第7話 小児性愛に効く薬毒7
翌日倒れている継父を発見したのは母親だったが、医者につれていくでもなく放置した。
どうせ酔っ払って眠っているだけだろうと判断したと思われる。
せかせかと仕事に出て行く母親を美優は無表情で見送った。
継父はともかく、杏里は夕べ高熱を出し母親はそれを知っているはずなのに。
朝には杏里の熱がすっかり下がったからよかったものの。
「今日は学校を休もうか」
と言うと、妹は不安そうに首を振った。
視線は流し台の前に倒れた継父を見る。
学校へ行けばいじめられるが、家にいて継父のおもちゃになるよりはるかにましだと判断する。
「じゃあ、お風呂……は無理かな。身体を拭いて新しい服に着替えよう?」
「でも」
「ね、杏里、あたし達は未来を変えなきゃならないんだよ?」
「みらいを?」
「そう。それの第一歩。もうあんな男の事なんか怖がらないし、いじめになんかにも負けないの。だから、ね?」
「うん」
と杏里は不安そうに肯いた。
新しい洋服など近頃では買ってもらった事もなく、それでもまだ洗濯してあるましなトレーナーを取り出して美優は杏里に着せた。
鞄を持って、台所で倒れたままの継父の横を通る。母親は酔っ払って眠っていると思ったようだが、継父の目は大きく見開かれ、口からは泡をふいている。
顔色は青黒く小刻みに身体は動いているが、起き上がる事は出来ないようだ。
母親すら心配もしていないのだから、美優と杏里が何かをする義務もつもりもない。
継父の目線が美優の向いて、何かを訴えるように見つめてくる。
美優は唇を噛んでその視線を見返した。
美優が助ける素振りさえもしなかったので、継父の目が怯えたような表情になった。
美優は杏里の手を握って、継父の側を通り過ぎた。
杏里はビクビクとしながら顔を伏せて、継父を見ないように美優の後をついてきた。
アパートの部屋を出て鍵をかける。
鍵は美優だけが持っている。
ろくに働きもしない継父がたいていは家にいるので鍵を使うこともなかったのだが、これからは使うようになるのかもしれない。
今日、学校から帰るまでに継父が死んでいれば。
どうして急にあんな風になってしまったのかは分からない。
でも、どうかあのまま死んでくれますように、と美優は腹の中で思った。
杏里を小学校へ送り届けて、美優は学校へ向かった。
ハナに起こった出来事を話してどうすればいいのか聞きたかったが、そのハナが学校を休んでいたので、美優は不安な気持ちで一日を過ごした。
下校時間はあっという間にやってきて、また家に帰らなければならない。
小学校へ杏里を迎えに行き杏里が出てくるのを待つ。
杏里は青白い顔でうつむき加減で校舎から出てきたが、美優を見ると少し笑った。
慌てて校門の美優の元へ走って来て、
「お姉ちゃん」
と言った。
それはちょっとした変化だった。今までは美優にも笑顔さえ見せずもくもくと後をついてくるだけだったのだが、今日の杏里は嬉しそうだった。
「杏里、熱、大丈夫だった? 苦しくない?」
「うん、平気」
美優は杏里の額に手をやってから、さほど熱もなさそうなのでほっとした。
そして杏里の笑顔を見て、自分は間違ってなかったと思った。
継父があのまま死んだら私のせいかもしれない。
でも死んでてくれますように、と願いながらも一方では酷く不安だった。
だが杏里を助ける為にはこれでよかった、と美優は思った。
後悔はない。
美優はアパートに着いて、玄関の鍵を開けた。
入ってすぐの台所を覗くと、今朝倒れていた場所には継父の姿はなかった。
嘔吐と失禁の臭い匂いがしていた。
杏里を玄関に待たせて、中へ入る。
その奥のガラス戸を開けても継父も母親の姿も見えず、もう一つの姉妹の部屋にも誰もいなかった。
不安な思いと同時にほっとして窓を開けて空気の換気をする。
「杏里、誰もいないから、入っても大丈夫だよ」
「うん」
おずおずと杏里が部屋に入ってくる。
鞄を置いて、二人ともが床に座り込む。
「おとうさん、どうなっちゃったの……」
と杏里が呟いた。
「あんな奴、おとうさんなんて呼ばなくていいよ」
と美優が言うと、杏里は目を丸くして美優を見た。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「どうもこうも、あたしが間違ってたって気がついたの。杏里を犠牲にして……お母さんだってそうだよ。何の為にあの男をこの家に入れたのかさっぱり分からない。働きもしない、いやらしい目で杏里を見て、でもそれを咎めないお母さんが一番悪い。見ない振りしていたあたしも最低!」
「でも、姉ちゃんは助けてくれたよ」
「もっと早く助けるべきだったよ。ごめんね」
ガチャガチャっと音がして、玄関の鍵が開く音がした。
杏里はさっと美優の方へ身を寄せた。
美優も慌てて周囲を見渡し、三段ボックスに置いてあった彫刻刀の小箱を取り上げた。
蓋を開いて、一本取り出そうとしているうちに、
「美優ぅ? 杏里ぃ? いるの?」
と母親の声がした。
「うん」
二人は身体を硬くして寄り添ったままで、同時に小声で答えた。
母親は部屋の中に入ってきて、押し入れのふすまを開けた。
「お父さんが入院しちゃったのよ。救急車を呼んでもう大変だったんだからぁ。お母さん、着替えとか持ってまた行かなくちゃならないけど、大丈夫よね?」
「生きてるんだ」
と美優が小声で言った。杏里は美優の腕をぎゅっと掴んだ。
美優は杏里の手を優しくさすってから、立ち上がった。
「あたし達は大丈夫だよ。でも、お金頂戴。生活費。杏里の面倒はあたしが見るから。お金だけくれたらいい」
美優は今まで母親に言ったことのない要求をした。
母親にはほぼ無視されていて、機嫌如何によっては食事もなかった。
学校へ納めるお金すら滞納がちで、継父に渡す無駄な金はあっても子供達の事には無関心だった。
母親は面食らった風に、
「ああ……そうねぇ」
と財布を取り出している。千円札を一枚取り出したところで、美優はすぐ母親の目の前に立った。中学二年生だ。母親との背丈はそう変わらない。酒や睡眠薬で毎日を誤魔化している母親よりは若く、力もある。
美優はようやくそれに気がついた。
そして母親もそれに直面したようだ。
「み、美優?」
「お金、頂戴」
「わ、分かったわよ。これで何か食べなさいよ」
と言って母親は一万円札を何枚か美優に渡した。
「ありがとう。お母さん」
美優はそれを受け取って母親に背を向けた。
「杏里、着替えて何か買いに行こう。何が食べたい? 今日はお風呂も入ろうね?」
「うん」
母親はぽかんとしていたが、やがて気を取り直して荷物を作り部屋を出て行った。
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