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 「どうもありがとう!」

 もう拍手する気も起きなかった。どうでもいいから、早く終わってくれというのが本心なのだが、速水耕太郎の熱いリサイタルは、まだまだ終わらないらしい。麻衣はオヤジから貰った石を御しあぐねて ──無下に扱うわけにもいかないじゃないか── 右手に持ったり左手に持ったりしていた。

 そっか! 店のチラシを押さえる文鎮にすればいいじゃないか。それなら活用法としては悪くないぞ。オヤジがステージの方向を見ている隙に、麻衣はそれをチラシの上にそっと置くのだった。

 一方、イベントに参加している他の店主たちも、速水の歌にもうどうしたら良いのか判らず、死んだ魚のような眼をして項垂れている。築地か豊洲に並んだ冷凍マグロの方が、よっぽど活きが良いに違いない。

 「それじゃぁ、次は僕の代表曲『ポケットの中の太陽』です」

 その言葉を聞いた瞬間、麻衣は喉を潤す為に口に含んでいたミルクティーを「ぶぅ~」っと吹き出した。お陰で、陳列した商品に染みが付いてしまったではないか。

 そもそも、誰がアンタの代表曲とやらを決めたのだ? そういうのって、自分で決める物じゃないんだぞ。判ってんのか? まったく、余計なことを言うもんだから・・・。

 しかし速水はお構いなしに歌い出す。と言うか、まるっきりビッグスターにでもなった気分らしく、自己陶酔の激しいことといったら、見ているこっちが恥ずかしい。


 ♪二丁目のタバコ屋の前の~

 ♪薄汚れた電柱の根元には~

 ♪夏の名残のアンニュイがぁ~

 ♪今日も目に沁みるのさぁ~


 それは犬のオシッコじゃなかろうか? そりゃ目に沁みるだろうよ。

 相変わらずの意味不明な言葉の羅列に辟易へきえきしていると、歌い終わった速水が、遂に待ちに待った言葉を口にした。彼はこう言ったのだ。

 「それじゃぁ、今日、最後の曲です」

 その瞬間、イベント参加者たちの表情が明るくなり、ハッと息が上がるような空気が会場全体を覆ったのが判った。

 待ってました! と誰もが心の奥底で叫び声を上げた。見回してみると、無言のままガッツポーズを決めている者もいる。つい麻衣もつられて、両手で小さなガッツポーズをしてしまったほどだ。

 考えてみれば、これほどまでに多くの人間に疎まれるシンガーというのも、珍しいのではないだろうか。下手くそなのど自慢大会なら可愛げがあるのに、コイツときたら、ただただカッコ悪いだけなのに、まるっきり自分がイケてると勘違いしているのだから始末が悪い。

 どんな歌い手であれ、多少なりとも好意的に思える側面は有るものなのだが、この男に限って言えば、徹頭徹尾、完膚なきまでに邪魔でしかなかったということだろう。ある意味、見上げた奴である。

 「最後はこの曲で盛り上がりましょう! 『パパヤ・パヤ・パヤ』一緒に歌って下さい!」

 誰が盛り上がったりするもんですか、と思っていると先ほどからの熱心なファン ──もう間違いない。そいつらは速水の仲間、つまり偽客サクラだ── が、曲の合間にコールを掛け始めたではないか。

 まったくもって、ご苦労なことである。


 ♪僕の気分はパヤパヤ!

  (パヤパヤ!)

 ♪君のハートもパヤパヤ!

  (パヤパヤ!)

 ♪渚のロケンロールで

 ♪二人のバイブス、気分はパパヤ・パヤ!

  (パパヤ・パヤパヤ。パヤパヤ!)


 しかし、あまりにもアホ過ぎる歌詞とメロディーが頭にこびりついてしまった麻衣は、思わず一緒にパヤパヤしてしまったではないか。もう、どうにでもしてくれという感じだ。

 そう考えると、自分を落とすところまで落とし込んでしまえば、どんな下らない歌でも楽しめるということなのだろう。速水耕太郎は最後の曲を歌い切ったという充足感からか、晴れ晴れとした表情でステージを後にした。

 「みんな、有難う! 愛してます!」

 すると、やめておけばいいのに偽客サクラの連中が、パチ・パチ・パチと情けないアンコールを始めたではないか。


 やめて! アンコールなんてしないで! やっと終わったのに、余計なことをはやめて頂戴!


 おそらく、全てのイベント参加者がそう思ったことは間違いない。そいつら以外に、誰一人としてアンコールなど求めてはいないのに、邪魔っけなことこの上ない。

 ほぼ全員がウンザリした顔をしているところに、速水が手を振りながら再び登壇した。満面の笑みを湛えて。

 「有難う! ホントに有難う! みんな最高です!」

 引っ込んでから三秒後に出てくるアンコールって何よ? あたしの気持ちは最低だわよ、という麻衣の気持ちをよそに、彼はいっちょ前に「ピーン・・・ ピーン・・・」とチューニングを整え、再びジャラ~ンとコードを鳴らした。

 でもやっぱりチューニングはズレているようだ。さっきの「ピーン」は何だったのだろう? どうやら、チューニングをする姿がカッコいいと思っているだけらしい。

 「それではアンコールにお応えして・・・」

 そこで麻衣は拳をグッと握り絞め、仲間たちに向かって無言のエールを送るのだった。


 この苦しみも、あと一曲の辛抱よ! みんな頑張って、一緒にこの苦難を乗り切りましょ!


 「僕は、アンコールの時はいつもこの曲を歌うことに決めています。素敵なメロディーに素敵な歌詞が出会って、みんなの心を一つにする素敵な歌が出来ました。

 聴いて下さい。『15の輝き』」

 シンと静まり返る場内。そこに安っぽいギターの音が響く。

 ジャララ~ン・・・


 ♪盗んだバイクが盗まれた~

 ♪乗り方も、解らぬまま~


 何処かで聞いたことが有る歌詞だぞ・・・ ってか、乗り方も知らないのに盗んだのか? もう少し計画的に行動すればいいのに、などと思っていると、遂に堪りかねた誰かが、何処からか大声でヤジを飛ばした。

 「うるせぇぞ、バカ! どうでもいい歌ばっかり歌いやがって!」

 全員が一斉に麻衣を見た。

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