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 麻衣だけではない。他の店の出店者達も、突然始まった漫才に笑いっ放しである。まるで、お笑い界のニューウェーブ誕生の瞬間を目にしている気分で皆が笑い転げていると、どうにも我慢がならなくなった偽客サクラの三人が、顔を真っ赤にして絶叫したのだった。

 「あなたたち! 速水さんを馬鹿にするのもいいかげんにしてっ!」

 「そうよ! 音楽が判らない下衆な人ばっかりで、恥ずかしいったらありゃしないわっ!」

 「これだから嫌なのよ、田舎者の素人は! 見っともない人たちねっ!」

 あらあら、どうやら本気でコイツの歌に惚れこんでいるようだ。ということは偽客サクラではなく、正真正銘のファンだったということか? それはそれで、逆に哀れだな。

 すると、それまで黙っていたコーヒーショップの店主が割り込んで来た。石屋を挟んで麻衣の反対側に店を構えている三十代中盤といった男性だ。遂にオヤジの援軍の登場だ。

 「あぁそうとも! 俺たち田舎もんには判らねぇから、そんな難しい歌は、もうやめてくれねえかな? なぁ、みんなもそう思うだろ!?」

 コーヒー屋は周りの店主たちに向かって、大声で同意を求める。すると、各店の店主たちが、無言のままに頷いた。勿論、麻衣もそのうちの一人であったが、コーヒー屋に最も強く同意したのは、やはり石屋のオヤジだった。

 「おうよ! コーヒー屋! 若いのに判ってるじゃねぇか!」

 すると、怪鳥かと思える奇声を上げたのは偽客サクラの一人だった。

 「きぃぃぃぃーーーーっ!」

 彼女は直ぐ近くに有った駄菓子を売る店の棚からアンズバーを一本掴み上げると、コーヒー屋に向かって投げ付けたのだ。

 ヒュンヒュンと回転しながら飛んで来たアンズバーは、コーヒー屋と石屋の前を通り過ぎ、『ラッキー・ドッグ工房』の陳列棚に当たって弾けた。お陰で麻衣の造った小物たちは、アンズの汁でベタベタになってしまったではないか。

 「あっ」

 と、思わず声を上げた麻衣だったが、実はさっき吹き出したミルクティーで、既に沁みだらけになっていたのだったが。

 だが、その偽客サクラのなした暴挙は、出店していた仲間たちの闘争心に火を点けてしまったのだった。今の今迄、我慢してやっていたのに、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

 「ふざけんじゃないわよ! アンタら、私たちの商売の邪魔してるのが判らないの!?」

 自然の芳香剤を売る店の女主人が、怒りのあまり自身の売り物であるポプリの小袋を偽客サクラに向かって投げ付けると、途中で開いた袋から香しいポプリの花弁が舞い、会場全体を華やかな香りで彩った。

 偽客サクラも黙ってはいない。今後はラスクを売る店の商品をひったくり、手当たり次第に投げ始めたのだ。

 ラスク屋は堪らず食い下がる。

 「ちょっとアンタ、何やってんのよっ! それ、ウチの商品でしょ!」

 「うるさいわね! お前ら、みんな同じ穴の狢だっ!」

 それを機に、そこいらじゅうで口論が始まり、店の商品が乱れ飛んだ。

 偽客サクラの三人対十数人という多勢に無勢だが、偽客サクラ連合は軽快なフットワークを駆使して、会場の至るところから攻撃を仕掛けてくる。神出鬼没のゲリラ戦だ。

 言い争いを繰り広げている二人に、バシャァーーッ! とコーヒーをぶっ掛けたのは、最初に石屋に加勢したコーヒー屋の男だった。アイスコーヒーで良かった。ホットコーヒーをぶっ掛けていたら犯罪だぞ。ていうか、アイスでも充分に犯罪だが。

 「わはははは。皆さん、落ち着いて下さい」

 しかし、ステージ上の速水は相変わらず能天気だ。

 「こんな時は僕の歌でも聴いて、気分を落ち着かせましょう。それでは聴いて下さい・・・」

 速水が曲紹介を終える前に、トールペイントされた木製のティッシュボックスカバーが飛んできて、「スコーン」と頭に直撃する。無論、何処かの店から飛んで来た売り物だ。

 ラスクとかサンドイッチとか、軽いものならいざ知らず、ティッシュボックスカバーともなればそれなりの重量である。その物理エネルギーの全てを側頭部に受けた速水は、白目を剥いて卒倒した。口から泡を吹いてぶっ倒れている、我が愛しの速水様など気にする様子も無く、偽客サクラの三人を取り巻く戦闘状態は激化の一途を辿ていった。

 パシィーーーーン!!!

 牛革製品を売る店主は、何処から持って来たのかというような鞭を振り回し、偽客サクラの一人を追い回していた。

 「わはははは。さっさと逃げないと鞭打ちの刑だぞ!」

 追い詰められた偽客さくらは、アクセサリー屋の陰に身を隠す。

 「何よあれ! 変態じゃないのっ!」

 よく見れば、先ほどからこんがりと揚がった手羽先が上空を飛び交っている。するとそこに、手榴弾宜しくドレッシングの瓶が飛んできて、パリィーーンと割れた。

 米軍払い下げのインチキ商品を売っている男は、ヘルメットをかぶりながら匍匐前進の構えだ。

 「もう、手榴弾が無いわっ!」

 ドレッシング屋の婦人が誰に向かうともなく声を上げると、そもそもの開戦の口火を切った石屋が久し振りに躍り出た。

 「おぅ、俺に任せておきな!」

 オヤジは自分の店先にある『笑って赦す心』と書かれた石を掴み上げると、戦争映画よろしく「クレイモアーーーッ!」と言って投擲とうてきの体勢に入る。

 しかし、それを見た麻衣が慌てて止めた。

 「オジサン! それ売り物っ!」

 するとオヤジはこう言い放ったのだった。

 「こんなもん、誰が買うかっ!」

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