(3)

「あの……社長さん。今日も、また、誰か知らない人が来たんですけど」

 翌日、昼飯時より少し早く、ゴが母屋にやって来て、そう言った。

「はぁ?」

「ああ、どうも……」

 九州では熊は絶滅している筈だった。少なくとも野生の熊は……。

 だが、その男が視界に入った途端、光宙の頭に浮かんだのは「熊」と云う漢字だった。

 ヌイグルミのテディ・ベアのような……巨体と妙に人なつっこい顔。

 次に浮かんだ文字は「山」。巨大な肉の山が、こちらに向かって歩いて来る。

 年齢は……たしか六〇は超えている筈だった。

 だが、筋肉量は明らかに光宙より多かった。

 身長一八〇㎝以上。体重は一〇〇㎏以上。

 郷土の英雄。

 それが何故か、ここに来ていた。

「あ……あの……」

「村上祐介と申します。昨日、ここに来られた市ヶ谷勝一郎さんに、あの頼みをしたのは私でして……」

「え……ええっと……」

 このK県L郡Q町出身の一五年間無敗と言われた、スポーツに興味が無い者でも名前は聞いた事が有る元「アマレス世界王者」。

 一九七〇年代後半から一九八〇年代にかけて、何度もオリンピックを含めた国際大会で優勝し続けた無差別級のアマチュアレスリング選手だった。

「すいません、形だけでいいんで、北海道のV市の市長選に出てもらえませんか?」

「えっ……と……その……」

 訳が判らない。

 それが正直な感想だった。

 いかにも怪しい話だが、出て来たのが大物過ぎる上に、何が目的なのかも判らない以上、どう断わればいいかも判らない。

 更に、脳内はホワイトノイズに満たされているので、反応が出来ない。

「で……すが……その……そろそろ、秋蕎麦の種撒かんと……」

「この人達がやり方は知ってるでしょ?」

「え……?」

 光宙も元「アマレス世界王者」に指を指されたゴも固まっていた。

「大丈夫ですよね」

 言葉だけなら確認か疑問……だが、言い方や抑揚は明らかに疑問形では無かった。

 ドンっ‼

 もちろん、その程度で大きな音がする筈も無い。

 だが、光宙は轟音が響いたように感じた。

 それが置かれた場所が重さでたわんだような錯覚を覚えた。

 「地元の英雄」が置いたものは……明らかに分厚い札束が入った封筒だった。

「向こうへの旅費と、当面の宿泊費です。OKであれば、市ヶ谷さんに連絡して下さい」

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