第7話 『俺と結婚するなら行ってやる!』



ーーー酒場「ラフィール」



【side:アリステラ】



ガチャ……カランッ……



 ゆっくりと開いた酒場「ラフィール」の扉。遠慮がちになる鐘の音と共に、アード様が姿を見せてくれた事にホッとするが、



「……何してるんだ、アリス」


 アード様はかなりご立腹のようだ。



〜〜〜〜〜


 とても綺麗な人と共に酒場に入って行くアード様を見た瞬間に、私は自分の気持ちに気づいてしまった。


「……これが恋ですか」


 小さな自分の声は意識して出たものではなく、アード様がこのお店の"美人さん"と仲がいい事にチクッと胸が痛んで、自然と口から漏れ出てしまったのだ。


 ルフを訪れてからという物、「馬鹿馬鹿しい」と呆れたように笑ったアード様の顔が頭から離れなかった。


――義務なんてクソだ! 聖女である前にお前はアリステラ・シャル・フォルランテ。


 私とはかけ離れた価値観に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 

(あなたはこれまでの私の努力を知らないでしょう? 聖女としての重圧を知らないでしょう?!)


 心の中でそう叫びながらも、「死んでもなりたくない」と言ったアード様は、きっと全てを理解した上での発言であったと後になってわかった。


 この7日間、邪険に扱われ続けていても、


 ポンッと私の頭を撫でて下さった優しい手が、マントをかけて下さった照れた笑顔が、少し方向音痴の可愛らしい一面が……、


 わずかなひと時が頭に蘇っては、心臓がドクドクッと激しく脈打ち、顔が熱くなる。


 常人とは思えない戦闘を目の当たりにし、勇者パーティーに絶対に必要な人だと思ったが、「迷惑だ」と言われてもなお、アード様の元を訪れ続けた理由を、今、やっと理解した。

 


 『"アリステラ"が恋をした』



 そう……。きっと、勇者パーティーよりも、私自身がアード様を必要としている。


 完璧な聖女として自分自身を抹消し続けた真っ白な私を、"アリステラ"が"アード様の色"に染めて欲しいと願っている。


 慈愛に満ちた"聖なる力"で、困窮に絶望するすべての人々を導かなければならない"聖女"なのに、"アリステラ"が『特別』を作ってしまった。


 私は……、聖女失格だ。


 でも、アード様ならそんな私を、「いいんじゃないか?」なんて肯定してくれるような気がした。



〜〜〜〜〜



 気づいてしまった気持ちにひどく動揺しながらも、とにかく美人さんとアード様が2人きりである事に耐えられず、とにかく駆け出したのはいいけど……、


「いい加減にしてくれ、アリス」


 目の前には眉間に皺を寄せるアード様。


 「何してる?」と問いかけられた所で、「アード様が他の女性と"致す"のが嫌なのです」なんて、本当の事を言えるはずもない。


 素直になれない。

 スキルを授かってから10年。


 聖女としてしか生きて来なかった私が、劇的にアード様の好みである「ニカッと笑う女性」になれるはずもない。


「……アード様。何か、条件を提示しては頂けませんか?」


 (どんな事でも叶えますので!)


 そう言葉を続けたいのに、それは難しいすぎる。私の表情筋は死んでいる!


「……?」


 さ、更に眉間に皺が! な、何か、えっと、えっと……。


「……何で? ってか、今じゃないといけない事なのか、その話」


「私はどうしてもアード様と一緒に……」


「いい加減にしろよ、アリス。……じゃあ……"対価"は? 俺が、万が一仲間になった時の報酬は?」


「……人々が平和に暮らすために戦い、多くの人々を救えます」


 ポカーンとするアード様に私の顔は引き攣っていく。


 ち、違いますよね? えっと、あの、


「たくさんの冒険をして、誰も見たことのない絶景を見られます」


「……」


 こ、これも違いますか? じゃ、じゃあ、


「……皆に感謝され、英雄として後世まで語り継がれるような偉業を成せます。たくさんと富や爵位なども」


「ふっ、俺は全部要らないんだよ、アリス」


 アード様はどこか勝ち誇ったような表情を浮かべるが、恋をしていると自覚してしまった私には、それはご褒美でしかない。


「俺は適当にクエストをこなして、ここでキンッキンに冷えたエールが飲めれば、それで幸せなんだよ。面倒な事は一切したくないし、働きたくもない。


 ……俺はこの"ルフ"って街も、この"ラフィール"って店も心底、気に入ってる。俺は『スキル【縮小】のDランク冒険者』。俺の望みはのんびり、ゆったり、何のしがらみもなく、自由に暮らす事だ!」


「……アード君?」


 アード様が言い終えると、店の奥から先程の"美人さん"が顔を出した。


「シルフちゃん……。あ、いや、この子は少しおかしいところがあって、俺が優秀だと勘違いして、パーティーに誘われてるんだよ! わ、笑っちゃうだろ?」


「えっ? ……あっ。そ、そっかぁ〜……。なんだぁ」


 明らかにホッとしたような"シルフちゃん"と呼ばれた美人さんの態度にビビッと感じる物がある。


 きっと、"彼女も"……。


「アード様は誰よりも強く、誰よりも優秀です。何をしても、何としてもアード様に仲間になって頂きたいのです」


「……だから、さっきも言ったが、俺は今の生活が好きなんだ! 絶対にSSS難度のクエストなんか行かないからな!」


「……お酒がお好きなら、世界各地から美酒を買い揃えましょう。サポートに徹して下さるだけでも結構ですが?」


「……え、マジで?」


「ちょ、ちょっと! アード君、な、何考えてるの? 何か揺れてない? SSS難度って……。そ、そんな危ない所、行かないでよ!」


「アード様の実力は世界でも片手に収まります。いえ、あのような素晴らしい力……、きっと世界で1番の実力を、」


「ちょ、ちょっと……えっ? いや、アード君は、」


「やめてくれ、アリス!」



 アード様の声にハッとして我に帰る。

 アード様の前では"いつもの"冷静さを欠いてしまう。


 もう本当に嫌われてしまった……?


 私は込み上がる涙を必死に堪えたが、(きっとこの瞬間でも私に表情の変化はないのだろう)と実感する。


 恋をしたところで、私がアード様に好かれる理由が1つもない事に気づき、更に泣きたくなった。



※※※※※


「えっと、"聖女様"ですよね? アード君はDランク冒険者で……、えっと、アルコール中毒なところがあって、スキルも【縮小】っていう物ですよ?」


「スキルや冒険者ランクについては存じておりますが……、あなた様はアード様の事をよく知っておられるのですね」



 シルフィーナの言葉はただの悪口だが、


 これは、俗に言う"修羅場"ではないか?


 美女2人が俺を取り合っている。


 いや、1人の美女は俺を仲間に引き入れようと必死で、もう1人の美女は友達、もしくは、常連客の心配をしてくれているだけなのだが……、


 これはもう、俺を取り合ってるって事にさせてくれ。


 きっともう一生ないし、こんなモテ男のような気分になれたのは"一生の酒のつまみ"になるんだから。


 アリスは気分が昂っているのか、シルフィーナにも要らない事を言っているし、ここは……、つい先程編み出した、"必殺技"を繰り出す時が来たと考えていいだろう。



バッ!!



 俺は2人の間に割って入り、アリスと向き合う。

 

(俺を取り合うのはやめてくれ!)


 心の中ではそんな事を叫んだりして気分を高めるが、惨めになるからみんなにはあまりオススメしない。



ゴクリッ……


 ……それにしても流石の美貌だ。

 一切の曇りのない大きな紺碧の瞳が俺を見つめている。もちろん、感情の機微は一切わからないが、それを踏まえても、控えめに言って天使だ。



「なぁ、アリス。さっき、"なんでもする"って言ったよな?」


「はい」


「よし。これから俺が1つの条件を出す! それが飲めないのなら、潔く諦めてくれ!!」


「……わかりました」


 俺はアリスの返事に笑ってしまいそうになるのを堪える。



「……ア、アード君。大丈夫なの?」


 シルフィーナは俺の服の裾をチョンチョンして、心配そうに首を傾げるが、



「大丈夫。後は絶対に飲めない条件を出すだけだ……」



 俺は自信満々だ。


 ここで、このタイミングで無理難題を提示すれば、それだけで俺の平穏は保たれる。


 この無表情も見納めかと思うとなかなか寂しくもあるが、俺の幸せのためには仕方がない。


「アード様。なんでしょうか? 私に叶えられる物ならなんなりと……」


 無表情で俺をジィーッと見つめるアリス。


 俺はニヤリと笑みを浮かべる。



「俺と結婚するなら行ってやる!」



シィーン……



「ちょ、ちょっと、アード君! 何言ってるの!?」


「大丈夫だって。アリスはこんな格好をしてるけど、公爵令嬢。なんたって聖女だ! 平民の俺と結婚するなんて大それた事出来るはずない、」



「……仕方ありませんね」



シィーン……



 アリスが無表情で放った言葉に、俺とシルフィーナは2人同時に顔を引き攣らせる。



「……え、あ、いや。……はっ?」


「私はアード様と結婚致します」


 言葉にしてから真っ赤な顔になった無表情アリス。


 そりゃ、めちゃくちゃ可愛いが、そんな事をこんなに即答で答えられるはずないだろ?


「わ、わかってる? 結婚するって言ったって……、フォルランテ公爵家は……?」


「なんとかします。いざとなれば勘当される覚悟です」


「……いやいや、本当にわかってる? 俺は、『仲間になる』のにこんな条件を出すようなヤツだぞ?!」


「はい。何も問題ありません」


「……でぃ、"Dランク冒険者"の平民だぞ?! 俺に"色んな事"されるんだぞ? よく考えろ!!」


「それでアード様が手に入るのなら構いません……」


「いやいや、無理だろ! お前、聖女だろ!? 自分で言うのもなんだが、俺はまぁまぁクズだぞ?」


「そんな事はありません」


「もう一度よく考えろ! よぉーく考えるんだ、」



 アリスは無表情で俺にグイッと歩み寄ると、



チュッ……



 狼狽えまくる俺にキスをした。



「《聖約》……」



ポワァアア……



 アリスの唇が俺の唇に……?

 アリスが呟いて、白い光の粒子が舞って……?



スゥウウ……



 俺の薬指とアリスの薬指に同じ"3連の指輪"の紋様が……?



 って……、なにしてくれとんじゃい!!



「アード様……、いえ、"旦那様"」


「……」


「これから、末永くお願い致しますね?」



 仄かに染まった頬に潤んだ紺碧の瞳。

 唇に残るファーストキスの余韻。


(こ、これはこれで悪くないのか……?)


 思わずそう思ってしまった自分が怖かった。



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