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スワッグを扱う『アトリエ・デ・ラボンド』、それが婦人の運営する店の屋号であった。日本語に直訳すれば『ラベンダー工房』といったところか。無論、麻衣がそのフランス語を読めたわけではなく ──それが何語かすら判らなかったくらいだ── 婦人が親切に教えてくれたのだが。
スワッグとは元来、花や葉を束ねて壁にかける飾りのことで、ドライフラワーやプリザーブドフラワーを使ったものがインテリアとして人気である。花束を逆さにした形態のものが多いが、ガーランドやリース状のものも存在し、オシャレなレストランなどに飾られているのを見たことが有る人も多い筈だ。
そのラベンダー婦人が言う。
「まぁ、可愛らしいポーチですこと。素敵だわぁ。ラッキー・ドッグさんみたいに手先が器用な人、羨ましいわぁ」
ちょっといいとこの奥さんといった、落ち着いたオーラを全身から発しながら、ラベンダー婦人は麻衣の手作りの品々を褒め称えた。
お世辞と判っていても、褒められて嬉しくない筈もなく、麻衣もお世辞を返す。
「有難うございます。ラボンドさんのスワッグも素敵です」
ここで「私も一つ欲しいです」などと、決して言ってはいけない。それを言ったが最後、いきなり勢い込んで売りつけようとするオーナーを、今迄に何人も見て来ている。過去に味わった痛い想いを糧に、麻衣も日々成長しているのだ。
しかし当の婦人は、麻衣に自らの商品を売りつけることには、全くもって興味が無いようであった。それはそれで有難いのだが・・・。
「ラッキー・ドッグさんのご主人は、何をなさってる人なの?」
来た。そっち系か。
商魂たくましい人には、勿論、
麻衣は話が妙に盛り上がったりしないよう、ただし失礼のないよう気を使いながら、愛想笑いで応えた。
「えぇ、普通の会社員です」
「あら、そう。こういったお店を出すことにも、理解を示していらっしゃるのね? 羨ましいわぁ」
ここまでの会話の何処をどう解釈すれば、旦那が理解を示しているということになるのだろう?
その答えは明白だ。そんな話は誰もしていない。でも婦人は、その話がしたいのだ。ラベンダー婦人は、自分の旦那の話がしたいのだ。
「あははは、えぇ、まぁ・・・」
「それに引きかえ、ウチの旦那なんて」
そぉ~ら、来た。
「全く興味を持ってくれないんですもの」
「は、はぁ」
「まっ、仕事が忙しいのは判るけど・・・ あっ、ウチの旦那、会社を経営してましてね。ご存知かしら、元町の方にある『コペンハーゲン』っていうレストランと、五福町の『明珍楼』という中華料理のお店。あれどちらも、ウチの旦那の・・・」
最悪の事態だ。このラベンダー婦人は、面倒臭いだけの、ただのお喋り好きではない。その中でもとりわけ
「はぁ~ぁ、嫌んなっちゃうわ。だからもっと大きな車にしろって言ったのに、あんな小さなスポーツカー買っちゃうんですもの。しかも真っ赤なの。二人しか乗れない車なんて、全然、荷物も運べなくて・・・」
やられた。街の小さな公民館でのイベントと聞いて、こんなお高くとまった店は出してこないだろうと踏んでいたが、考えてみれば、人を見降ろしたい人間は、見下ろす対象 ──つまり獲物だ── のいる所に出没するのが当然ではないか。
「ラッキー・ドッグさんのご主人は、もっと実用的な車に乗っていらっしゃるんでしょ?」
はいはい、お手頃な国産車ですよ。お宅のフェラーリだかポルシェとは違いますよ~だ、と思いながら、ニコニコと応える麻衣。
「えぇ、トヨサンのワンボックスです。この店の荷物も一度に運べて・・・」
「でしょ~っ! そういう車が一番なのよっ! 判ってらっしゃるわぁ」
「ですよね。あは、あはは・・・」
しかし麻衣の愛想笑いも、次第に引き攣ったものへと変わり始めていた。
それは下らない自慢話に飽き飽きしていたからではない。当のラベンダー婦人は、自分の話題に夢中で気付いてはいないようだが、彼女が何かを言う度に、背後から「チッ」という舌打ちが聞こえて来るからなのだ。
怖くて後ろを振り向けないではないか。左を向いて話し込んでいる麻衣の背後、つまり『ラッキー・ドッグ』を挟んで、ラベンダー婦人の反対側に店を構えているのは、確か・・・。
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