第3話


 窓から吹き抜ける風は涼しく心地よい。夏の空気を含んだものとは大違いだ。

強い風がカーテンが揺らすと、隙間からは日光があふれる。その眩しさに目が眩らんで目蓋を閉じれば、いつの間にか意識を手放していた。


 この物語は大変不本意ながら、授業中の居眠りで注意されるところから始まっていく。



 肩をトントンと叩かれ、びくっと身体がはねる。

 ゆっくりと見上げれば、髪をワックスでぎちぎちに固めた数学教師が不気味なほどの笑みを浮かべている。


 状況を瞬時に飲みこんだ俺は、身体中の血の気が引いていくのを感じた。ピンと張り詰めた空気の中、前席の男子生徒だけは必死に肩を震わせている。


 俺は気恥ずかしさを感じつつも、速やかに行動を移したのだ。



 授業終了のチャイムが鳴ると同時に、腰を思い切り落とした。

 硬くなった背中を労りながらさすっていると、前から聞き慣れた声がする。


「見事に立たされていたな」

 先ほどの生徒が後ろを振り向き、眼鏡越しにでも分かるほどニヤニヤと笑っている。その口からはギザギザの鋭い歯がこぼれており、悪意のある表情はなんとも嫌みったらしい。


「うるさい。いつもならしない」

「そういえば、太郎にしては珍しいな」

 このごろは、うだるような夏の暑さから解放され薄着でも過ごしやすい時期に移り変わった。


 昨日の疲れと、今日の最後の授業だったこともあり、心地よい秋風に誘われるがまま、不覚にも微睡んでしまった。


「昨日は徹夜だったからな」

 まだ重い目蓋をこすりながら、品定めするようにすぐるをじっくりと観察することにした。



 堂田すぐる。

 こんな風に軽口をたたきあう仲で、高校に入学したころからの付き合いで2年ほどになる。

 俺と同じブレザーの制服を着ているが、ネクタイもしていなければ制服のボタンも留めずに全開で、アングラな印象を受ける。その見た目と言動から教師陣には煙たがれており、一緒にいる俺に向けていつも指摘が飛んでくる。


 その都度、伝えてはいるのだがこの通り、一向に改善される余地がない。

『お前のスケジュール帳に身だしなみを整えるって予定をいれておけ』と皮肉を言ったら『生憎、予定が一杯でね』と皮肉で返されたのは未だに覚えている。


 正直、皮肉をサラリと返せるあたり、ちょっとだけカッコいいとか思ってしまった。嫌味なやつだが、こいつにはアレがある。



「んだよ、気持ちわりぃからジロジロ見んな」

 訂正する。嫌味なやつじゃなくて嫌なやつだ。

 ともあれだ。アレなくして竜胆モモは完成しない。

 どうしても計画に協力してもらう必要がある。


「そういえば、竜胆モモはもういいのか?毎日、死人みたいな顔だったじゃねぇか」


 いつ切り出そうかと悩んでいたところに、思いがけない幸運が飛び込んできた。膝におろしたこぶしを気づかれないように握りながら、言葉を選んでいく。


「よくはないけど、俺の話を聞いたらな、友達じゃなくなるかもしれん」


 すぐるは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、呆れたように頬杖をつく。

「そりゃ結構。ちょうど、縁を切りたかったところだ。気になるから教えろ」

「お前とは友達でいたかったのにな。この動画を見てくれ」

 芝居がかった言い方をしながら、机から自分のスマホを取り出してイヤホンを接続した状態で差し出す。


 すぐるは訝しげな表情でイヤホンを耳にはめ、動画を再生した。再生され始めた瞬間に、目を見開いてこちらを見たが、あえて何も言わなかった。半分ほど見終えると無言で停止ボタンを押し、机の上にスマホを置いた。

 眼鏡外して天井を仰ぎ、目頭を押さえている。



『ビジネスの基本はまずは笑顔から』のハウツー本を思い出しながら。

「協力してくれるよな」

 咀嚼そしゃくが終わったタイミングで、俺が同意を求めるようにニッコリと笑って尋ねる。



 すぐるは細い目で、ジッと憎らしそうにこっちを睨んできたが、当然俺は笑顔を崩さない。散々、頭を抱えたり悶々と悩んでいたが根負けしたようで

「言いたいことは山ほどあるが、まあいい。ガワが変わろうとバレなきゃ問題ないだろ」渋々ではあるが了承してくれた。



「今日からよろしくな。さん」

「こちらこそ、しっかり取れ高をつくれよ」


 すぐるは配信サービスサイトに切り抜き動画をアップして、配信者やVtuberから同意を得て一部の収益をもらっている、いわゆる切り抜き投稿者だ。

 その中で群を抜いた人気があったのが竜胆モモ。モモが消えてしまったのは大きな打撃だったらしく、よくぼやいていた。


 とはいえ、モモをいずれ引退させる理由は伏せておくことにする。

 今、伝えたらショックが大きすぎて俺みたいに寝込んでしまうかもしれない。


「これでお前も共犯だ」

 受け入れてもらったことに安堵しつつ、そう全てが上手くいかないのが人生。


 俺は動画の続きをすぐるに再生するように指示した。案の定、嫌な顔をされる。

「毒を食ったんだ、どうせなら皿まで食えよ」


 これはカッコいい言葉を言えたのではないだろうかと、すぐるを見ると、それどころではないといった様子で頭を抱え込んでいた。



「猛毒だな、これは」

 そこには俺の竜胆モモが映っていた。


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