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 「祭りの主催者が、金だけ持ってトンズラしたっぽいのよ」

 「えっ? 主催者って、この神社じゃないんですか?」

 目を見開いて聞き返す麻衣に、渋い顔を作って首を振る女店主。

 「ううん。神社は場所を提供しているだけよ。昔はお寺とか神社が祭り自体を仕切ってたみたいなんだけど、今は市役所の振興課だったり、地元の商店街みたいなところが主催してるものなのよ」

 「そうだったんですか?」

 「それで、私たちとか、屋台の店から徴収した参加費を持って、雲隠れしちゃったんだって。まぁ、私たちはちゃんとお金払っちゃってるから、大手を振って店を開いていても問題は無いんだけどね」

 「へぇ~」

 麻衣が納得の表情で頷いていると、境内の奥の方から何やら騒がしい声が聞こえ始めた。

 何事かと首を伸ばしてそちらを見透かしてみると、なんだかたちの悪そうな男が大声でわめき散らしながら、その辺の店の店主に詰め寄っているではないか。

 「何だろう? 何かトラブルかしら?」

 すると男の放った声が聞こえて来た。

 「だから、上納金はどうするんだっつってんだよっ!」

 麻衣と女店主は顔を見合わせる。

 「上納金?」

 地元のヤクザが絡んで来たのだ。


 元来、縁日などで露店や興行を営む業者のことを的屋てきやと呼び、その発祥は信仰に由来するものだと言われている。明治時代以前の人々の暮らしは、各地の寺や神社を中心としたまつりごとによって支えられていて、神社仏閣の修繕費用だけに留まらず、社会基盤を成す公共事業の資金なども、この的屋の売り上げによって賄われていたという。

 つまり、祭りを主催する寺社が的屋を呼び、その売り上げの一部を請求する形で資金を得ていたということになる。これが場所代 ──俗にいうショバ代── の起源である。従って警察においては、的屋が暴力団の起源の一つとなったとして、近年においても、反社会的勢力の経済活動の一つと認定している程だ。

 令和の時代ともなると、祭りは寺社による催し物と言うより、地域振興の為の公共イベントの色彩が濃くなって、さすがに暴力団の陰は薄らぎつつあると言えたが、今回の祭りの主催者がを避ける為に、地元のヤクザにこっそりと上納金を納めていたとしてもおかしくはない伝統が、日本の祭事の歴史には色濃く刻まれているのだ。

 実際のところ、その面倒事を起こすのはそのヤクザ自身なので ──たった今、店に詰め寄っているヤクザ者が、まさにそれだ── たちが悪いというか、不条理極まりないシステムではあるのだが。


 男は、その伝統的なしきたりに従って、上納金を払えと言っているのだ。

 つまり『つまみ屋さん』の店主の言う通り、参加費を持ってドロンした誰かさんのせいで、ヤクザ組織に上納される筈だった金が滞納してしまった。そういうことなのだ。

 「俺が誰だか判ってんのか!? 石橋組のヤスっちゃぁ、ちったぁ知れた顔なんだ! ナメた真似してんじゃねぇぞ、コラッ!」

 しかし、詰め寄られている店の店主も、黙って引き下がるつもりは無いようだ。

 「何言ってんのよ! 私たちはちゃんと参加費を払って、ここに店を出してるんですからねっ! 石橋組のヤスだか誰だか知らないけど、あなたにそんなこと言われる筋合いは無いわよ! ねぇ、みんな!」

 そういって横並びの店に視線を巡らせると、各店からも「そうだ、そうだ」、「私たちに言うのはお門違いよっ!」といった声が上がった。

 しかし周りから責め立てられるような状況に、ヤスは激高する。

 「てめぇらが払ったかどうかなんて、関係ねぇんだよ! 俺っちの所に金が入って来てねぇつってんのが判んねぇのか、このタコッ! 生まれてきたこと、後悔させてやろうかっ!?」

 しかし、いくらヤクザ者がドスを利かせたところで、オバサン相手には通じないということをヤスは知らなかった。それだけ彼は、まだ若いということなのだろう。紋々背負って、一端の極道気取りなのかもしれないが、彼はもっと世の中を知る必要が有る。この宇宙は、オバサンを中心に回っているということを。

 「何よ何よっ! あんた、私たち素人に何しようって言うのよっ!? ヤクザが堅気に手だしたら、どういう事になるか判ってるんでしょうね!?」

 「そうよそうよ! そもそもって何よ! 変な名前! 今時ヤスって、犬にも付けないわよっ!」

 「悔しかったら、あんたのお母ちゃん、呼んで来てみなさいよっ!」

 「うっ・・・ ぐ・・・」

 オバサンたちの集中砲火に、ぐうの音も出ないヤス。

 「あんた、学校どこ出たのよ!? ひょっとして赤高? だったら生活指導の稲田先生知ってるでしょ!? あんた、メッチャ怒られたでしょ! そうに違いないわ! そうに決まってるわっ!」

 「ってか、なんでなのよっ!? 本当は康夫とか泰彦とか、そんなダサい名前なんじゃないでしょうね!? あっ、ひょっとして家康とか、恥ずかしくて人に言えない名前だとか?」

 「お小遣い欲しいなら、そう言いなさいよっ! ほらっ! 幾ら欲しいの!? 無駄遣いするんじゃないよ、まったく」

 「くっ・・・」

 グッと押し黙るヤスも、果てることの無い罵詈雑言に、遂にキレた。

 「うるせぇ、ババァどもっ!!! 黙れっ! ぶっ殺されてぇかっ!」

 その地を揺るがす程の絶叫に、さすがのオバサン軍団も言葉を失った時、一人のオヤジが背後から彼の肩にポンと手を置いた。

 「だ、誰だっ!」

 凄味ながら勢いよく振り向いたヤスは、眼前に迫ったオヤジの顔を見るなり固まった。

 そのオヤジはニヤリと笑うと、意地悪そうな目つきでこう言ったのだった。しかも、あえてゆっくりとした口調で。

 「随分とデカい口を叩くようになったじゃないか、ヤス。久し振りだな、元気にしてたか?」

 大きく見開いた眼とポカンと開いた口。顔色を失ったヤスは、そのアホみたいな顔のまま、呟くように言うのだった。

 「あ・・・ あ、あんたは・・・」

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