第20話



エリエスやモーリス様が驚いているのが分かる。



 生まれ変わってこのかた、私は人に怒鳴ったことなど一度もない。そうさせているのは、同じく驚いた顔で私を見つめるゼイデン、いや、カイトのせいだ。



 だけど、カイトはハッと何かに気が付いたように慌てて首を横に振り、私の顔をのぞき込むように膝をついて。



「いや、違うっ。お前と出会ったことも、付き合ったことも、後悔なんてしてない」



 そう言って、私に手を伸ばそうとしてくる彼から、私は一歩後ずさる。



「嘘つき……あんたは一度だって、真面目に私と話したことなんてないじゃない。どうせマスコットくらいにしか思ってなかったんでしょ……私は『何でも言うことを聞いて、つまらなくて、自分勝手』で、恋人という『ブランド』がほしいだけの嫌な女なのよねっ?」



 そう私が言い返すと、彼はあからさまに顔を青くさせた。



「どうしてそう言うことだけは、ハッキリと覚えてんの?」



「忘れるわけないでしょーがっ‼ どれだけ悔しかったか、どれだけ傷ついたか、どれだけ悲しかったか、あんたに分かるもんですかっ‼」



 分かるわけない。そのまま死んだ私が、どれだけ苦しんだかなんて……。



 涙なんて枯れ果てたと思ったのに、いまだにボロボロとこぼれて落ちる。



「理解しようとしたし、頑張って支えようとした。何も話したがらないあんたに合わせて、あんたが話したくなるまで待とうって決めてた。私が何も言わないんじゃない、あんたが言えない空気を作ってたんでしょ」



 余計なことを言って、捨てられたくないと思っていたのも事実だけど。



「はぁ……俺が何も言えなかったのは、お前に知られるのが怖かったからだよ」



 彼はそう言うと、今度は逃げようとする私の手を掴み、自分のほうへと引き寄せてきた。そのせいで私は2歩ほど前に足が出る。



「前に、話したことを覚えてるか?」



 カイトはそう言うと、私をじっと見上げた。



「前って、いつのこと?」



「ある男の話だ」



 そう言われて思い出した。ついこの間、聞いたばかりの話だったからよく覚えてる。



 実の母親から様々な虐待を受け、逃げ出した先で出会った愛する人に先立たれ、結局、母親に見つかって最後に殺されてしまうなんて、あまりにも哀れで、そう簡単に忘れられるものではないなと思いながら、頷いて見せる。



「あれは、俺の……いや、カイトの人生そのものだ」



「え?」



 あの話が、ウソでしょ?



「だから、何も言えなかったんだ」



「そんな……」



 そんなの知るわけない。



 話せなかったって、いや、それはわかるけど。



 あの話が事実だっていうなら、そりゃあ、同情だってするけどさ。



 そんなこと、当時の私に言ってくれないとダメなやつじゃん。



「言いたいことはわかるつもりだ。今の俺に――ああ、いや。私にはまったく関係のないことだ。私は、両親に愛されて育ったし、私も人並み以上に恵まれた環境にいると自負している」



 カイ――ああ、違う。ゼイデン陛下はそう言うと、私に微笑を見せる。



「ただ、知っておいてほしかった。『山里 ひなた』に『白崎 誡斗』が打ち明けられなかった秘密も、『ひなた』を心から愛していたことも」



「一度も、言われたことないもん」



 愛してるんなんて。



「愛していたんだよ。だけど、俺が言葉に出すと、途端に薄っぺらで汚いものに変わってしまいそうで、信じてもらえなと思ったんだ」



「そんなの……」



 それでもほしかったといえば、それはわがままになるだろうか?



「ひなた……いや、もうユリシエルだったよな。俺は確かに愛していたし、変わらず今も、愛しているよ」



 ゼイデン陛下はそう言うと、掴んでいた私の手を自分に引き寄せ、私の手の甲へとキスを落とす。



 それは、甘く、切なく、私の胸を締め付ける。



 彼に恋した記憶は鮮明で、彼を愛した気持ちは暖かく。



「陛下……」



「ユリシエル。どうか、私の妻に――」



 と、ゼイデン陛下が言葉を吐き出し終わる前に、私は彼の手を振りほどき、途中で言葉をぶっちぎった。



 なにが『愛している』だ。



「もういい加減に騙されないから。あんたがやらかすたびに私はいっつも許してきたけどっ。今度という今度は、絶対に許さないからっ! あんたと結婚? 冗談じゃないわよっ! お・こ・と・わ・りっ‼ さぁ。帰るわよっ。エリエスっ!」



 私は「フンッ!」とゼイデン陛下に背を向けて、足早に部屋を出た。







 速足で廊下を進み、自分の部屋に近づくにつれ私の歩みは遅くなる。



(なにが……愛してるよ……今さら)



 私は静かに自分の部屋に入ると、そのまま庭へと出た。



 見上げれば、青い空が目にしみる。その痛みで視界がゆがむ。



(何よ。上を向いたって、涙はこぼれちゃうじゃない)



「今さら……」



 本当に聞きたかったのは、あなたの気持ち。だけど、それを知りたかったのは、昔の私で今の私じゃない。今さら愛をささやかれたからって、そんな簡単に受け入れられるとでも思っているのだろうか?



 私は忘れようと思っていたのだ。全部を。



 こんな、私の記憶(前世)を掘り起こしたって、きっと幸せになんて……。



 だって、私は思い出してしまったのだ。



 死ぬ前に願ったことを。



 消え去ろうとする意識の中で、私を呼ぶあなたの声が聞こえて、私は本当に自分が嫌になった。



 今度こそあなたとの関係を終わりにしようと、そう思っていたはずなのに、あなたの必至な声に、あなたへの気持ちが膨らんでしまう。



 あなたを信じてあげたかったし、今度こそきちんと考えてくれると思いたかった。



 本当に自分がバカすぎて。なんで懲りないの? あんなにひどいことまで言われたのに。分かっているはずなのに、あなたの寂しそうな、すがるような瞳を見ると、放っておけなくなるのよ。



『ああ、私がそばに居てあげないと――』



 そう思ってしまうの。



 あなたの優しい声が、甘いぬくもりが、私はちゃんと愛されてるんじゃないかって、錯覚させる。



 同じ世界で同じように生きて、そうして、私を傷つけるあなたに、ありもしない『いつか』を期待して、一生を終えるの? 自分のために?



 でもそれは『愛』じゃない。そんなの、ただの『依存』だ。



 私が欲しいのはそんなものじゃない。



 同じところにいるからダメなんだ。距離の近さじゃない。きっと遠い国に逃げたって、同じ世界にいる限り、あなたを許してしまうんだ。



 それならもっと遠くへ。ここではないどこかへ。天国だろうと、地獄だろうと、どこだってかまわない。



 あなたのいない、どこか別の世界へ。



 だから私は『異世界』にいる。だというのに、なんで――。



「なんで、追いかけてくるかなぁ」



 せっかく逃げてきたのに……。



 もう、無性に泣きたい気分だ。






 自分の部屋に引きこもり、窓から外に出る。日差しは暖かくて気持ちがいいのに、うえっうえっと、みっともなく私は庭に座り込んで泣いていた。そんな私のそばに、寄り添うようにエリエスが同じように座って、私の背中を優しくなでてくれる。



 なにかを言うでもなく、ただ黙って、どこまでも優しく。



「信じられないかもしれないけど……私、ゼイデン陛下と、恋人だったの……ずっと昔、前世で」



 私が独り言のようにそうつぶやくと、一瞬、エリエスは動きが止まり、そしてまた私の背中に手を添える。



「お二人とも、という意味でございますよね? それは何とも、深い繋がりがおありなのですね」



「信じて、くれるの?」



 私がそう言ってエリエスを見上げると、彼女はいつものように穏やかな顔で笑っていた。



「私が姫様の言葉を疑うなど、あるはずがありません」



 そんなエリエスの穏やかな声に安心する。



 だから、私は前世のことを含めて今までのことをエリエスに全部、話して聞かせた。何よりも私が誰かに聞いてもらいたかったのだ。



 一人で考えるのは、もう限界だった。






 一通り話し終えると、エリエスは綺麗なハンカチを取り出して、私の顔をそっと拭いてくれる。



「――私、もう、許しちゃだめだと思うの……また同じことになる」



 という私の言葉に、エリエスは小さく笑うと。



「そうかもしれません」



 そううずいて、さらに言葉をつづけた。



「ですが、前世の陛下と、今の陛下は本当に同一人物でしょうか?」



 そう言って、私を見下ろすエリエスの顔には、いつも通りの優しい笑顔があるだけで、彼女が私に言いたいことが私にはよく分からなくて、私は小首をかしげるばかりで。



「昔の記憶があり、同じ魂を持っていたとしても、もうすでに、ユリシエル様が『ヒナタ』様ではないように、ゼイデン陛下も同じではないのでしょうか? お二人ともに、記憶に少し引きずられているところはおありでしょうが」



「うん……」



「もちろん、同じ魂であるからには『本質』や『根幹』が唐突に変化することはないのでございましょうが、個を形作る『過程』が異なれば、そこに変化は必ずあるものです。同じように育てた魔光虫の中に、虹光虫が生まれたように、必ず同じ結果になるとは限らない。私はそう思います」



「うん……?」



「カイト様が成長する過程で歪められてしまった人生は、カイト様だけのものです。同じように、ゼイデン陛下の今の人生は、陛下だけのものであり、今の姫様の人生も、姫様だけのものでございますよ」



 そう言って笑みを深めるエリエスの言葉に、私はやっと納得できた。



 確かに、私たちには記憶があり、そこに引きずられてはいても、まったく同じじゃない。だって、すでに育ってきた環境が違いすぎるから。



 だけど、確かに『前世』の私も、私であったのは事実なわけで。



「許したほうが、いいの?」



 そうすれば、楽になるんだろうか?



「いいえ、許さなくてもいいのです。それを決められるのは『ヒナタ』様だけでしょう」



「うーん」



「私が姫様に言えることがあるとするならば、きちんと『カイト』様と話をするべきだということくらいです」



 そういわれて、私は苦虫をかみつぶした気分になる。



「それが嫌なんだけど……」



「ふふっ。ええ、分かっております。恋とは難しいものでございますね」



 他人事のように笑ってるけど、楽しんでない? エリエス。



 私はエリエスをじっとりと睨むが、彼女はコロコロとおかしそうに笑うばかりだった。そうしてしばらく笑っていたかと思うと、急になにかに気が付いたようにハッとして、私に顔を向ける。



「姫様、現実的なお話を忘れておりました」



「ん?」



「一国の皇帝に求婚されたという事実でございます」



「はっ⁉」



 本当に現実的な話を振られて、私も今の自分の立場に立ち返ってしまった。



「これは、国同士のお話でございますので、感情のみで決められる事象ではございません。我が国とラベス帝国の全てに関わります」



 エリエスの言葉に私は頭を抱えてしまう。



 そうなのだ。ラベス帝国から提案された嫁探しの手伝いを、こっちは二つ返事でOKしてしまっている手前、あの皇帝が選んだ人を差し出さなきゃいけない。



 それが私ってことが問題なんだけどもっ!



「父様と母様が知らないわけないよね?」



 恐る恐るエリエスに顔を向ける私に、エリエスも神妙な顔で小さく頷いた。



「私は何も聞いてはおりませんでしたが、両陛下がご存じないはずがございません」



 ですよねぇ~。なんて、私はまた頭を抱える。



 王族同士の結婚なんて、国同士をつなぐ大事な行事だ。父様や母様どころじゃない。兄さまや姉さま方だって知らないはずがない。



 今さらながら、お茶会の前に両親に呼ばれた時のことを思い出してしまった。



 あれは釘さしじゃなくて、あの時にはもう、ゼイデン陛下は両親に話していたんだろうと。だから、私と陛下のこと聞きたがったんだ。なんて、今さら合点がいった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る