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「そういうラッキー・ドッグさんはどうなのよっ!?」
「へっ? 私?」
ラベンダー婦人のいきなりな振りに、麻衣は自分の顔を指差しながら、その目をパチクリとさせた。
「そうよそうよ! さっきから黙りこくって! いったい、どっちの味方なのよっ!?」
勝手に仲違いしておいて、味方もクソも無いものである。巻き込まれた方にしてみれば、いい迷惑だ。強いて言わせて貰うなら、お前ら両方とも敵だ。
「いや、あの・・・ 私は別に・・・」
「だってさっき、ウチのフェラーリを羨ましそうにしてたじゃない!? 安い国産車しか買えない、その辺の会社員の旦那を引き合いに出して」
誰が羨ましがった? いつ私が旦那を引き合いに出した?
「あぁ~ら、それを言うなら、ウチの息子に憧れてたでしょ? だって東高に行ってるんですもの。半端な中学からじゃ行けない、この辺じゃ一番の進学校よ」
誰がアンタのとこのバカ息子に憧れたって? 結局、この手の人間は、何を言っても自分の聞きたいようにしか聞こえないのだろうか?
つまりこうだ。いつまで経っても決着が付かない罵り合いに疲れた二人は、共通の攻撃先を見つけることで、事態の収拾を図ろうとしているのだ。共にマウントできる相手を見繕うことによって、怒りの矛先を逸らし、一旦、この場を丸く収めようという思考が働いたことは明白だった。
その辺の意思疎通を何の相談も無しに行えるということは、やはりこの二人、結構、馬が合う仲なのに違いない。
だが、そんな標的にされた方は堪ったものではない。その後も延々と続くマウンティングの嵐に、遂に麻衣の中で何かが弾け飛んだ。
「黙って聞いてりゃ、言いたいこと言いやがって、このクソババァども」
「へっ?」ラベンダー婦人が目を点にして固まった。
「・・・・・・」ジャスミン婦人も言葉を失う。
「ウチの旦那がその辺の会社員だなんて、誰が言った、ラベンダーさんよ?」
「そ、それは・・・」
「あぁ、確かにただの会社員さ。でもね、勤めてるのはトヨサンなんだよ。日本を代表する大企業の一つ、あのトヨサンさ。誰でもが入れる会社じゃないよ」
下らないと思った。勤めている会社で人間の価値が決まる筈など無い。そんなもので人間のグレードが決まると考えている奴らこそ、最低の人間じゃないか。
しかし、自分のことだけならまだしも、勝手な上から目線で旦那や息子をこき下ろされては、黙っていることなど出来るわけない。もう麻衣の怒りの炎は、可燃物が全て消失するまでは鎮火不可能であろう。
「トトト、トヨサン???」
「あぁ、そうさ。トヨサンのエンジニアなんだ。今は100%テレワークで、ずっと家にいるけどな。ウチの車がトヨサンなのは、社員割引きで安く買えるからなんだよ。判ったか!?」
「ほ、ほ~ら、見なさい、ラベンダーさん。い、い、一流企業にお勤めの旦那様じゃない。小さな会社を経営してるからって、お宅の旦那さんと同列に扱っていいお方じゃありませんことよ。おほ、おほほ・・・」
慌てて取り繕うジャスミンだが、時すでに遅し。
「アンタんとこの息子が何だって、ジャスミン?」
いきなり銃口を向けられたジャスミン婦人は両手を上げ、口を開けたままその目を白黒させた。
「東高? けっ。御大層な高校に行ってんだな?」
「え、え、えっと・・・ お宅のお坊ちゃまは、ど、どちらの中学へ・・・?」
引き攣るジャスミン。
「ウチのは毎朝、電車で前橋まで行って、清風館学院の中等部に通ってるよ」
「せ、清風館の中等部!?」
「無論、いい中学に行ったって、いい高校に行ける保証は無いし、大学だってそうだ。それに、いい大学に行っても、一流企業に就職できるとは限らない。
でも、そもそも良いとか悪いとか、一流って何だ? 偏差値が高いとか有名とかって話か?
あぁ、確かにウチの旦那は東京の名門大学を卒業して大企業の社員になったさ。息子だって、隣の市に行ってまで、名門と謳われる私立中学に通ってるよ。
だけど、それが何だって言うんだい? その人生が良いか悪いかなんて、他人様にとやかく言われる筋合いは無いんじゃないのかい?」
「・・・・・・」
「・・・」
「勿論、アンタの旦那は苦労して会社を経営してるんだろうさ。アンタの息子だって、一生懸命勉強して東高に入ったんだろうよ。だからその当人たちは、それを誇ってもいいし、プライドを持ったって構いないよ。
でもね、それを横で見てるだけのアンタらが、さも自分の手柄のように自慢するってのは、どういった了見なんだい? 私たちがして良いのは、頑張ってる家族を労ってあげることなんじゃないのかい?」
ブスブスと燻る炎が、徐々に勢いを増していった。麻衣自身、それに気付いてはいても、もうどうにも自分を抑えることが出来なかった。
「それなのに、誰かとの相対比較で『ウチの方が上』だとか・・・ くっだらない・・・ そういった視点で物事を見ること自体、随分と筋違いの話だってことが判らないのかよ?」
そして、遂に燃え上がった炎が火柱を上げた。
「間違っても、それをネタに誰かをこき下ろすような、みっともない真似をするんじゃないよっ!
そういった中身の無い価値観で人を判断することが、どれ程にさもしい行為なのか、一度じっくりと考えてみるといい! 自分の醜さを省みてみろってんだ!
それが出来ないうちは、二度とウチの旦那や息子のことをとやかく言うんじゃない! 今度フザケタことを抜かしたら、許さないからね! 判ったかいっ!?」
凹まされた両婦人が項垂れながら、無言のまま頷いた。
すると何処からともなく巻き起こった拍手が、三人を包み込む。気が付いて見回すと、いつの間にか大勢の人々が、彼女たち三人の店を取り巻くように集まっているではないか。それは公民館に集まっていた子供たちと、その親たちだった。
「あれれ??? えぇっと・・・」
我に返った麻衣が、予期せぬ拍手の嵐に訳が判らず狼狽していると、公民館の館長と思しき老紳士が一人、その人混みの中から進み出た。
「いやぁ、良い話を聞かせて頂きました。と言うか、よくぞ子供達に今の話を聞かせて下さいました。子供たちが学ばねばならない、最も大切な教訓を、たった今、あなたが授けて下さったのです。
それだけでも、この会を催した甲斐が有ったというものです。本当に有難うございました」
深々と頭を下げる館長に、麻衣は頭を掻く。
「い、いやぁ・・・ それ程でも・・・ あはは」
麻衣は恥ずかしさのあまり、顔を赤らめながらシュワシュワと小さくなった。そして打ちひしがれる夫人たちを横目で見ながら思うのだった。
「あちゃ~。またやっちゃった・・・」
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