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 「じょ・・・ 譲治の旦那じゃないっすか。ご、ご無沙汰しておりやす」

 いきなり現れたオヤジに、ヤスはしおらしく低頭した。

 「!!!」

 その光景を少し離れた所から見ていた麻衣は、グルグルと頭の中を引っ掻き回す。そして遂に、その謎のオヤジの正体に行き当たったのだった。

 以前、ゴルフ場のイベントで隣にいたオヤジだ。『Hand Cuffs』という、針金細工の店を営んでいた、あのインチキオヤジではないか。誰も聞いていないのに「俺か?」などと言いながら、自分を譲治だと名乗っていたぞ。

 オヤジは言う。

 「お前んとこの組、まだこんなチンケなカスリに手出してんのか?」

 「い、いえ・・・ 滅相も有りません。って言うか、譲治の旦那こそ、もう刑事は引退したんじゃなかったっすか?」

 け、け、刑事だって!? 麻衣は息を飲む。

 「あぁ、もう定年退職したさ。だから、そんなにかしこまらなくたっていいんだぜ、ヤスよ」

 「いや。お世話になった旦那っすから、そういう訳にもいきません」

 ここまで来て、麻衣はやっとピンと来たのだった。そういや Hand Cuff って、警察とかが使う手錠って意味じゃなかったっけか? 私としたことが、そんなあからさまな伏線に気付かなかったとは、何たる不覚。

 「だったら、ショバ代払えなんてケチな話は持ち出すんじゃねぇよ。それ、お前んとこの組長も承知の事なのかい?」

 「い、いや・・・ それは・・・」

 「おおかた、祭りの主催者がトンズラこいたってのを聞き付けて、小遣い稼ぎでもしようと思い付いたんだろ? 違うか?」

 「め、面目もありません・・・」

 あくまでも下手に出るヤス。オヤジが現役時代には、かなりこっ酷くやられたのだろうか?

 「組の方針を無視して勝手なことをしようとしたんだ。あの昔気質の石橋のオジキ(組長)が聞いたら、いったい何て言うかな?」

 「そ、それだけは勘弁を、譲治の旦那。後生です」

 組長の名前を出した途端、ヤスが弱腰になる。所詮、その程度のチンピラだったということか。

 すると、二人がそんなきな臭い会話をしている所に、和服を着た老女がソヨソヨと近付いて来るではないか。

 「あらあら譲治さん。また若い子をいたぶってるのかい? 相変わらずだねぇ。若い子がやんちゃをするのは仕方のないことじゃありませんか」

 「出た。レジェンド」麻衣の目が点になる。

 その独り言を聞いた『つまみ屋さん』の女店主は、コソコソと麻衣に尋ねるのだった。

 「誰? あのお婆さん」

 「知らないんですか? この辺一帯のハンドメイド界の母、おちょうさんですよ」

 麻衣も一緒になってヒソヒソ声で教えると、女店主は目を剥いた。

 「えぇっ! あれが伝説の!」

 麻衣は黙って鷹揚に頷く。

 「おやおや、おちょうさんじゃないか。こんな所で会うなんて奇遇だな。あんたの言うことも判るが、若い奴ほどキチッと示しを付けないとダメなんだよ。知ってるだろ?」

 しかし譲治は、いきなり出て来たレジェンドに動じることも無く、目を細めながら言葉を返すではないか。いったいどうなってるんだ?

 「まぁね。やんちゃするのはいいけど、やんちゃをしたらお仕置きが待ってるってことも教えなきゃだわねぇ。確か昔も、そんなをした子がいたわよねぇ。あれは確か・・・」

 ってか、元刑事とヤクザの会話に口を挟むおちょうさんの方こそ、どうなってるんだである。あの人って何者なんだ? 譲治とは古い知り合いらしいが、いったい、どういう繫がりで顔見知りなのか、もう訳が判らん。

 「サブだろ? アイツのお陰で、こっちは仕事が増えて大迷惑だったもんさ」

 「そうそう、サブちゃん。あの子、元気にやってるのかしら?」

 ヤクザを「○○ちゃん」呼ばわりできる女の人が、この国に何人いるだろうか? 麻衣は訳も無く湧き起こる悪寒のようなものに、ついプルリと身体を震わせた。

 「あいつは今、お勤め中(服役中)さ。クスリに手ぇ出しちまってな」

 「まぁ。そいつは頂けないねぇ」

 何ちゅう会話だ! さすがのおちょうさんも、顔をしかめて見せた。

 しかし、こうやっていきなり始まった譲治とおちょうの昔話の隙を突いて、ヤスが脱兎の如く逃げ出した。

 「おぅ! ヤス! てめぇ待ちやがれっ!」

 譲治の制止も聞かず、ヤスは一目散に走り去る。お子ちゃまかっ!?

 するとおちょうさんの目がキラリと光った。そして別の女性の、張りのある声が号砲一発、響き渡る。

 「お前たちっ! あのイタズラ小僧を連れておいで!」

 今の声は、確か田村組の組長さんじゃありませんか?

 するとハンドメイドショップの店主たちが、あちこちから躍り出て一斉に駆け出した。やはり、田村組の皆さんだ。大人たちがモウモウと砂煙を上げながら一斉に駆け出したのを、おちょうさんに帯同していた、孫娘であるデザイナー志望の少女がビックリしながら見送った。

 すると、その追っ手の中の一人が麻衣に声を掛けるではないか。

 「追うわよ! 『ラッキー・ドッグ工房』さんも来てっ!」

 そう叫んだのは、センスが無いと酷評され続けた、あの『コットン・シュガー・ファクトリー』の女店主、関口組のナンバー2だ。おちょうさんの実の娘であり、デザイナー志望の少女の母親でもある。

 「えぇっ! 私もですか!? 私、一応、関口組ってことになってるんですけど・・・」

 遂に自分から言ってしまった。しかし今は、そんなことに気を掛けている場合では無い。それに、この招集に応えないことで、今後のハンドメイド作家活動に支障を来すのも考え物だ。

 突然の招集にアタフタする麻衣を置いて、田村組の皆さんは、続々とヤスの後を追い始めている。仕方なく麻衣も店の前に出てこう言った。

 「ちょ、ちょっと店番してて!」と息子に店を託し、麻衣も駆け出した。

 彼女の出撃シーンを見たデザイナー志望の少女が「頑張ってください!」と声を掛けると、麻衣は振り返りざま片手を挙げて「うん」と頷き、踵を返して再び走り出した。

 その後ろ姿を見送った翔は、もう声が届かない位に遠くまで行ってしまった母親の背中に向かって、「ウィ~ス」とインチキな敬礼を返したのだった。

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