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それは『スタジオ・ジャスミン』という、ハーバリウムの店であった。
ハーバリウムとは、ドライフラワーなどをガラス瓶に専用オイルで閉じ込めた、観賞用フラワーアレンジのことである。本来は植物標本を意味するが、レモンの輪切りなどを用いることも有り、近年、オシャレなインテリアとして人気を集めているものだ。
恐る恐る後ろを振り返る麻衣。そして、その店のオーナーと目が合った瞬間、「出た。ジャスミン婦人」と思わず口から出そうになって、慌ててその言葉を飲み込んだ。
険悪な表情で二人の話を聞いていたジャスミン婦人は、麻衣と目が合った途端に、ニッコリと微笑んだ。
「あら、ラッキードッグさん。ハーバリウムにご興味が有るの?」
無い無い。そんな飾るだけで実用性の無いインテリアなど、ラベンダー婦人のスワッグ同様、全くもって興味は無い。そもそも、この公民館のイベントで、子供相手にそのような物が売れる訳が無い。いったいこの二人、何を勘違いして出店してきたのだろう?
ブンブンと首を振って全面否定したい衝動を押し殺し、麻衣は冷や汗をかきながら笑いを顔に張り付けた。
「えぇ・・・ ま、まぁ・・・」
「そうよねぇ。ドライフラワーなんかより、よっぽどこっちの方が素敵だもの。カサカサしてゴミが出る物なんか嫌よねぇ」
あちゃ~、このオバサン、何を言い出すのだ? 見たところ、そこそこの裕福な家庭を築いているのか、品の良さそうな感じを受けるのに、言うことは結構辛辣だ。
と言うか、アンタもそうなのか? ラベンダー婦人と同様、アンタもそっち系の人間か?
「お子さんはいらっしゃるの?」
来た。やっぱりそうか。
「え、あ、はい。今年、中一になったばかりの息子が一人」
「あら、そうなのね。私のとこも高一の息子が一人よ。今年、東高に入学したばっかりなんだけど・・・」
彼女がさりげなく口にした「東高」とは、市内で最高偏差値を誇る進学高校である。土着の人間にしてみれば、東高に通っているというだけで、エリートのような扱いなのだ。
それを聞いたラベンダー婦人が、背後で「ふん」と鼻を鳴らすのが聞こえた。
「折角、頑張って東高に行ったんですもの。将来はこんな田舎町から出て、都会で弁護士にでもなってくれたらいいんですけど。おほほほほ、嫌だわぁ」
何が「嫌だわぁ」だ? 無理やり自分から息子の話に持って行ったくせに。
すると、彼女の言うところの「田舎町」で会社を経営する夫を持つラベンダー婦人が、にこやかを装って話に割り込んで来た。
「あらあらジャスミンさん。ラッキー・ドッグさんは、そんな話にはご興味が無くってよ」
どの口が言っているのか、と思わないでもなかったが、折角、助け舟を出してくれたのだ。麻衣は左を見て微笑んだ。
「あ、いえ・・・ そんなことは・・・」
「あら、ラベンダーさんこそ、随分と勝手な話でラッキー・ドッグさんを困らせてたみたいだったけど」
ジャスミンの反撃に、右を見る麻衣。
「まぁ、失礼しちゃうわ。だいたい東高に受かったからって、将来が約束されたと思い込んでる方こそ、勝手な話じゃないかしら? あの学校の生徒だって、結構、ピンキリだって言うじゃない。そう思いませんこと、ラッキー・ドッグさん?」
「え、あ、そ・・・」
「それって、どういう立場から仰ってるのかしら? こんなクソ田舎でチンケな店を経営してるからって、まさかご自分のことを成功者だと思い込んでるんじゃないでしょうね? 嫌よねぇ、勘違いしてる人って。ラッキー・ドッグさんはお優しいから、話を合わせて下さってますけどぉ」
「あ、め、ま・・・」
もう、右を見たり左を見たり、麻衣は大忙しだ。というか、いちいち話を振らないで欲しいし、そもそも、人の頭越しに口喧嘩をするんじゃない。
「チンケな店で悪かったわね。だいたい、ハーバリウムだかババァリウムだか知らないけど、そんな物を子供たちに売りつけようって思ってることが信じられないわ。いったい、何の役に立つって言うのかしら?」
ババァリウムとはなかなかのネーミングセンスだが、役に立たないという点では、アンタのスワッグにも同じことが言えるぞ。
「あっ、それはそうね。あなたのところのスワッグなんて、薪ストーブの焚き付けには使えそうじゃない。確かに実用性は、そちらの方が有るかもね。おほほほほ。よく燃えそうだわ、おほほほほ」
うむ、確かにそういう使い方は有るな。技ありポイントで、ジャスミンが辛うじてリードか? などと試合観戦している場合では無い。どちらが勝っても構わないから、そろそろ決着を付けて貰いたいものである。
しかし彼女の願望をよそに、二人の口論はどんどんヒートアップしてゆき、遂には間に挟まれている麻衣のことなど眼中に無いといった様相を呈し始めた。
「あなた、高校生ん時に生徒会長に立候補して落選したくせに、偉そうなこと言わないでよ!」
「あなたこそ、学園祭のミスコンで断トツの最下位だったじゃない!」
「なっ・・・ ど、ど、ど」
「どんだけ動揺してんのよっ! トラウマかっ!」
そもそもこの二人、お互いのことはよく知っている間柄のようだ。言ってみれば「犬猿の仲」というやつらしいが、ひょっとしたら本当は仲が良いのか?
「みっともないわね、人の幸せを妬むなんて。私が細川君と付き合ったのはね、向こうから交際を申し込んで来たのよ! それを根に持つなんて、あんたって本当に嫌らしい人ね! 煩悩の塊じゃないのっ!」
「あんた、煩悩の意味判ってないで言ってるしょ! それに、よくそんな嘘が付けるもんだわ! 彼、言ってたんだから。強引に迫られて付き合う羽目になったんだって! 本当は私と相思相愛だったんだからっ!」
いや、やっぱり仲が良いわけではなさそうだ。てか、細川君って誰だ?
それにしても、よくもまぁ、そんな昔の話でいがみ合えるものである。いったい何年前の話だ? その細川君とやらは、今は何処で何をしているのやら。ひょっとしたら、今のラベンダー婦人のご亭主が、当時の細川少年なのだろうか? いやいや、だったら「細川君」などと呼ぶはずがないか。
何れにせよ、お高くとまった勘違い同士の不毛な戦いに巻き込まれ、麻衣は頭上を行き交う罵詈雑言に呆れ果てては耳を覆うのであった。
「はぁ~・・・ もぅいい加減にして」
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