不要物戦争 / そんなもん、誰が買うん?
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それは『榊会館』という、小さな結婚式場だった。この街に住むようになって、もう何年も過ぎているが、そこに結婚式場が有ったなんて、ついこの前まで麻衣は知らなかった。
かつて、豪勢な結婚式が当たり前だった時代に建てられたのであろうその建物は、そういった儀式に ──つまり冠婚葬祭だ── 無駄金を払うことへの否定的な昨今の風潮に押され、今では見る影もないといった風情である。
隣接して建てられた由緒正しくない教会で、外人であるというだけで採用されたインチキ神父が執り行う式に涙したり、或いは意味不明なゴンドラに乗って降りてくるといった、今考えれば恥ずかしくて人に言えない様な式を挙げてしまった人は、麻衣の同世代には多い。
冷静になって考えれば、ドライアイスのスモークと一緒に現れる新郎新婦とはいったい何だったのだ、という話である。浦島太郎だか花咲か爺さんだか知らないが、そんなのは神話かお伽話でしか許されない、過剰演出であることがどうしてあの当時の大人達には判らなかったのだろうか。
そんな人生の汚点の数々を長年に渡り刻み付けた、倒産寸前とも言える結婚式場が今日のイベント会場であった。
大広間を貸し切って行われるこのイベントでは、壁を背にコの字型に多くの店が軒を連ね、中央部分にも背中合わせで店が並ぶ、意外にも大規模なイベントである。麻衣の店から向かって右側には、ちょっとしたステージが据えられており、かつてはそこに新郎新婦が恥ずかし気に鎮座していたに違いない。
するとそのステージに、キターを一本だけ抱えた若者が登場した。このイベントを盛り上げる為に、近所のアマチュアシンガーでも呼んだのだろうか。どっからどう見ても、シンガーソングライターに憧れる、近所の兄ちゃんといった風情の男である。
「ようこそお出で下さいました。速水耕太郎です。それでは早速ですが聴いて下さい。『僕の生きる道』」
速水耕太郎という、どう考えても嘘臭い男のリサイタルは、彼がマイクスタンドの位置を調整し終わるや否や、いきなり始まった。三名ほどの熱心なファンの ──或いは親類縁者の類か?── 疎らな拍手に応えて、その二十代半ばと思える男はアコースティックギターをジャラ~ンと鳴らし、感情てんこ盛りで歌い出したのだった。
ルックスに見るべきものは無く、メロディにもこれといった何かを感じるわけではない。ただ、やたらと説教臭い歌詞が鼻に付き、いつまで厨二病を続けるつもりだと言いたくなるような、耳障りの悪い歌を切々と歌い上げ始めたのだ。
♪そんな虚像にすがるお前は
♪羞恥の
♪その未来に横たわる陽炎は
♪漆黒の映し出す幻想かぁ~ぃ?
面倒臭い歌である。頭が痛くなりそうだ。
麻衣は『ラッキー・ドッグ工房』の折り畳み椅子に腰かけながら、渋柿を食ってしまった時のような顔で、そのどうでもいい歌をボンヤリと聞いていた。
♪荒野の
♪僕の後ろに
♪無限の閃光、煌めく
♪地平の彼方を駆け抜けろぉ~
「駆け抜けろぉ~」ときたもんだ。麻衣が「勝手にすりゃえぇがな」と思っていると、隣の店から誰かのつぶやき声が聞こえて来た。ジャカジャカと掻き鳴らされる微妙にチューニングのズレたギターの合間をぬって、その声の主はこう言っていた。
「勝手にすりゃえぇがな」と。
「えっ?」
思わず聞き返す麻衣に、オヤジは言う。
「勝手にすりゃえぇと思わんかね、あんたも」
「は、はぁ・・・」
『ラッキー・ドッグ工房』の隣に店を構える、その偏屈そうなオヤジが売っているのは石だった。『言霊の館』というおどろおどろしい屋号で、どこぞの河原で拾ってきたような何の変哲も無い石を洗い上げ、そこにオリジナルの格言らしき言葉を墨で書き込んで売っている。珠玉の言葉集とでも言う奴だろうか。
『辛くても笑え。力が湧くぞ』
『昨日の自分は、明日への発射台』
『泣きたい時はそうするさ』
まぁ、確かに人生の教訓と言うか、大きなお世話と言うか、何だか有り難そうな言葉が並ぶ。『泣きたい時はそうするさ』などは、一周回って重みがるような気がしないでもないが、いったい誰がこの石を買うというのだろうか?
とてもじゃないが、数百円の価値が有るとは思えないし、タダで貰っても我が家に飾ることは決して無いと断言できる。
そんな意味不明の石を売る老人が、苦虫を噛み潰したような顔で麻衣に言うのだった。
「こんな下らない歌を、よく平気で歌えるもんだ」
アンタの石っころもいい勝負だぞとは言えず、麻衣は愛想笑いを浮かべる。
「まぁ、若い人だから良いんじゃないですか?」
「けっ。若いもクソも有るもんか。だいたい、こんな奴をチヤホヤするから、世の中が変な風になっちまうんだ」
別に、あのフォークシンガー崩れをチヤホヤしている奴などいないと思うし、このオヤジをチヤホヤしたところで世の中が良くなるとは到底思えなかったが、面倒臭そうなオヤジなので話だけは合わせておく。
こういった連中には「はいはい」と言っておくことが、最も安全な対処法であることを麻衣は知っていた。
「まったくですね」
すると老人は目を細めて麻衣を見た。
「ほぅ。アンタは意外に話が分かるらしいな」
ブンブンブンと首を振って、全否定したい気持ちを無理やり抑え込み、麻衣は引き攣った笑顔をその顔に張り付ける。
ヤバい! このオヤジと同類と思われることは、自分にとって何のプラスにもならないことは、火を見るより明らかじゃないか。かと言って敵に回すと、これまた厄介なタイプの人間だ。間違いない。
麻衣が取るべき態度を決めかねている間に、老人は頬を
「どうだ? 一つ、わしのお気に入りの言葉を授けようじゃないか。これなんかどうだ? 我ながら傑作だと思っておる」
そう言って渡された石には、こう記されていた。
『痒いところに、手は届かぬものだ』
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