第二十一話 泥濘の河
「カ、カバーしなくちゃ……! ええと、『連なりを撃ち掛ける。工程は一つ、血の導に従うべし』——フォンレー!」
「迎撃します。『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』——斜月」
時を同じくして、リンシーとシンジュの魔術戦が幕を開けていた。
リンシーが扱うのは広義において風魔術に分類される魔術で、遠い昔、リーレンという人物が開いた一門だ。その性質は実戦的かつシステマティックで、機能を絞ることで必要以上に詠唱が長くならないよう術式を組み上げている。戦闘という極めて流動的な荒波の中で、長々と詠唱をする余裕はない……そんな開祖の思想が透けるようだった。
ただリーレンの風魔術も、今や血は薄れ、性質を移ろわせた分派が数多くある。そんな中でリンシーの魔術は、未熟ながらも開祖の理念に忠実な傾向にあると言えた。
対するシンジュが使うセレイネスの魔術は、その民族で自然と培われてきた魔術であり、特定の誰かひとりが系統立てたものではない。ゆえに血とともに受け継がれる中で何度も変化し、時には元に戻り、新たな機能を継ぎ足し削除し、そうしてブラッシュアップを重ねてきた。また、多くの者の手が入っているぶん多機能的でもある。
大枠だけを見れば、二種の魔術の系統は対照的と言えるかもしれない。
だがこの場で発した魔術に限り、結果は同じだった。
「うぅっ、掻き消された!? そんなぁ——!」
「……! 複雑な術式ではなさそうでしたが、ワタシの斜月を相殺するとは。あまり戦闘に慣れているようには見えませんが……その血の素養、侮れませんね」
フォンレー——先の空気を圧縮して解き放つ魔術をスケールダウンして、より単純にした魔術。出力を絞り、刃のように撃ち出すことで殺傷力を保っている。
斜月——魔力で形作った黒く太い杭を撃ち出す魔術。
ともに、威力の減衰はあれど、距離を隔てた対象を撃ち抜くことが可能な攻撃魔術だった。
だからリンシーは杖を向けてコハクを狙い、フキジを助けようとした。それを読んだシンジュは、その魔術に斜月をぶつけた。
そしてシンジュの思惑では、斜月はそのままフォンレーを打ち破り、なおも直進してリンシーの肩を貫くつもりだった。
痛みを与える結果になるが、ここは死地だ。仕方はあるまい。もっとも命まで取る気はないし、パーティ唯一の魔術者となれば治癒魔術のひとつは使えるだろう。もしも無理なら後で
そんなシンジュの考えは、斜月の杭が砕け散り、同様に雲散した。
相殺。斜月より単純な術式で編まれたはずのフォンレーは、確かにそれと釣り合う程度の威力を持っていた。
あちらの方が、術式としてのフォーマットが優れているのか。それとも血を巡る才気がより優れているのか。誇り高いセレイネスの民、その生き残りであるシンジュは即座に後者であると結論付けた。
「よほどに高名な家の生まれなのでしょう。ですが、まだ経験が足りません。『血を巡るもの。形を持たぬもの。縒り合わさり、黒き糸を紡ぎ出せ』——
そうとわかれば、シンジュの判断は早かった。
その才能はともかく、相手は見るからに経験不足。ならば——
シンジュが放ったのは主に拘束で使う魔術、若月——なおセレイネスの魔術に付随する例の欠陥によって保力が低下する効果があるため、分類的にはあれも攻撃魔術になる——の簡易版とも言える、繊月。
魔力を帯のようにして伸ばす若月と違い、繊月は糸を飛ばす。
奇しくもシンジュが用いたのもまた、かの魔術のスケールダウン。それを選んだ意図は、竜との戦闘で低下した血中の魔力量を鑑み、コストパフォーマンスを重視したというのもあるが、なにより繊月には若月にはない長所がある。
「あっ……!?」
リンシーの手から、そのおどおどした態度とは不釣り合いな、豪華な杖が離れていく。
その先端には、シンジュが飛ばした繊月の黒い糸が結ばれていた。
そう、繊月にあって若月にはない長所とは、その視認性の低さだ。糸を束ねて帯としている若月は強度に優れるが、ただの一本の糸である繊月はひたすらに見えづらい。
そして杖がなかろうが魔術者に魔術は扱えるが、経験不足の者が相手ならば話は違った。練度の低い魔術者は杖がないと、魔術の指向性を十全に操れないことがままある。詠唱そのものに問題がなくともだ。
「……その反応では、当たりのようですね。昔の自分を見ているようで懐かしくはありますが、油断はしないよう勧めます」
リンシーは明らかに動揺し、顔色を失う。
杖を向けた先にしか魔術をうまく行使できないのだろう。かつてのシンジュもまた、そうだった。
「リンシー……! ぐぬぅ、こうも簡単に我々が……いいや土台、たった三人で
「わたしと姉さんは……迷宮の外を旅して……ずっと鍛えてきた。いくら冒険者が相手でも……わたしたちは負けたりしない」
首筋に長子苦無を向けられたまま、フキジがうめきを漏らす。動けば殺される以上、そうすることしかできなかった。
そうして瞬く間にリンシーとフキジ、二名が無力化される。
残ったのはラクトただひとりだ。剣を手に後ずさる彼を、永一は油断なくナイフを構えたまま見据える。
「クソが……クソがクソがクソが。役立たずのクソどもが、簡単に制圧されやがって」
懇願や命乞いの類が飛び出てくるかと想像したその口からは、悪態だけが零れ出た。
「あとはお前だけだ、投降しろ。こっちは人殺しなんてする気はない。武器を捨てれば悪いようにはしない」
「武器を捨てるだぁ? ……地面に置けばいいのか?」
「ああ、そうだ。ゆっくりと置け」
ラクトは一度、コハクに背後から長子苦無を突きつけられるフキジと、杖を失って後方で立ち尽くすリンシーに目をやる。それから、言われた通りゆっくりとした動作でその場に屈みこんでいく。
(……投降しろと言ったのはこっちだが。まさか従うつもりか? こいつが?)
膝を曲げ、顔を伏せ下を向くラクトだったが、ついさっきこちらを睨むようにしていた両の目には、どうあっても収まらないと激しく燃える憎悪の炎があったように思う。
逆恨みだと一蹴してやりたいが、簡単な勧告ひとつで鎮火するようなものでもないように思えた。
「おれが悪かった……ああ、おれが悪かったさ」
永一が思案を巡らせているうちに、ラクトは屈みきり、下を向いたまま地面に腕を伸ばす。
その手は剣を握る右手ではなく、空の左手。
——なぜだ?
疑問に思うのと同時。バッ、とラクトがその顔を上げる。そこには胸の奥の悪意がそのままに表出した、凶暴な歪みに満ちた笑みが浮かんでいた。
「クソどもを信じたおれが悪かった! 信用できるのは、この、おれだけ——この
「
「もう遅い! まとめてぶっ殺してやるよぉ!」
眼窩に収まる両眼ではやはり、渦巻くような怨恨が滾っている。
ラクトは剣を決して手放すことはせず、屈んだままの体勢から、逆の左手を広げて勢いよく地面へと押し付けた。
「教えてやる! これが、おれの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます