第17話 新婚生活の始まり。【アード&アリステラ】




―――高級宿「風見鶏」



「アード様! 僕と少し話をしよう! 僕の生い立ちから勇者に至るまでの経緯を、」


「お前とは結婚しない!」


「なぜだい? ……胸なの? やっぱり胸なんだね? 確かにアリスに比べると小さいけど、僕だってあるにはあるんだよ!? それに、自分で言うのは気が引けるけど、なかなか整った容姿を、」


「いやだ! 何かバカそうだから!」


「……ま、まぁいいさ。ゆっくり僕のことを知ってくれれば、きっと、」


「それから、俺、装備とかないからクエストとかまだ無理だから。クエストに行ったとしても、俺はサポートに徹するし、カレンやランドルフが頑張ってくれよ? じゃあ!」


 宿に着くなり「怠惰宣言」をして、俺はアリスに"新居"に案内するように視線を配る。


「えっ、あっ、ちょっと! アード様! ねぇ、アリスからも言ってくれないかな? 僕はきっと元気な子供を産めるって、」


「ではカレン。また明日……」


 カレンの言葉を遮るアリスは無表情でバサッと切り捨てる。カレンの扱い方が間違っていないようで思わず笑ってしまった。


「アリスばっかりズルいよ! ま、待ってよ、アード様!」


 駄々をこねるバカ勇者を宿のロビーに放置して俺はアリスの後を追った。


 



 広々とした豪華な部屋。

 極東をモチーフにした高級宿"風見鶏"。


 部屋には"露天風呂"と呼ばれる風呂が備え付けられ、部屋の中に仕切られた部屋が3つある。


 今まで寝泊まりしていたボロ宿とは、あまりにかけ離れた豪華な部屋に、万年貧乏な俺は、なんだか落ち着かない。


 まぁ、落ち着かない原因は部屋だけではない。


「……旦那様? いかがですか?」


 無表情で小さく首を傾げる麗しの聖女。

 美しすぎる嫁と初めて2人きりの密室にいるのだから、落ち着いてなんていられない。


「え? あぁ。すごいとしか言いようがないな。今日からここに住むって思ったらなんか緊張する」


「ゆっくりとお風呂に入られてはいかがでしょう?」


「……い、一緒に入るか?」


「…………」


 アリスは否定も肯定もせず、無表情のまま顔を真っ赤に染めていく。


 か、可愛い……。


 俺自身も冗談なのか、本気なのか、あいまいな感じで、ぶっちゃけ心臓はバックバクのドッキドキだ。


 えっと……、今更だけど、マジでいいのかな?

 世の中のモテ男はどうやって『そう』なってるんだ?

 

 流れで結婚するに至ったが、あんな脅迫まがいな方法で結婚してしまった事が気がかりだ。


 けど……、俺の頭には先程の光景が頭をよぎる。

 

 住人や冒険者達に様々な視線を浴びせられ、勇者パーティーの一員として、人生最大に目立ってしまった光景だ。


 俺の平穏を奪い去ったのはカレンだが、きっかけを作ったのは……、紛れもなくアリスなんだ。


 アリスもそれを承知で結婚を受諾したんだ。

 俺だって多少は好きなことしていいはず!


 決意を固め、アリスに視線を向けると……、


「……お背中をお流しします」


 真っ赤な顔で俺を見つめる紺碧の瞳と目が合った。


 本当に!? え、マジで? いいの? 

 ア、アリスと? アリスとお風呂!?


「……えっと、マジで?」


「……はい。だ、旦那様の妻は私だけです」


「……ん?」


「私が旦那様の望む生活を壊してしまいました。強引に《聖約》を交わし、無理矢理、勇者パーティーに……。私は旦那様を幸せにしたいのです。後悔などして欲しくないのです」


「……アリス」


「そのために出来ることは全て致します」


 真っ赤なアリスは唇を噛み締める。



「……それは『義務』か?」



 頭の中には出会ったときのアリスの姿が浮かぶ。


 誰もが求める"完璧な聖女"。


 "義務"であるなら、そんな物要らない。

 俺が1番嫌いな言葉が"義務"……、もしくは"宿命"。


 イヤイヤ背中を流されたって……、いや、まぁ、ぶっちゃけイヤイヤでも全然いいし、それはそれでいいんだけど……。



「……旦那様?」


「アリス、コレ!!」


 俺が薬指を見せると、アリスは小さく首を傾げる。


「俺たちは結婚したんだろ? アリスから離れたら俺は死ぬんだし、ずっと一緒に居なきゃいけないんだ。気まずいままの関係は息がつまる。少し肩の力抜いて、きらくに、楽しくやろう?」


「……」


「"無理矢理"はしない。成り行きとはいえ、すぐに結婚しちゃったしな。……ゆっくり、のんびり、お互いを知っていけばいい」


 アリスは紺碧の瞳を大きく見開くと、


クスッ……


 目を細めて小さく微笑んだ。


「……はい。そうですね。心遣い感謝致します」


「えっ、あっ……ああ」


 なんとか言葉を返したが、俺は完璧にやられてた。


 ヤッバ!!

 クッソ、可愛いな! 俺の嫁さん!!

 天使かよ!


 初めて見たアリスの微笑みに心臓をバックバクにしながら、



「じゃあ、俺、風呂入ってくるから!」



 逃げるようにタオルを手に取り露天風呂に直行した。





※※※※※【side:アリステラ】



 私の旦那様、カッコ良すぎるんですが!


 

 お風呂場に去って行く旦那様を見送り、私はベッドにダイブして枕に顔を埋めて顔の熱を冷ました。



――7日間離れると……死にます。



 人生で初めての『嘘』。

 《聖約》にそんな効力はない。


 ただ、私が一方的に旦那様に全てを捧げる事を神に誓っただけの"誓い"。


 フォルランテ公爵家の反発が目に見えていたから、既成事実を作り、取り返しのつかない状況を作り出した。


 旦那様から離れると"深い眠り"に堕ちる事になるのは私の方だ。聖女である私が行動不能になる事は"世界"にとって多大な損失。


 聖女である事を利用し、旦那様の結婚を認めさせるための切り札が、この薬指の《聖約》なのだ。


 一晩眠っても未だに消えることのない、唇に残るファーストキスの感触。まさか自分から男性にキスするなんて思ってもみなかった。



「はぁ〜……幸せ……」



 仰向けにベッドに横になり、天井に左手を伸ばす。"3連の指輪”の紋様を見つめてニヤニヤと頬を緩める。


 つい先程、公衆の面前でポンッと撫でられた頭と旦那様の笑顔を思い出し、顔に熱が集まって仕方ない。


「……う、うぅううう!」


 また枕に顔を埋めて足をバタバタさせる。


 初めての恋は、幸せすぎて気を抜くと涙が流れそう。自分の知らない一面に気づき、自分の内側から溢れる欲を優先させてしまう。


 聖女としての自分などどうでも良くなってしまうかのような甘い幸福。自分が独占欲を持っているなんて、初めて知った。


ーー子供を産もうと思ってね。


 同性の私から見ても、カレンは世界で1番美しい。シルフさんは世界で1番、笑顔が似合うだろう。


 旦那様に好かれたい一心で、喜んでくれるかもわからない提案をして、勇気を振り絞って「妻は私だけ」と伝えてみた。


 自分自身の"心の声"を口に出すのが、これほどまでに怖いとは思わなかった。



――清廉でいなさい。アリステラ。

――あなたは聖女なのです。完璧でありなさい。

――はしたない! 大きな口を開けて笑うなど!

――自覚なさい。"女神の使い"であると。



――聖女に人間の意志など要らないのだぞ。



 お母様の言う通り、お父様の言う通りに生きてきた。聖女としての仮面を被っている方がずっと楽だ。



 それなのに……、


 初めての恋は私を身勝手にさせる。

 旦那様だけには"アリステラ"を知ってほしい。


 「きらくに」「ゆっくり」「のんびり」


 自分には無縁に思えた言葉の数々。



――楽しくやろう?



 薄く微笑んだ旦那様の顔が頭に焼き付いて離れない。ズルい私の"わがまま"で望まない世界に引き込んでしまったのに、そう言って下さる旦那様には感謝しかない。


 いまこの瞬間にも、世界には何万人もの苦しんでいる方がいる。


 それなのに……、


「私、こんなに幸せでいいのかしら……?」


 口にすると、罪悪感が押し寄せる。


 旦那様の装備が整うまで……。

 それまでは、この穏やかで幸福が詰まった日々を続けさせて下さい。


 心の中で神に祈りながら、自分の左手をギュッと抱きしめると自分の心音がトクンットクンッと力強くて、なぜかわからないけど鼻の奥がツンッとした。



ガタッ……



 物音にハッとして起き上がると、そこには腰にタオルを巻いた旦那様が立っていた。


 少し長い濡れた黒髪と程よく引き締まった身体からは、色気が漏れ出ている。


(キャァアー!! ど、どうすれば!? ど、どのように振る舞えばよいのでしょうか!?)


 心の中で絶叫しながらも、私の顔はおそらく変化がない。やはり、誰かの前で聖女としての仮面を剥がす事を身体が拒否しているようだ。


「……絶対に触らないから、風呂には一緒に入らないか? 俺って、ご褒美がないと頑張れないんだけど?」


「……はい。承知致しました。お背中をお流しします」


 照れながらも拗ねたような口調に、緩んでしまいそうになる頬を無意識に引き締める。


「……い、嫌ならいいけど?」


「いえ、嫌では……」


 嫌ではありませんけど、恥ずかしすぎるのです!! わ、私の身体に不備があったら、と思うと、泣き叫びたくなってしまいます!


「じゃ、じゃあ、行こう!!」


 手を引かれるがまま旦那様に連れられるが、後ろからでもわかるほど耳まで赤く染めている旦那様にキュゥッと心臓が締め付けられる。


 いつもは飄々としている旦那様のこんな姿を見れるのは、これから先も私だけがいいと心から思いながら、その背中を追った。

 


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