"疼き"に視界が滲んでいく。
『……ククッ。その"強がり"がどこまで続くのかが楽しみだ!』
「君は"それ"を見れない! "強がり"なんかじゃ無くて、ただの事実だからね!」
『……8本の聖剣に選ばれた勇者よ。自分自身の力も扱いきれぬお前の言葉など、ただの戯言! きたる『最終決戦(ラグナロク)』の戦力として、仲間に引き入れる事も考えていたが、』
「君はここで"生"を終える! それが、この世界の答えで、それこそが全てだ」
カレンの真紅の瞳は鋭く、美しさを倍増させている。普段は緩く、可愛らしいカレンのこんな勇ましい姿……。
旦那様が心を奪われても仕方がない……。
(旦那様……、私を……、私だけを見て下さい……!)
ギュッ……
旦那様の手を更に引き寄せ、カレンから私に注意を引こうと試みるが、こんなズルくて卑しい自分が恥ずかしくて、更に視界は滲んでしまった。
※※※※※
『……確かに、"その者"からは異質な物を感じる。それは否定せぬ。しかし、全てを飲み込む"魔の力"こそが、戦闘力の指針なのだ!』
「……もう御託(ごたく)はいらない。決めよう……、どちらが"正しさを貫けるのか"を……」
『……良かろう。貴様達を媒体として、我の手駒にしてくれる!』
俺はカレンとグリムゼードの会話なんて心底どうでもいい。
ギュッ……モニュンッ……
アリスに手を抱きしめられた俺は、それこそが"全て"だ! せ、積極的だ! 俺の妻は積極的だよ! "神様"!!
心の中で叫びながらゴクリと息を飲む。
(……りょ、りょ、両手でいいのか……?)
おそらく、アリスの行動は"了承"の証。
ここ数日間の穏やかな日々と、ダンジョンでカッコいいところを見せ続けた"成果"が、この結果を生んだんだ!!
そう! 努力は報われる!
いくら面倒でも頑張ってたら、いい事がある!!
ガバッ!!
死ぬほど勇気を振り絞り、アリスの顔を確認しようと振り返る。
そこには……、
「旦那……、様……」
ポロッと涙を流すアリスが立っていた。
えっ? あ、いや、ご、ごめん!!
い、嫌だったよな? ち、違う! 手が勝手に離れないんだ……よ……?
染まった頬に少し荒くなっている呼吸。
トロンとした瞳は濡れていて、唇を噛み締める表情は無表情とはかけ離れている。
(……ゆ、夢か……? さっきの夢か!?)
先程の"夢の実現"に、
ブシュッ……
吹き出した鼻血を咄嗟に押さえる。
思えば、"初入浴時"にも、「おっぱいを触ってみよう大作戦」の時も……。
俺ってヤツは……、妄想力が凄すぎる!!
いや、アリスのせいだ!
麗しすぎるんだ! 俺の妻はッ!!
童貞なめんな! こ、殺す気か! 俺を!!
ガクッ……
思わず膝をつく俺。
アリスは大きく目を見開くと、
「旦那様!」
ひどく焦ったように俺を支える。
アリスの声に反応したカレンがチラリとこちらを見ると、
モワァア……
カレンは綺麗な紅い髪を逆立てる。
「貴様……、アード様に何をした!?」
※何もしてない。
『……? クククッ! まぁ来るがよい! 最下層にて貴様らを待つ!』
「ふざけるな! 貴様ぁあ! 今すぐに姿を見せろ!」
グザンッ!!
カレンは氷華(ヒョウカ)を地面に突き立てる。
「《氷天華(ヒョウテンカ)》……《零度(レイド)》!!」
ピキピキッビキ!!
50階層を埋め尽くすほどの冷気にランドルフの白髭が凍ると、魔石は一瞬にして氷山に飲み込まれた。
「《回復(ヒール)》! 旦那様、ご無事ですか?」
「……だ、大丈夫」
明らかにホッとしたようなアリスの顔。
「一体、何が……。グリムゼードが何かしたのでしょうか……? 申し訳ありません……。私は全く違うことを考えておりました」
(違う。お前の破壊力だ……)
「このような事は2度とないように……。本当に申し訳ありません」
「……いや、頻繁に頼む」
「……? 旦那様?」
アリスが首を傾げると、
「アード様!」
「……ん? ワシ何しとった……、いや、寒ッ!!」
今にも泣き出しそうなカレンは猛スピードでこちらに駆け寄り、ランドルフはキョロキョロと辺りを見渡した。
「大丈夫!? アード様!」
「ど、どうしたのじゃ!? アード!!」
3人に囲まれて俺は苦笑する。
「……グ、グリムゼードめ。なかなかだな……」
俺が小さく呟くと、3人の目つきは一瞬で鋭くなる。
「……死刑だね」
「気を引き締めねばな……」
「……絶対に許す事はできませんね」
その静かな怒気に、少しばかり嘘をついた事を申し訳なくなるが……、
(あんな重要な状況で、興奮しすぎて鼻血出したなんて言えるか!!)
俺は心の中で叫んだが、チラリと視界に入った右手。先程の感触が手から消える事はなく、緩む頬を抑えられない。
(……が、頑張って、さっさと帰ろう……)
先程入った「怠惰スイッチ」が、一瞬で「やる気スイッチ」に切り替わった自分の単純さが、なんだか笑えた。
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