第13話
モーリス様が退場した後は、いつも通りゼイデン陛下と二人で他愛ない話を挟みながら朝食を食べ終わると、エリエスがそれを見計らったかのようにデザートを持って現れて、私たちの前に置き定位置まで下がる。それを見届けた後。
「そう言えば、姫は普段何をして過ごしているのだ? 午前中はこうして顔を合わせるが、午後に姫と会うことがほとんどないだろ」
と聞かれて、私はデザートのサクサクなパイを口に入れてもぐもぐと咀嚼し、しっかりと飲み込んでから。
「勉強をしているか、何かのレッスンをしています。あとは、本を読んだり、庭で遊んでいます」
「刺しゅうやらには興味はないのか?」
「自分の指を穴だらけにしますとエリエスが泣きますので」
「それは……。不器用なんだな」
「不器用です」
不器用で悪いかっ。刺しゅうなんてできなくったって、別に悔しくないもんっ。
「あー、うん。レッスンと言えば、今はどんなレッスンを受けているんだ?」
ふっ。話題を変えてきやがったか。
「今は乗馬、はご存知ですよね。あとはダンスと健康療法と言う、くねくねしている体操ですね」
健康療法、私がくねくねダンスと名付けた体操は、ストレッチとかヨガみたいな物だと思う。前世ではヨガをやったことがないからよくわからないが、とにかく関節をしっかり伸ばしたり、筋肉をほぐしたりみたいな体操をさせられている。
「ああ、あのなんかよく分からん体操だな。あれは健康に本当に役立っているのか? あれならば打ち込みの訓練の方がよっぽど筋肉もつきそうなものだが」
「私が竜騎士団のレッドファイヤリー様のような筋肉を付けたら、お嫁に行くというよりお嫁さんをもらわなくてはいけなくなります」
「そこはせめて婿と言え。それに50過ぎの筋肉ムキムキオヤジには絶対に成れないから安心しろ」
「成りたくはないですけどね」
だが、あの竜騎士団の団長を務めるだけあって、レッドファイヤリー様は、本当に凄い筋肉をしているのだ。人の胴体ほどある丸太を50本も担いで運んだとか、怪我した飛竜を担いで連れ帰ったとか、うそでしょ? と疑いたくなるような逸話も数知れず……って、そんなことは今はどうでもいいんだけども。
「もともと危ないからと、だれも私に剣術を習わせようとはしませんし」
剣術や体術のような物理的護身術はそもそも私には向かない訓練なのだ。だから、私は基本的に魔法を使った逃走術や防衛術ばかりをやらされている。楽しいからいいんだけどね。
「その細い腕では練習用の木剣もろくに振り回せそうにないものなぁ」
「木剣くらいなら私にだって持てますよっ」
子供の訓練用の木剣はそこまで重くないしっ。ただ、才能と言う意味では、私は剣術の才能なんてものは皆無なのだ。
「だが、やはり姫はダンスのレッスンをしっかり学ぶ方がいいだろうな。よほど健康的に体を動かせるだろうよ」
ゼイデン陛下がそう言ってくすくすと笑うが、私自身もダンスレッスンはわりかし好きなのだ。
「ダンスは楽しいですよね。先生に褒めていただけるくらいには上手に踊れますよ」
「素晴らしいじゃないか。一緒に踊ることもこれからあるだろうからな。楽しみにしていよう」
と、ゼイデン陛下はにやりと意地悪そうな顔で笑う。
ちょっと待て、なんで急に私へのハードル上げてきたのっ!?
その顔は明らかに、子供の背伸びを微笑ましく見ている顔じゃないよねっ!?
「私と陛下の身長差がどれほどあると思っておいでなのですか。操り人形みたいになってしまいますっ」
何しろ私の体はまだ成長途中で、身長が140センチしかないのだ。ところが、ゼイデン陛下は185センチある父様よりも背の高い人だぞ? つまり50センチ近い身長差な上に、私と陛下の体格ときたら、マッチ棒と大木ほどの差がありそうだ。
私はせいぜい年の近い兄さまと踊るくらいで丁度いいんだよ。まったく。
「はははっ! 操り人形とはなかなか、うまいことを言うっ」
ゼイデン陛下は私の言い方がよほど面白かったのか、おかしそうに声をあげて笑うのだが、ちょっと笑いすぎなんですけどっ。
こいつっ。子供だと思って馬鹿にしてっ。なんか悔しいっ。
(頼まれたって踊ってやらないからなっ)
腹が立つのでおやつの続きを無言でパクパクと口の中に押し込んでいく私に、ゼイデン陛下は柔らかい顔で微笑みを浮かべながら私に手を伸ばして、私の頭を優しくなでつけ。
「そう膨れるな。お詫びにこれから街へ連れ出してやろう」
そう言うと、さらに笑みを深めた。
「街へ?」
いやいや、そんな突発的にちょっと出かけようなんて、そんなことができるわけ――。
できました。
(えぇぇ? いつもならみんな全力で止めに来るのにぃ……てか)
「シェリア姉さまとのお出かけなのに、私が付いていったらダメなような気がする」
独り言としてつぶやいたはずなのだが、私の隣にいるせいでシェリア姉さまが私の顔をのぞき込むようにして視線を合わせてきた。
「あら? どうして?」
姉さまに聞こえている時点で独りごとが大きすぎたとちょっと反省。
「どうしてって……」
(つまりこれってデートじゃないの?)
もともと母様の接待プランの一つで、シェリア姉さまとゼイデン陛下は今日、一緒に劇を見に行かれる予定だったらしく、あれよと言う間に支度をさせられたかと思えば、姉さまに手を引かれるように出かける羽目になっていた。
もちろん護衛が6人もくっついて来てはいるけど。
私はなんともうまい言い訳が思いつかず、話題を変えるために姉さまを見上げてにっこりと笑って見せる。
「ところで、今日は何を見に行くのですか?」
と言った私の言葉に、姉さまもすぐに微笑み返してくれた。
「今日は『グランドン伯爵の軌跡』を見に行くのよ」
「えーと、ゴーズ大陸を襲ったドラゴン、バニシモを倒した英雄のお話、でしたよね?」
私がそう答えると、私の右隣を歩いていたゼイデン陛下も口を開いた。
「子供が最初に聞かされる英雄譚でも一番有名なものだな。私も子供のころ子守歌代わりに聞かせてもらった記憶がある。よく知る話ではあるが、こうして劇を見に行くのは初めてだな」
そう言うと、ゼイデン陛下はうっすらと口もとに笑みを浮かべる。
「わたくしもそうでしたわ。恐ろしいドラゴンと戦う勇猛な伯爵の話は胸が高鳴りましたね」
そして、陛下の言葉にシェリア姉さまも楽しそうに返していた。
馬車を降り、大きな劇場の敷地内を歩きつつ、建物に向かいながらのちょっとした雑談ではあるが、これはいい雰囲気なのでは?
「私も子供のころはあの物語の伯爵のように勇ましい男になりたいと思ったものだ」
姉さまの言葉で何かを思い出したのか、ゼイデン陛下は小さく楽しそうに笑って見せる。
「やはり誰でも一度は憧れるものなのですね」
姉さまも楽しそうにコロコロと笑う。
かなりいい感じだろ、これは。だというのに、2人の間に挟まれている私の存在の邪魔さと言ったら、もうっ。こっそり二人の後ろにでも下がりたいが、姉さまと手をがっちりつないでしまっている私が、ここで変なアクションを起こせば二人の会話を切ってしまいかねない。
(ああ、もうっ)
「多少の脚色はあるのだろうがな。英雄に憧れない子供も少ないだろうな」
「ふふっ。そうですね。そう言えば、ユリシーがまだ小さかった頃は、ハリスと一緒に英雄ごっこをして遊んでいましたよ。ユリシーのお気に入りは『キャプテン・ハロンド』でしたね」
姉さまっ!? いきなりなんで私の話になったのっ!?
「ああ、海賊上がりの海軍将校の話だったか。あれも中々ハードな話ではあった気がするが、ユリシエルなら疑問には思わんな」
そう言うと、ゼイデン陛下はおかしそうに笑う。てか、いろんな意味でなぜだーーーっ!!
私の話はどうでもいいでしょう―がっ! 二人の話をしなさいよっ! マジで!!
「敵の海賊役をしていた護衛の者たちをやっつける小さなキャプテンの姿は、本当に可愛らしかったですよ」
「それは是非にでも見たかったな。残念だ」
なんて、ゼイデン陛下がからかうような瞳を私に向けてくる。
「そう言えば、エリエスがあの時に作ったキャプテン帽がまだどこかに……」
姉さまやめてっ!? 何この仕打ちっ!?
「お願いですからもう、これ以上私の恥ずかしいお話はおやめくださいっ! 後生ですからっ!!」
そんな物心つく前の話をされても、私にはどうしようもないのだーっ!!
前世の記憶が戻ったのがそのずっと後なんだから――!!
2人に付いて来たことを若干、後悔しかけたが、大きな3階建ての劇場内部に入れば、まあ私もちょっとくらいはワクワクしてくる。
深紅のカーペットが道しるべを作り、護衛が導くままにそれに従って歩みを進めれば、舞台のほぼ正面に位置する広めの部屋にたどり着く。部屋に入れば座り心地のよさそうな椅子が人数分と、飲み物や食べ物が用意された邪魔にならない程度の大きなテーブルが一つあり、きっと快適なんだろうと想像できた。
この用意されたテラス席は、舞台の真ん中を見下ろせる良い場所だとは思うけど、二階席だからなぁ。オペラグラス必須というやつだ。遠すぎて役者の顔なんてきっとわかりはしない。
「ユリシー、こっち」
くるりと部屋を見回していた私に、姉さまがとっくに席に座って手招きをする。呼ばれて近付けば、姉さまと陛下の間がポツリと空けられていて、ああやっぱりと思わずため息を吐きたくなった。
でも、これは考えれば分かることだ。大人二人が子供を連れて歩けば、当然こういう立ち位置になっちゃうでしょ、まったく。今回は諦めて姉さまの指示に従うしかない。
劇自体は面白いものだった。王道の英雄譚らしく、ヒーローが活躍して敵を倒し、ヒロインとくっ付いてハッピーエンド。魔法を駆使した舞台セットや演出も迫力があって、本物のオーケストラが場面ごとに雰囲気を作り出す。役者たちも迫真の演技で、後半は物語にしっかりのめりこませてもらった。
まあ、なぜ後半なのかと言えば、ゼイデン陛下との距離がやけに近かったことが、妙に気になってしまったからというほかない。たいしたことではないんだけど、気になるともう、どうしようもないじゃない?
休憩時間には3人で劇中の話に花を咲かせ、続きが始まればまた物語に没頭する。こんなことを舞台が終わるまで続けていたはずなんだけど、姉さまより体が大きいせいなのか、やけにゼイデン陛下と肩や腕が触れて、そのたびに私は陛下に謝って、彼に何度頭を撫でられたか。
私の胸がざわつく。思い出したくもない笑顔が目の前にあるからなのか。私を撫でるその手が『彼』を思い出させるからなのか。それとも、思い出せないはずの『私の名前』を呼ぶ声が、今にも聞こえてきそうだからなのか。分からない。分からないけど。
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