第2話

 ここはどこだ。


 記憶を失うほどの衝撃を与えれた俺は、気が付くとポスターが飾られた自室のベットに座りこんでいた。

 カーテンの隙間から一筋の陽光が彼女たちの笑顔を照らしている。


 桃色のツインテールに一部の青いメッシュが特徴で、幼く可愛らしい顔立ち。

 しかし『キュン』という痛い口癖のわりに発言は年寄りじみており、そのギャップが多くのユーザーから人気を得ている。


 ホラゲー実況などでは興奮し心筋梗塞を起こしかけたことや、持病のために多量の薬を摂取している事はしばしネタにされがちだ。


 幾度ものバズりを重ね、個人Vtuberにして大成功を収めている。それが俺の知る竜胆モモだった。


 オタクを自称している俺でも流石にこれはネタだと思っていたが…まさか、事実だとは思わないだろっ!!


 俺の推しが実は、ばあちゃんで!!!

 しかも、ばあちゃんはもう、死んでいるのだ!!!


 情報が多すぎて理解できない。もう、わけがわからない!


 髪をガシガシとかきむしる。何本か抜けた気がするが今はどうだっていい。夢中になっていたものに裏切られ、いまは憎しみさえ感じている。


 笑顔に耐えきれなかった俺はポスターを剥がそうと決め、手を伸ばした。不意にポスターの中にいる竜胆モモと目が合う。


 全体はパステルカラーの淡い色合い。背景は遊園地で所々に花や風船が飾られ、楽しそうに笑っている。

 なのに、右端には堂々とした黒い筆で『竜胆モモ』と達筆な字でサインされてある。


 初回の受注販売分だけ、モモ本人が感謝の気持ちを込めて一枚一枚、書いた。

当時から人気のあるモモが書ききるまでの苦労は相当なものだったはずだ。

 しかし、後日ファンの元に届いたそれは、どこまでも丁寧な文字だった。


 ポスターを剥がす手が止まり、俯くとどこから落ちたのかモモのモチーフのぬいぐるみが転がっていた。


生まれて初めてのバイトでゲットしたやつだ。


 記念すべき初給料はモモのグッズに捧げたってコメントしたら、『大切な人のために使うキュン』って諭された。

 仕方なく残ったお金で、母さんに花をプレゼントしたら涙を流して喜んでくれた。

そんな些細な出来事でも伝えると、モモはまるで自分がプレゼントを受け取ったかのように喜びはしゃいでくれる。


 『これからもそうするやけん!あっ、するキュン!!』

 口を滑らした方言を慌てて変えて、笑いをとる。モモが好きだった。


 ファンにいつだって真摯な態度で向き合う姿勢を尊敬していた。


 まだまだ、語りきれない思い出は山のようにある。


 また一つと思い出していく度に、頬を伝い涙がこぼれていく。

 複雑な思いを含んだ濁流は、自分の意思では塞き止められない。


 泣いて、泣いて、赤子のようにわけもなく泣きわめいて。


 俺はそのとき、初めて、竜胆モモには二度と会えない事実を受け入れることが出来たのだ。



 ズビッ。

 ティッシュで鼻をかもうと伸ばした手が、空をつかむ。

 視線を向ければ、ボックスティッシュの中身は入っていない。


 さっきのが最後の一枚だったのか。


 周囲には丸められたティッシュのゴミが乱雑に放置されている。もう、これでいいや。とすっかり乾いたゴミで俺はもう一度、鼻をかんだ。


 太陽が落ちるころに、ようやく涙が枯れ切った。泣きすぎて目や鼻は痛いが自然と頭はスッキリしている。

 こんな俺じゃ、モモにもばあちゃんにも心配されるな。ふと思い浮かんだ言葉だが、思わず自分でも苦笑してしまう。


 そうしてクリアになった思考で、まだ解決していない問題があることに気づく。

事実を知らない残されたファンはどうなるのかと。

 これから先も俺と同じような不安を抱えながら生きていくのか。


 何もしなければ、月日と共に世間は竜胆モモという存在を忘れていく。

 移り変わりの激しい世界だ。きっと10年後には、誰も覚えていない。


 いや――それじゃダメだ。


 モモが大切にしてきたファンのためにも終止符を打ち、区切りをつける必要がある。

 でも引導を渡す役目は俺じゃない。竜胆モモだ。

 まずは、誰一人として疑われない完璧なモモを目指す。


 自室から出ると、心配そうな顔で見つめてくる両親がいた。泣き声を聞かれていたと知り、羞恥で目をそらした。


「父さん、母さん。心配かけてごめん。それとありがとう。もう俺は大丈夫だから」


 少しの間を置き、息を整え口を開く。

 真剣な表情で両親と向き合った。

 腹はもうくくっている。



「大切な話があるんだ」



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