第8話 小児性愛に聞く薬毒8

 翌日も翌々日も母親は着替えや荷物を取りにアパートに戻るだけで、美優と杏里の事には無関心だった。病院で付き添いの間には仕事にも行っているようで、顔を見れば随分と疲れた様子だった。

「杏里がお父さんに顔を見せてあげたら喜ぶから」

 と杏里を連れて行こうとする時もある。そんな時は美優が間に割って入って、

「本気で言ってるの? あいつが入院して杏里がようやく安心して過ごせるようになったのに? どうしてあんな男を喜ばせてやらなきゃならないの!」

 と言った。

「美優!!」

 と母親がかっとなって手を上げかけたが、美優は目をそらすこともなく母親をじっと見つめた。そうすると母親は気まずそうに手を下ろしてぷいっと一人出て行くのだった。

 美優の目を盗んで母親が杏里を連れて無理に行こうとするかもしれないので、美優は毎日杏里の学校まで送り迎えをした。

 杏里はそれが嬉しいようだった。

 いじめもあり、最近までは学校でも家でもずっとひとりぼっちだったのだが、少なくとも姉の美優だけは自分を守ってくれようとするその姿勢が嬉しかった。

「杏里、ハナちゃんの所へ寄ろうと思うんだけどいい?」

 今日も小学校へ迎えに行き、その帰りに美優が言った。

「ハナちゃん?」

「うん。あの薬をくれた人の所」

「うん」

「お礼を言わないと……それにいつかお金も払わないとね」

「お金?」

「そう。今はお金持ってないから払えないけど、働けるようになったらね」

「うん。杏里も働くよ」

「そうだね。ちゃんと働いてお金払おうね?」

「うん!」

 

 見覚えのある角まで来ると黒猫が塀の上にちょこんと座っていた。

「にゃーお」

 と黒猫ドゥが鳴いた。

「黒猫さん……」

「姉妹か……今日はタイミングが悪いな。出直した方がいいんじゃねえか」

 と黒猫が身体を起こし大きく前後に伸びをしながら言った。

「タイミング?」

「ま、いいか」

 ドゥはひょいひょいと塀の上を歩いて行ってしまった。

 美優もその後について角を曲がると薬毒店の入り口があった。

 引き戸の扉に手をかけて開けると、

「うちの人の身体を治す薬が欲しいの! ここはどんな薬でも作れるんでしょ? そう聞いたわ!」

 とヒステリックな声が響いた。

 見覚えのある後ろ姿の女がカウンターに手をついて叫んでいた。

 その向こう側には男が座っていた。

 煙管タバコを吸っていて、不思議な匂いが店内い充満している。

「おかあさん……」

 と言ったのは杏里だった。

 ふいに女が振り返り、美優と杏里を見た。

「あんたたち……どうしてここに?」

「……」

 美優は何と答えたらいいのか迷ってしまって、何も言えなかった。

 姉妹が黙っているので、母親はまたカウンターの方へ向いて店主へ向かって、

「薬が欲しいの。うちの人、内臓が腐っていってどんな治療も効きめがないって言われてるの。ここならどんな病にでも効く薬を作ってくれるって聞いたわ。お願い、助けて」

 店主はしばらく黙っていたが、ぷうと煙管の煙を吐き出してから、

「何の為にそいつを助けたいんだ? お前みたいな年増にはてんで興味がなく、もっぱらその小学生の妹にご執心じゃそうじゃねえか。お前の娘は街で声をかけられて雑誌に載るほどの美人さん達だ。ゲスな男の餌食にしてねえで大事に育てて将来を見据えるのが母親ってもんじゃねえのか?」

 と言った。

「そ、そんな事あんたに関係ないわ! 金なら払うわ! だからうちの人を助ける薬を頂戴!!」

「金なら払う……ねぇ」

 店主は母親の後ろに立つ美優と杏里をじろっと見て、

「腐れる内臓はな、生きの良い内臓で治すもんだ。健康な内臓を一人前差し出すなら腐りの薬毒の効き目を緩和出来る薬毒が作れるがな」

 と言った。

 母親はさっと後ろを振り返って、美優の腕を掴んだ。

「この娘の内臓を!」

 美優の足下の地面がガラガラと崩れたような気がした。

 この期に及んでまだ母親は娘を犠牲にしようとしている。

「まあ予想通りだな」

 と店主が言い、美優をじろっと見た。

 杏里が美優の背中にぎゅっとつかまった。

 どうしてこの母親っていう人間はあんな男の為に自分を差し出すなんて言えるのだろう。 あの男が治ったらまた杏里をおもちゃにして自分は相手にもしてもらえないのに。

 美優は涙も出ず、ただそんな事を考えた。


「男がカスならそれに群がる女もカス。うんこにたかるハエって言ったらハエに悪いかしらね」

 と言う声がして、カウンターの奥の扉からハナが出てきた。

「ハナちゃん……」

 と美優が言った。

「おばさん、ハヤテが何と言おうと、この依頼はお断り。うんこ治しても世の中の為にならない。どうしてもって言うなら、あんたの内臓で治してやればいい。あんたのイロなんだからさ」

 とハナが言い切った。

「そんな!! どんな依頼でも引き受けるって聞いたわよ。金さえ払えばどんな薬でも毒でも作れるって!」

「作れるし、金さえ払えばあんたみたいなクズにでも薬毒を売る薬毒師は探せば他にもいる。でも、うちは客を選ぶんだ。それは金の有無でもないし、善悪でもない。ただあたしらが気に入るか入らないかさ。あんたの事は気に入らないね。何万回生まれ変わってもあんたはうんこにたかるハエさ」

 と言われ、母親は逆上したようにカウンターの上をばんっと叩いた。

「何よ! どういうつもりよ!! こっちは客よ!!」

 ハナはそんな母親を見てふんっと横を向いた。

 店主がぽんっと煙管を置いて、

「あんた、自分の今後を考えた事があるのか? もう数年したらあんたの娘達は働きに出るだろう。自分で金を稼ぐんだ。そして自分の欲しい物を買えるようになるだろう。自分の好きな場所で住んで、好きな仕事をして、姉妹仲良く暮らすだろう。その時、あんたは? 娘達に見捨てられるって未来が見えないのか? いつまでもお母さん、お母さんと言って纏わり付いてくる子供じゃねえんだぞ? 娘達はあんたの背中を見て、ちゃんと捨てるべきは何なのかを知ってるだろうぜ」

 と言った。 

 そこで初めて母親ははっとしたような顔で美優と杏里を見た。

 だがもうすでに美優も杏里も母親の目を見ようとはしなかった。

「言いたいことがあるなら言っちまったほうがいいぜ」

 と店主が言った言葉に、

「ど、どうしてもあの男を治したいのなら、お母さんの内臓で治せばいい。お好きなように」

 と美優がうつむいたままそう言った。

「ちょっと待ってよ、美優。あたしだってね、あんた達子供を二人抱えて、女一人でどれだけ大変だか」

「毎晩おもちゃにされた杏里よりも大変なの? あたしも高く売り飛ばすとか言われてたけど、それよりも大変なの? 何が大変なの? お金? でもあの男は働きもしない。お母さんの財布からお金を盗むだけ。杏里はご飯も食べなくなって、お風呂も入らない。それが何故だか知ってるの? あの男のおもちゃになるのが嫌だからだよ? それで学校でもいじめられてるの。それでもあの男のおもちゃになるよりは臭い汚いっていじめられる方がましだって思ってるんだよ? そんな杏里よりも大変なの? 子供二人抱えるのがそんなに大変ならもう手放してください。私達は施設にでも行きます」

 抱えていた不満を突きつけられて母親は何も言い返せなかった。

 言い返すほどの理屈も持っておらず、そして突きつけられた現実に反省するほどの知能もないのだろう。悔しそうに唇を噛みしめた。

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