第二十話 激突するパーティ
血の素養に恵まれ、魔術を使う人間のことを、この世界では魔術者と呼ぶ。
姉妹からそう聞いていた永一だったが、シンジュとコハクのほかに、実際にそれらしき人物を目にするのは初めてだった。もちろん知らないだけで、アテルやその妻であるローズが魔術のプロフェッショナルである、なんていう可能性はなきにしもあらずだが。
ともかく、魔術の強力さは姉妹を通じて骨身にしみている。であれば、同じ魔術者の少女を警戒するのは当然だった。
「昨夜の意趣返しか? 頭数をそろえて来る辺り、よっぽど悔しかったと見える」
突然現れた三人に内心では驚きながらも、時間を稼ぐ意味合いも含め、永一は悠々と歩くラクトに言葉を投げかけてみる。
同時に思考を回す。いかにも前衛職な大斧の男——フキジは、『黙って仕事に取り掛かるべきだ』と確かに言った。
(ラクトは冒険者ギルドの一員だ。なら、仕事ってのはギルドの……)
その仕事とやらにかこつけて、ラクトが昨夜の鬱憤を晴らそうとしているのは明白だった。
だが、それでも永一にはギルドにつけ狙われる理由がまったく思い当たらない。
アワブチの話では、冒険者ギルドの役割はあくまで魔物退治だったはずだ。ホシミダイの外へ派遣され、各地で
むしろ永一たちはその後者において、貢献までしていると言っていい。こうしてギルドが何年も手をこまねいていた階層の攻略を進ませ、あまつさえボスさえ狩ってみせたのだ。
「三対三なんだからこれで平等だろうが。……ああそうだ、昨日はオマエらが三人でつっかかってきて、魔術まで使うから足元をすくわれただけだ。今日はこっちにも魔術者がいる。対等な条件なら、おれがオマエみたいなガキと欠陥魔術の女なんかに負けるはずねえ」
「つっかかってきたのはそっちの方だろ。それで、どうするんだ。迷宮でなら人殺しもバレませんってか?」
「まさか。冒険者ギルドには掟があってなぁ、殺していいのは魔物だけ。一線を越えちまえばいくらなんでも世間様が許してくれなくなる……。でもよぉ——」
ラクトは足を止め、腰の剣を引き抜く。刃先が鞘の縁に擦れ、ちゃり、と小さく音を立てた。
その切っ先を永一に向け、殺意を隠そうともしない獰猛な笑みに顔を歪める。
「——オマエらはボスに殺された。おれたちは助勢して、犠牲を払いながらもボスを討伐することができた。そういう筋書きにすりゃあ、邪魔者を始末できた上におれたちは大手柄だ」
「……外道が。やっぱりそういうことだろうが」
ラクトは確実に、永一たちを生きては帰さないつもりだ。
もっとも永一は殺されたところで生き返るのだが——
ともかく、戦闘は避けられないらしい。永一はちらりと、すぐそばで永一を守るようにして左右で佇む姉妹のことを見る。
(さっきの怪獣——竜の
シンジュとコハクは、口にこそ出すまいが、隠せないほどの疲労をその端整な顔立ちににじませていた。
顔色は悪く、白い肌からは血管まで透けるよう。目こそしっかりと闖入者の
コハクの方は、泣き疲れたというのもあるかもしれないが。
「オレが前に出る、悪いが片月をかけてくれ。もちろんさっきの局所的なやつじゃなく、ふつうのだ」
歩み出るラクトの前に立ちふさがるようにして、永一はククリナイフを構える。
疲れているのにまた魔力を使わせてしまうが、あと一度だけ片月をもらわねばなるまい。逆にそれさえあれば、不死性とのシナジーで永一は強力無比な戦士になれる。
決して怯まず、向上した破力によって硬い魔物の鱗でさえ易々と貫き、何度血と内臓をぶちまけて殺されようとも立ち上がる、不死身の戦士に。
「いいやおせぇよクソガキが! いくぞ、リンシー!」
「は、はい! 『拡がりを畳み込む。瀑布のごとく解き放つ。工程は二つ、血の
剣を振りかぶるラクトと、その後方から永一たちに杖の先を向けるリンシー。
(魔術……! いったいなにが起こるんだ!?)
警戒はしていても、回避はできなかった。
現象はほとんど不可視で、かすかな大気の揺らぎのようなものが辛うじて視認できただけ。その次の瞬間には、圧縮された空気の塊が永一に命中していた。
ドッ——
まるで空気の大砲。胸部に衝撃を受け、永一は体をくの字に折り曲げてよろめく。それでも吹き飛んだり、倒れたりしなかったのは片月がかけられる前だったおかげだ。
「死ねぇ——!」
隙を見せた永一に、上段から振り下ろされる鋼鉄。
「ぐっ、ぉおお!」
肋骨にひびくらいは入っただろうか、きしむような胸の痛みをこらえながらも、ククリナイフの分厚い刃で受け止める。
だが一度は受けきれたものの、手傷を負い、体幹の揺らぎを抑えられない状況ではすぐに押し切られてしまうだろう。
そこへ——
「援護……します。『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。調和を乱し、偏在せよ』」
「ナイスだコハクッ、おおおぉぉ——!」
「っ、こいつ、力が……!」
片月のバフがかかる。傷が癒えるわけではないが、破力の上昇により、ラクトを押し返す程度の余裕は生まれる。
しかしそれさえ囮でしかないと、その瞳に紫の輝きを宿した永一は既に理解していた。
眼前で剣を押し込もうとするラクトの凶暴な顔つきから視線を外し、永一は周囲に目を走らせる。
——いた。側方に回り込んでいた大男が、横薙ぎにその獲物を振るおうと接近を試みている。
魔術の空気砲も、ラクトの大げさな上段も、フキジの繰り出す致命的な一撃を確実に命中させるための糧。本命は初めからあの斧で、露悪的なラクトの態度はおおかた本心であろうが、おそらく永一の注意を引くという意図もあるにはあったのだろう。
ずきずきと痛む胸。片月があるとはいえ、気を抜けば斬り殺されかねないゼロ距離の拮抗。そこへ迫る、空隙を穿つような必殺の戦斧。
どれだけ愚鈍な者でも鮮烈な死を間近に覚えずにはおられまい、その中で。
はぁ、と永一はため息をついた。
進退窮まり、死を悟って吐いた諦めの吐息——ではなく。単に、戦略に対する呆れが漏れただけだ。
(隠密に近寄ろうってんなら、このデカブツだけはないだろうに。魔物相手の連携を流用したのか?)
リンシーが魔術で牽制、ラクトが誘い、フキジが仕留める。
それがこの三人が普段から行うフォーメーションだった。
ただそれも、
大それた獲物など必要ない。短剣ひとつ、槍の一撃で人の肉体など十分に損傷させられる。
ならば、体格的に目立つフキジがわざわざ大ぶりの斧を担いでまで、死角を突いた仕留め役をせずともよい。気を引くのもラクトでなくてよい。リンシーも、コハクのように魔術による中距離戦と刃物による近接戦をスイッチすれば牽制だけの立ち位置に終わることもない。
連携ひとつで戦略の組み立てに空いた穴がありありと見て取れたから、永一は呆れたのだ。
「すまんが、ラクトがあの調子だ。腕の一本は諦めてもらうぞ……!」
そうしている間にフキジは距離を詰め、戦斧を振り抜く。
永一が避けられぬよう、範囲を広く取る横薙ぎの一撃。慣れた連携だけあり、巻き込まれぬよう直前にラクトは腕を引いて身を離す。
逃げ場はない。口ぶりからしてフキジに致命のつもりはなく、胴体に達したところで力を緩めるつもりなのかもしれないが、それでも場所が悪ければ死ねる程度の威力はあるだろう。
「ああ、遠慮なく。ただ——」
「エーイチ様、お守りいたします! 『血を巡るもの。色を持つもの。妨げるべく、黒き堅牢の壁となれ』!」
「——どうも、オレの仲間は過保護でね」
地面から突如として現れた真っ黒い壁面が、薙ぎ払う刃を止める。
二日月。魔力をこれ以上使わせるのは心苦しかったが、シンジュの生んだ防壁が永一を守ったのだ。
別に永一としては、受けてもよかった。むしろそのつもりだった。事実フキジの振るう斧を避ける手段はなく、ならば自分から腕や胴を薙がれ、死に損ねていればそれからククリナイフで自殺して回復すればいいと思っていた。
その意図を汲み取れぬシンジュではあるまい。だが彼女は、それでも永一を守った。
「壁……魔術か!? くっ、魔術者がふたりとは厄介な!」
「逆に言やぁ前衛はこの野郎ひとりだけってことだろうが! 狼狽えんなデクの坊!」
魔力によって編まれた壁は、巨躯の腕に振るわれた一撃を受け、ひびのひとつも入らない。フキジは壁を回り込む必要が生じ、すぐに動こうとする。
その首に、別の細い腕が回された。
「動かないで……抵抗すれば、刺す」
「——っ、いつの間に! なんという早業か……!」
少女の細腕ごときフキジであれば簡単に解けるだろうが、少しでも強引に動こうとすれば、逆の手が首筋に添えた黒い切っ先がためらいなく彼の頸動脈を突き刺し破るだろう。
フキジを抑えたのは、片月を永一に使用してすぐ近接に切り替えたコハクだった。シンジュの生んだ二日月の防壁は永一を守ると同時に、コハクが気付かれずに回り込むための死角でもあった。竜を倒した時のものと同じ発想のトリックだ。それを、今度は姉妹で分担してやってのけた。
「武器を……捨てて。動こうとするなら……わたしは……容赦しない」
「く……」
コハクの静かな声色には、怒りも憎しみもない、淡々とした機械じみた殺意が込められていた。
長子苦無を首に突きつけられ、フキジは抵抗の無意味さを悟り、ゆっくりと獲物である戦斧を手放した。ガラン、と迷宮のでこぼことした白い床に落ちて音を立てる。
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