悪魔が修羅を喚んだなら
Atori_elegy
喧嘩
日本の地方都市で密かに活動するカルト教団「明日を目指す海鳥の会」は、名前と規模に反して凶悪な組織だった。
当初こそ食い詰めた極道の立ち上げた詐欺集団だったが、何をどう間違えたのか終末思想に染まった悪魔崇拝に転身。二十一世紀の日本で大真面目にサバトを開催するトンデモ組織へ先鋭化した。
儀式と称して誘拐や殺人事件まで起こし、警察のマークを少人数の機動力でかわし続ける。十人前後の組織力で資金も乏しいが、発足時のメンバーが実銃を含めた武器を蓄えているので、もはやテロリストと呼んでも過言ではない。
そんな相手だからこそ、少年は彼らを今宵の喧嘩相手に選んだ。
ロクに管理もされていない、寂れたビルの地下通路を
赤黒く薄汚れた空手着姿、晒しを巻いただけの裸足というワイルドな出で立ちで、もう何年も家に帰らず日本中を放浪している家出少年である。
顔立ちそのものはハンサムながら、右目を縦に割る火傷痕と飢えた肉食獣のような鋭い目付きが恐ろしいほど威圧的だ。
後頭部で適当に縛った黒い髪は伸ばしっぱなしでボサボサ、全身から獣の臭いを漂わせ、愉快げに歪む口許から鋭い犬歯が覗く。関わるだけ危険だと、常識人なら迷わず距離を取る風貌だった。
忍は通路の突き当りで立ち止まり、両開きの金属扉を見上げた。一歩後ろに従えていた成人男性の胸ぐらを掴んで無理矢理に引き寄せた。
顔中がボコボコに腫れ上がった男の口から、「ヒェッ」と情けない悲鳴が漏れる。
「ここで合ってる?」
「は、はい! 間違いありません……!」
「ふぅん。じゃあ開けて」
眼の前のドアには看板や表札などは付いておらず、一見するとただの防火扉にしか思えない。
忍は怯えるに扉を開けさせながら、一旦扉からある程度の距離を取った。そして扉が解錠された音を合図に走り出す。
「おりゃあ!!」
僅かに開いた扉を押し広げるよう、男の後頭部を容赦なく全力で蹴り飛ばした。
突然の闖入者に、二十畳ほどの薄暗くて生臭い部屋にいた全員の視線が集中する。
いかにもな白装束が7人と、それっぽい魔法陣の中央で今まさにギロチンに掛けられようとしている若い女性が1人。そこに蹴り飛ばした男が白目を剥いて転がって、合計9人。
「ごめんくださ〜い、押し込みで〜す」
わざとのんびりとした口調で、忍はおどける。
謎の儀式に水を注されたことで、場の空気は今にも破れそうなぐらい急激に張り詰めていた。
「……殺せ!」
教祖らしき金十字のネックレスを下げた白装束が問答無用で指示を下す。自身も懐からリボルバー拳銃を取り出した。
命じられた他の白装束達もまた、手に手に日本刀やリボルバー拳銃を抜き、無言のままに忍へ襲い掛かった。
躊躇の無い剥き出しの殺意を受けて、忍の口角がますます歪む。
「いいねぇ! 話が早いのは好きだぜ!!」
白装束は得物の扱いに長けている様子。室内でも不自由なく刀を振るって忍を狙う。
「ついでにこういう、生きるか死ぬかってスリルもな!」
「キェェェェェェェッ!!」
奇声を上げて刀を振り下ろした最初の一人に対し、忍は半身に構えて刃筋を逸しつつ、すれ違いざまに左拳を鳩尾に打ち込んだ。人体が出したとは考えがたい重く鈍い音が反響した。
すぐに別の白装束が言葉もなく襲ってくるも、忍は次から次へと一撃で殴り倒していく。背後からの銃弾すら回避して、あっという間に教祖一人を残してもれなく床に這いつくばらせた。
部屋に踏み込んでから、まだ一分と経っていない。立っているのは忍と教祖だけだ。
「な、なんだお前は……!?」
教祖は震えながらも忍に発砲する。
しかしロクに照準の定まっていない弾丸は体を軽く左右に振っただけの忍を捉えることはなかった。
「情けねえ。チャカ持っててこの体たらくかよ」
「ひ――」
撃ち尽くして空になった薬室を撃鉄が虚しく叩いた刹那。至近距離まで踏み込んだ忍は教祖の顔面を叩き潰した。
殴り飛ばされた教祖は、背後の壁が陥没するほどの速度で衝突。血反吐を撒き散らして転げ落ち、二度と動くことはなかった。
「うっかり殺しても事件になりにくいからな。遠慮なくぶん殴れ……って、ほんとに死んじまったか? そりゃすまん」
ピクリともしなくなった教祖に、忍は片手を立てて拝むように小さく頭を垂れた。
白装束達から滲み出た血が、床のタイルの隙間を流れて部屋の中央に描かれた魔法陣に集まっていく。
「ひぃぃぃっ」
迫ってくる血の川に、ギロチン台で拘束されていた女性が顔を引きつらせ、何かを必死に訴える瞳で忍を見上げた。
忍は雑な下段蹴りでギロチン台を破壊すると、女性を抱えて比較的床がキレイな場所へと運んでやった。あられもない姿の若い女性にドキドキさせられたが、ここは気合を入れて表情を引き締める。
「ほら、これでも着てろ」
壁に掛けてあった汚れていない予備の白装束を羽織らせ、ついでに女性に怪我がないかを改める。
ざっと見た限り、服を脱がされてはいるものの目立った外傷は無く、肌艶も良かった。手首や足首に締め付けられた痕が残る程度だ。
年齢は二十歳前後、行ってても二十代半ばぐらいだろうか。化粧もさせてもらえていない、地味な顔だ。
「ほら、立てる?」
「あ、いぃぁ……!?」
「無理そうだな」
女性は過度の恐怖とストレスから足腰立たない状態らしい。気候的に寒いわけではないだろうが、ガチガチに震えて声も出せない有様だ。
「じゃあ警察呼んでおくから、じっとしてろ」
「あっ、や、ま……」
「一緒にいてくれ? やだよ、オレまで捕まっちまう……え、後ろ?」
よく見れば、女性はガタガタ震えながら忍の背後を指差していた。
まだ動けた白装束が銃でも構えているのかと振り返れば、なんと魔法陣が光りながら白煙を噴き上げていた。
「……え、なにこれ?」
床に刻まれた謎の幾何学模様が薄紫にぼんやり輝き、ギロチンが据えてあった中心部から天井に向け、煙が噴火のように立ち上る。火の気やドライアイスなど一切無かったはずだが。
忍はせっかく助けた女性を庇うように半歩前へ出て、拳を突き出すように身構えた。
やがて煙は空中の一点へ収束。粘土のようにコネコネと形を変えていく。現れたのは捻れたツノとタテガミが生え、ヤギの頭を持った黒い肌の人型だ。蹄の爪先でゆっくりと、魔法陣の中央に降り立った。
ズシンと地鳴りのような足音で建物が揺れ、踏みしめられた床に亀裂が走る。
「……ブロロロロ、いつ以来の物質界だ。この身体にまとわりつく空気や重力の感覚、懐かしい……」
ヤギ頭は、外見の割には理知的な口調でしみじみと独り言を口にする。室内をゆっくりと見回し、やがて忍に気付くと朗らかに目を細めて歩み寄ってきた。
「おお! その強い欲望の輝き、間違いない!! 少年、お主が我を召喚したのだな?」
「知らねーよ。おっさん誰?」
「お、おっさん!? この我をおっさんだと!? ふははははっ!」
無礼とも呼べる忍の物言いに、ヤギ頭はますます上機嫌になった。
「いいぞ少年、実にいい! 悪魔相手に臆さず、しかも我の威圧を受けても平然としているとは。気に入った!」
「気に入られてもなぁ。つーか悪魔ってあんた……見た目は確かにそれっぽいけど、本物?」
「本物だとも。ここに描かれた召喚陣と、生贄の血、そして飽くなき強い欲望を持つ君の魂が我を喚び出した! もっとも、この陣の描き方は良くないがな。こういうのは悪魔を喚び出すのではなく、喚び出した悪魔から術者が身を護る為のものだ。覚えておけ」
「知るか」
ふと足元を見れば、横たわっていた白装束の何人かが、服だけを残して溶けたように消滅していた。教祖を含めて、いずれも当たりどころが悪くて絶命した者達だ。ヤギ頭の言う生贄とは、こいつらの事だろうか。
忍の背後では、女性が震えながら道着の裾をすがるように握っていた。ただでさえカルトに誘拐されて参っているのに、次は悪魔ではそろそろ精神が持たなそうだ。
「さて! 生贄をもらってしまった以上、お主の願いを叶えねばならない。そういう契約だ」
「だから知らねえっつうの。契約ってなんだよ?」
そんなものを交わした覚えが無い忍は、ヤギ頭を睨み返して尋ねた。
ヤギ頭は顎髭を扱きながら、ニヤニヤと忍の顔を覗き込む。
「自覚が無いのか? 戦う相手が欲しいと、戦いを求めるお主の強い欲望が我を喚んだのだぞ?」
「確かにそいつはいつもオレが思ってる事だけど。別に悪魔になんぞに願っちゃいねえよ。つうか、神も悪魔も信じてねーのに願うもんか」
「そう言うな。願いを込めて魔法陣に生贄を捧げた以上、貴公は我の契約者なのだ! さあ、今ならどのような願いでも叶えられるぞ?」
何でも好きに言ってみろ! そう豪語するヤギ頭だったが、急に言われても本気で困ってしまう。忍は腕組して考えを巡らせた。
一分ほど時間を掛けても特に何も思い浮かばず、結局口にしたのは極めてシンプルな願いだった。
「よし! あんた強そうだからオレと戦ってくれ!」
「え、我と!? 光栄だが、勘弁してくれ。契約者が傷つくと、我にまで害が及ぶのだ。自分で自分を傷つける趣味は無いぞ、我」
どうしてもと言うなら叶えるけど、出来れば違うのにしてほしそうなヤギ頭に、忍はほんの少し再考する。
「じゃあ他の悪魔と戦わせてくれ。そうでないなら怪物……具体的にはドラゴンとか、エイリアンとかがいい! 強いやつと喧嘩がしたい!」
「えぇぇ……いや、そう来るわな。お主、ほんっとすごい欲望レベルだったもん……どんな闘争本能?」
忍の願いを聞き届けたものの、ヤギ頭は困ったように眉根を潜めた。助けられた女性も、ヤギ頭よりむしろ忍の言動にドン引きしながら成り行きを見守っている。
「そうだ! 悪の大魔王とかはどうだ?」
やがて妙案を思いついたとばかりに、ヤギ頭が掌を打った。
「大魔王?」
「そうだ! 地球とは違う異世界での話だが、ちょうど人間界を侵略中の大魔王を一人知っている。彼奴のいる世界へ送ってやる。どうだ? 他にもその世界、魔物とかドラゴンとかもおるぞ?」
何故かトークに熱を入れたヤギ頭。その迫力に圧倒されたのか、女性の道着を掴む力が強まった。
一方の忍は、魔物や魔王という言葉に眼を輝かせる。
「異世界は面白いぞ! 凶暴な魔物や怪獣が闊歩しているから戦う相手には困らんし、秘境や魔境には財宝が盛り沢山だ! 頑張れば魔法だって使えるようになるやもしれん!」
「へぇ! いいじゃねえか。乗ってやるよ、その口車!」
「だろう? ……ふぅ、よかった」
忍は、露骨にホッとしたヤギ頭の態度も気にせず差し出された毛深い手を取った。
「じゃあ善は急げだ! すぐ行こう!!」
「おう!」
忍が威勢良く返事をした次の瞬間には、忍とヤギ頭の悪魔は忽然と密室から消滅してしまった。光も煙も出ず、さながら映像のスイッチを切ったかのように。
残されたのは女性と、うめき声も上げずに倒れたカルト信者達と、中身の消えた白装束、後は壊されたギロチンだけ。
床の魔法陣も最初から存在していなかったかのように消えてしまい、ただ一人正気でいた女性も脳の処理が追いつかずにしばし放心し続けていた。
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