転送エラー

 目の前で激しい光が弾け、忍は咄嗟に目を閉じた。

 その次の瞬間には浮遊感に襲われ、石造りの床に顔から落下させられる。


「むぎゅっ!?」


 顔と胸を強く打ちながらもすぐに立ち上がった忍は、鼻を擦りながら隣にいるはずのヤギ頭を見上げた。


「もうちょっと丁寧に扱ってくれ……あれ?」


 しかし、顔を上げた先にはゴツい強面のヤギはいなかった。代わりに20メートルはありそうな純白の男神像が天空に手を伸ばしていた。

 像は高い天井を支える柱の一部で、視線を上げていくとかのシスティーナ礼拝堂を思わせる荘厳な天井壁画が目に入った。


「すっげ……」

「ようこそおいで下さった!」


 天井画に言葉を失っていた忍は、よく通る青年の声で我に返り、正面に視線を戻した。

 そこにいたのは、西洋風のフルプレートメイルを着込み、腰に剣を吊り下げた二十歳過ぎぐらいの金髪の青年だ。

 その隣に新緑の髪を両サイドで三つ編みにした、桃色のロリータドレスを着込んだ少女の姿もある。こちらは10歳程度だろうか。

 周囲にはフルフェイスの全身鎧で手に槍を携えた数十人規模の兵士が待機しており、さらにその後ろには宗教色の強い刺繍入りの前掛けとカソック姿の連中がこちらの様子を伺っていた。


 金髪の青年が、忍のすぐ目の前にまで歩み出た。180センチの忍を容易く見下ろすとは、恐ろしい巨漢だ。

 鎧の上から豪華な金刺繍入りの外套を羽織った青年は、忍に向かって恭しく跪いた。


「お初にお目にかかります聖女様。私はこのカルディナ国の第一王子、グレン・カルディナーレと申します。異世界よりお出でくださり、深く感謝申し上げます」

「せーじょ?」


 グレンと名乗った男の言葉を、忍は首を傾げて反芻する。


「せーじょ? せいじょ……あ〜『聖女』か! って馬鹿野郎てめぇ! オレが女に見えるってか、おい!」

「ひっ!!」


 言葉の意味を理解した忍は、眼の前の青年の襟を掴んで強引に立ち上がらせた。体格差を物ともせずに威圧したが、そこで大きな違和感を覚えた。

 どう聞いても日本語ではない未知の言語なのに理解できるのは何故か、という疑問も置いておいて。このグレン、特別屈強な体格でもなければ、背丈が飛び抜けて高いワケでもなかった。巨漢に思えたのは、忍の目線が本来より20センチ近くも縮んでいるからだ。

 どういうことかと視線を落とした忍は、さらなる混乱に陥った。空手着の胸元が内側から押し上げられていて、足元がまったく見えないのだ。


「……え、なにこれ!?」

「どうかされましたか?」

「つーか、あれ? これ、オレの声!? あれ!?」


 訝しむグレンを突き返し、忍は慌てて自分の身体を確認した。


 ちょっとぷにっとしているが、細く靭やかな腕。

 片手には収まらない特盛サイズの胸。

 引き締まって括れた腰。

 胸以上に張り出した特大の尻。

 むっちり肉付きの良い長い脚。

 目元に垂れた髪を一房摘めば、先端だけが濃紅色という特徴的な色合いそのままに、ふわっふわの猫っ毛に変質していた。全方位にボサボサ逆立ち、切るたびに鋏を傷める剛毛が見る影もない。

 最後に恐る恐ると股間に手を置いてみれば、あるべきはずのお宝が、綺麗サッパリ消え失せていた。


「……なんじゃあこりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」

「ひぃっ!?」


 叫んだ声も、気持ち程度に高い気がする。女性としてはかなり低い声域だが、それでも男のものではない。

 忍の体は、なんとも見事なグラマーボディへと変わり果てていた。


「どぉいうことだ、こいつはよォ!!」

「ひぇぇ……あ、あの聖女様?」

「てめぇにゃ聞いてねえよ、ハゲ!! おいこら、ヤギ頭ァ!! こいつはどういうこっちゃ、出てきて説明しろやーっ!!」


 その場で地団駄を踏み、虚空に向かってブチギレる忍に、その場の全員にどよめきが走る。一方で「ハゲ」呼ばわりされたグレンだけ、寂しげに肩を落としていた。


 そんな時だ。不意に忍の腰の辺りで突如、音程が外れた『新世界より』が鳴り出した。懐に手を突っ込んだ忍は、なんだこれはとギョッとする。

 取り出された何の変哲もないスマートフォンが、着信を知らせている。だがこの男、スマホどころか携帯電話に類する電子機器を一切持ち歩いていない。せいぜい反社会勢力のオジサンから強奪したサイフぐらいだ。

 忍は警戒しつつも、凄まじく不器用な手付きで見覚えのないスマホを操作した。


「も、もしもし?」

『良かった、出てくれた! 我だよ、悪魔だよ!』


 スピーカーから聞こえた声は、確かにあのヤギ頭だ。それも酷く切羽詰まった様子で、余裕がないのが伺えた。


「おい、ヤギ! ちょっと聞きたい――」

『すまん! 一方的に話すから聞いてくれ!! 転移をミスった!!』

「はあぁっ!?」

『久し振りだったから、他の転移者に干渉して異世界座標が重なってしまったようだ!』


 徐々にヤギ頭の声にノイズが混じりだした。本当に通話できる時間がもう無いのだろう。


『本来、その場所に現れるのは別の誰かのはずだった。だがお主が割り込んでしまい、一人分のワープゲートを強引に二人が通ってしまったから……』

「し、しまったから?」

『……多分、その誰かと君が合体してると思うのだけど……』


 申し訳無さそうなヤギ頭の言葉に、忍の思考が停止した。

 ただしそれは、火山が爆発する前の「溜め」である。


「って納得出来るかァーッ!! ハエ男か、オレは!?」

『だ、だよね……うん、ごめん……』


 どうやら悪魔特有の「だって○○としか言ってないもん」的なムーブメントではなく、純然たる事故らしい。悪魔による合体事故とはなんともはや。


「どうすりゃ元に戻れる!?」

『……無理。カフェオレをコーヒーとミルクに分けるようなもんだから――』

「そんなもん遠心分離機でも使えばなんとかなるだろ!! 分かんねえなら考えろ!! オレも考える!!」

『メチャクチャだね、お主!? ……けど、すまん。我もう限界……っ』


 ノイズが酷くなりすぎて、ヤギ頭の声はもう微かにしか聞こえない。電波が悪いというよりも、むしろ向こうの電池が切れかかっている感じだ。


『もはや……戻る……我の……識も……も、途絶……――』

「えっ、マジ!? おいしっかりしろ!! 取り残されたオレはどうなる!? もしもーし!!」


 ブツ、と無情な音を立てて、通話どころかスマホの電源そのものが落ちた。起動しようにも、ウンともスンとも言いやしない。

 ふと暗くなったスマホの画面に映る、自分の顔と目が合った。見覚えのある右目の火傷痕や、その他のパーツに目立った変化はない。しかし丸っこい骨格に整形されていて、尖すぎる目付きを除けば美人と呼べる範疇だった。


「……うん、まあ……可愛いな。元からハンサムだったからな、ははは……ってなるかァァァァァァーッ!!」


 忍の美的基準でも好みのタイプだったのだが、それは果たして救いだろうか。八つ当たりで動かなくなったスマホを握り潰して放り捨てると、やるせない思いを乗せて溜め息を吐いた。


「あの、聖女様? お話は済みましたか、な?」


 どうしたもんかという苛立ちから頭をガシガシ搔いていると、すっかり存在を忘れていたグレンが、様子を伺いながら声を掛けてきた。


「あんだよ。こちとら絶賛遭難中だ馬鹿野郎」

「す、凄まないでくれたまえ……聖女様、どうやらあなたにはこう、とてつもない不幸が降り掛かったように見受けられます。それについて、もしかしたらお力添えが出来るかと思うのですが……」

「別にいらねえよ。じゃあな」


 グレンの提案を蹴った忍は、その場から立ち去ろうとする。行く宛などないが、まずは食事と寝床を探さねば。

 当然、何かしら要件のあるグレンが大慌てで止めに来る。


「お待ち下さい! お願いですから話を聞いてくださいませんか!?」

「やだよ、忙しいもん」

「忙しいって……あの、あなたここに来たばかりで用事とかあるんですか?」

「食い物と寝る場所を確保しねえといけねえ」

「そんなのこっちで用意しますから!」


 必死に訴えるグレンに、そこでようやく足を止めて振り返った忍は、王子様らしい豪奢な金色の肩当てを強く叩いた。


「それを先に言え」

「……も、申し訳ない……」


 満面の笑みを浮かべた忍とは対象的に、グレンはこの短時間でとても疲れた様子だった。

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