3
美少年は、しこたま叩かれた頭を押さえながら、顔をしかめて見せた。
「い、痛ぇ~。なにも叩かなくたっていいじゃんよぉ・・・」
「うるさいわねっ! アンタがだらしないから、客が逃げちゃったじゃないのよさっ! もっと客を引っ張って来なさいよ!」
既に空になったカップを握り絞めながら、麻衣は目を点にした。
「そんなこと言ったってさぁ・・・」
「つべこべ言うんじゃないよっ! 売り上げの5%はアンタの懐に入るんだからねっ!」
ははん。そういうことか。
いつぞやのイベントで、売れ残り品を子供に売りに行かせる「マッチ売りの少女商法」に打って出る ──小さな子供相手では断り難いのだ── 商魂逞しい作家さんを見たことが有るが、『トコトコりん』の場合は、息子が美少年なのをいいことに「客引き」をさせているのか。
それにしても、売り上げの殆どは学校に寄付をするというこのイベントで、そこまで目くじら立てて売り捌かなくても良かろうに。しかもセット価格で購買意欲を刺激してまで。
「もっと相手をおだてるんだよ! 客を気持ち良くさせて、買う気になるようにアンタが仕向けなきゃどうすんだよっ! このボンクラ息子がっ!」
「だって、たいして可愛くも無い子に『可愛いね』なんて、白々しくね?」
「白々しくたって構わないんだよ! 女はそれでも嬉しいもんなのさ! アンタにはもうチョッと、女心ってもんを叩きこまないとダメみたいだね!」
もうそこまで行くと、やってることは
「えぇ~~。また、つまんない話、聞かされるのかよ~・・・」
「つまんないって言うな、つまんないって! 大事な商売の話なんだからっ!」
実の息子を「ボンクラ」呼ばわりまでして、小学生に教え込むようなことか、それ?
子供は世の中のことを知らない。だがそれは一方で、可能性でもあるのだと麻衣は思うのだ。だって、何も知らないということは、これから先、どんな風にだってなれるということなのだから。
純真無垢であるはずの子供に、それも男の子に女心の機微を教え込み、それを逆手にとって自分の利とするような技を教え込むことは、この子の将来にプラスとなるよりマイナスとなることの方が多い様な気がするのだが、どうだろうか。それじゃぁこの子の将来は、ロクでもないヒモ野郎か結婚詐欺師に向かって一直線ではないか。
いずれにせよ、このボンクラ美少年の行く末が心配になって来るのは、きっと麻衣だけではないだろう。
すると母親が言った。
「まぁいいから、チョッと店番してて。私、オシッコしてくるから。その間、買いそうな客を見つけたら、しっかり売りつけるんだよ。判った?」
そう言い残して立ち去った母親の背中を、ジャニーズ男子は黙って見送った。
そして静寂が訪れた。
先ほどまでは、彼から吹き付ける風が清々しくて、爽やかな柑橘系の香りでも含んでいるかのような、ウキウキした気分にさせてくれたものだったが、いつの間にか、吹く風は秋の冷ややかな空気を含んだ、肌寒いものに変わっていた。
麻衣は手にしていたカップを置いた。そして魔法瓶の蓋をひっくり返し、カップ代わりにして紅茶を注ぐ。そしてそれを、一人ポツンと店番している男の子に向かって差し出したのだった。
「紅茶、飲む?」
いきなり話し掛けられた男の子は、ビックリしたような顔で麻衣を見返した。
普段、同世代の女の子などに気軽に声を掛けているのだろうに、ずっと年上の女性に話し掛けられて、その子は緊張した面持ちでこう応えたのだった。
「あ、有難う・・・ ございます・・・」
そう言って腕を伸ばした男の子に、陳列棚越しに紅茶を渡しながら麻衣は言う。
「熱いから気を付けてね」
「あっ、はい。頂きます」
あら? 意外に良い子じゃない。ひょっとしてこの子、やりたくもないホスト
麻衣はつい、その辺りに探りを入れてみる。
「大変ね、お母さんに付き合うのも」
麻衣の伺うような視線にも気付かず、少年は受け取った紅茶を見詰めながら言うのだった。
「いいえ。仕方がないんです」
「仕方がない? どういう事かしら?」
「ウチのお父さん・・・ 生真面目で馬鹿正直で、人に騙されてばっかりだったんです。利用されるだけ利用されて、最後は借金の肩代わりを押し付けられた上でポイ。
そんなお父さんに嫌気が差したお母さんは離婚して、今は僕との二人暮らし」
「・・・・・・」
「そりゃそうですよね。お父さんが押し付けられた借金で、自分たちまで苦労するなんて馬鹿馬鹿しいですから。
結局、お父さんは借金を返す為に無理をして働いて、働いて、働き過ぎて、それで身体を壊して、そのまま病院で・・・」
「だから・・・」
「そうなんです。お母さんが僕に求めているのは、正直さとか誠実さじゃなく、どんな卑怯な手を使ってもいいから、人を利用すること。その為には人を騙すことも許されるって・・・」
突如始まった少年の懺悔を、麻衣は言葉少なく聞いていた。だが少年の言葉には、真実を言い表し切れていない部分があるような気がしてならなかった。
少年は言った。「父さんに嫌気が差したお母さんは離婚して」と。しかし麻衣は思うのだった。ひょっとしたら離婚が成立した時点で、この子の父親の身体の具合は、既に良くはなかったのではなかろうかと。
死を意識した父親は、借金返済の責務を妻と息子に残すことを良しとせず、敢えて離婚することで家族を守ったのではなかろうか。父の死因を過労死と聞かされているようだが、本当のところは麻衣には判らない。もしかしたら、少年が大人になった時に、父親の死因も含めて離婚の真相に気付く時が来るのかもしれない。
いずれにせよ、自分がそこまで立ち入るべきではないと考えた麻衣は、優し気な笑顔で魔法瓶を差し出した。
「紅茶のお代わりはいかが?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます