第8話

 物心ついたころには、俺には過去の記憶があった。過去と言っても今の自分ではない昔の自分だ。前世とでも言えばいいのか、私は毎日のように『昔の夢』を見ていた。



 今の自分とは全く違う自分のことはまるで『映画』のようで、どこか現実味がなく、それでも『自分』のことだと分かった。不思議な感覚だ。



 私は両親にも愛され、城の者たちも皆私を信頼し、思ってくれていた。だからなのか、『昔』の私の記憶は、本当につらかった。子供の時はあまりの恐ろしさに、母や父の寝ている寝室に逃げ込んだこともある。



 そして、私が10歳を過ぎたころ、彼女の夢を見るようになった。



 白黒だった夢に、初めて色が付いた瞬間だったから、本当に鮮明に覚えている。



 彼女が出てきた最初の夢はあまりの幸福感と、彼女がいないという現実の消失感を同時に味わった。あれほど鮮やかな記憶は、この先も永遠に忘れることはないだろう。



 恋多き皇子と噂されるようになったのは、ある意味彼女のせいかもしれない。



 私はどうしても忘れられなかった。彼女との最後を思い出した後では余計に、忘れられるはずもなかった。



 夢は今も続いている。夢の中の私は、夢遊病者のように彼女を探している。もう居ないと分かっていても、探さずにはいられなかった。彼女の面影を探すことだけが、唯一の生きる目的だった。



 あまりにも憐れな私の姿に、今の私とは違うものを見るような気持にもなった。だが、彼女を思う気持ちだけは、今も消えてはくれない。



 私は結局、夢の中の彼女に、また恋をしたのだ。



 報われない恋を。そして、私は今も彼女を探している。






「――えっと。それで、どうして私は呼ばれたんですか? 私また何かご心配をおかけするようなことでもしてしまったのでしょうか?」



 父様と母様を目の前に、二人の私室に呼び出された私はなぜか、ものすごく神妙な顔の二人と対峙している状態だった。



 いや、本当に、何があったの?



「いえ、違うのよユリシエル。あの、最近、どうかしら。その、お客様がおいででしょう? なにか、そ、そうっ。お客様と仲良くできていまして?」



 華やかさと儚さのようなものを併せ持った、細く美しい白百合のような母様が、どこかぎこちない笑顔でそう聞いてくる。なんでそんなにどもっているのでしょうかね?



 母様の隣には、やはりどこかそわそわした感じの父様がやはりぎこちない顔で笑っている。



 マジで何だろうかこの状況。



「仲良く、と聞かれましても。当たり障りなくとしか」



 三日前に一緒に遠乗りには行ったけど、別に仲良しこよしって程じゃないだろうし。



 今日と昨日は、いつも通り朝来てちょっとしゃべって帰ったしなぁ。そう首をかしげる私に、父様と母様は互いに顔を見合わせて、また私に顔を向ける。



「ユリシエル、その、ゼイデン陛下から、なにか聞いたかね?」



 今度は父様がそう優し気に言葉を吐き出しながら、やはり顔がぎこちない。



「何かとはなんですか? 陛下が誰をお選びになったのかと言うことでしたら、聞いてはおりませんよ。毎日、魔光虫やこの国のこととラベス帝国のことしか話しておりません。あとは、ちょっとした雑談でしょうか?」



 私がそう答えると、父様と母様はあからさまに落胆とも安堵ともいえない顔で深く息を吐き出して見せる。だから、いったい何なんですかね?



「私は、お前の将来のことが本当に心配なのだ。良い縁談を見つけてやれぬかもしれぬ。だからこそ、お前には好きなことをさせてやりたいとも考えているし、お前が心から想い慕う者が現れたなら、多少のことは目をつぶってもよいと思っている」



 なんでか突然、父様が語り始めたんだが、どうした?



「は、はあ。それはありがとうございます。ですが、成人も迎えておりませんので、想い慕う方を見つけるのもまだ先かと」



 私がそう答えれば。



「今すぐと言うお話ではなくて、わたくしも、父上もいつでもそう思っているということをあなたには分かっていて欲しいと思うのです」



 そう母様が言葉をつけ足した。



「はい」



 私は十分に甘やかしてもらっているという自覚はあるよ。と言う思いも込めて、そう返せば。



「よいか、ユリシエル。お前がどんな選択をしても、私も母上も、もちろんお前の兄弟姉妹たちも、お前の味方だということは覚えておいておくれ」



 父様はえらくまじめ臭い顔でそう言った。



「はい」



 だからこそ、私もしっかりまじめに返事をするしかなかった。






 が、しかしである。



「お二人はいったいどうしたっていうのかしら? まるで、私が何かしでかす前提で話してる風だったんだけど」



「もしかすれば――」



 焼きたてのクッキーを口に放り込んだ私の横から、エリエスが空いたカップに紅茶を注ぎ入れながら。



「この間、ゼイデン陛下にお出ししてしまったあのパイの件では?」



 そう言うものだから、思わずクッキーをのどに詰まらせそうになった。



「気にしてない風を装って、しっかり抗議入れてましたとか?」



 もしそうなら、私は兄さまとの賭けに負けたことになるじゃないか。いや、それはどうでもいいけど、失礼な態度で部屋を追い出したという負い目はあるわけだし、私のせいで何か問題が起きるのはよろしくないんですけど、と気持ちがちょっと焦る私に。



「姫様、さすがに冗談が過ぎましたわ。ゼイデン陛下はきっと露ほども気にしてはおられないと思います」



 そうエリエスが困ったような顔で笑うものだから、彼女の冗談だったと分かって私はほっと胸をなでおろしたが、そうなるとやはり気になるのは両親の言葉の真意だ。



 このさい、兄さまとの賭けのことは置いておくにしても、末っ子とは言え一国のお姫様としての教育もされている私だ。まったく失敗がないとは言えないが、ゼイデン陛下が憤慨されて帰ってしまわれたわけでもなく、苦情を訴えている様子も……。



「エリエス、ゼイデン陛下がなにがしかの苦情を言ってきてることはないのよね?」



 温かい紅茶を口に含みつつエリエスに顔を向ければ、エリエスも思い当たるところがないと言いたげな顔で一つうなづいて見せた。



「少なくとも侍女たちには、そう言ったお話は届いておりません」



 エリエスの言葉に、苦情の一つもないということは確かだといえる。



「だから謎なんだけどねぇ。父様と母様が私を呼び出してまで言いたかったことなんだから、何かしらの釘さしなのかとも思えるんだけど、そう言う感じにも見えなかったし」



「もしかすれば、明日のお茶会のことを心配されているのではないでしょうか?」



「お茶会? 明日何かあったかしら?」



 首をかしげてエリエスを見上げる私に、彼女は呆れたと言わんばかりの表情でため息を吐き出して見せた。



 覚えてないんだから仕方ないじゃんかっ。



「明日がちょうど、ゼイデン陛下がこちらにご滞在されてから半分が過ぎる頃合いです。ご滞在中に様々なご予定を女王陛下がお考えだったではありませんか」



 エリエスにそう言われて、そう言えば――と色々と思いだした。



「ああ、母様がなんか言ってたわね」



「思い出していただけて嬉しゅうございます」



 いやぁ忘れてたというか、忘れてたんだけど。



 確かに、ここまで長い滞在と言うのは一国の王ともなれば、なかなか簡単にできることじゃない。だから、主に母様が中心になってゼイデン陛下への接待を計画していたというのは覚えてはいた。たぶん。



 最初にゼイデン陛下がこちらに来た時に開いた晩餐会をはじめとして、兄さまや姉さまがたが色々やっていたのは知ってる。私は率先して参加する気もなかったので無視してたけど、予想外に毎日顔を突き合わせることになったから、それ以上にかかわりたくなくて部屋に引きこもる羽目になっているともいえるかもしれない。



 それにしてもちょうど半分、ゼイデン陛下がこちらにご滞在されてからもうそんなに経つのか。なんて、ちょっとだけ思った。思った以上に時間が経つのは早いものだ。



 それはさて置き、とにかく、お茶会は確かに予定されていたことを思い出した。それ以外の予定は私が参加しないものは知らないけど、ゼイデン陛下がお相手をお決めになった際の婚約発表、これは身内のみへの発表だから正式発表はまた別だ。そして、ゼイデン陛下が帰られる前に開かれる舞踏会。私が参加するのは、お茶会を含めてあと3回くらいのはず。



「やっぱり釘さされてる感じ?」



 嫌でも参加しなきゃいけない場所のことを思えば、父様と母様が釘を刺したくなるということなのだろうか?



「さぁ、両陛下がどうお考えなのかは、わかりかねます」



「そうだよねぇ」



 結局のところ、私とエリエスで頭をひねったところで両親の真意は読み取れない。まあ、仕方ないことだよね。私がぶっ飛んだことをしないように、十分注意すればいいことだ。



「ですが姫様。せっかくのお茶会なのですから、先週デボア様がお選びになった、薄紫の花のコサージュやレースをあしらったあの白いドレスをおめしになられませっ。薄桃色のレースのドレスもお可愛らしくありましたが、フレスフラワーをあしらった薄紫のドレスもきっとお似合いになりますよっ!」



「気合入るのはいいんだけどね。なんでみんなして人に白いドレスを着せたがるのよ」



 エリエスがうれしそうなのはいいんだけどさ。ちなみに、フレスフラワーと言うのは、前世の世界でいうところの藤の花に似ている花だ。



「ユリシエル様は白が本当によくお似合いですよ」



 そう頬をほんのりと赤く染める嬉しそうなエリエスに、そうなんだ。としか言えない私は、気質が前世のままだなぁ、なんて、ちょっと切なくなったりもする。



 似合うと言われるのは嬉しいが、たまには姉さまたちのように原色に近い色のドレスも着てみたいかも、と一瞬、自分で着た姿を想像して、あまりにも似合わな過ぎて思うだけにとどめておいた。



 髪や目の色が前世とは違っていようと、結局のところ顔はそのままなんだから、あんな派手で豪華なドレスがこののっぺり顔に似合うわけないんだよっ! チクショーめっ!! 知ってたよっ!



「大人になっても姉さまたちみたいに成れる要素が欠片も感じられない」



 姉さまたちは長身、グラマーな西洋風美人。方や私は、のっぺり寸胴、ぺったんこ……ぐおぉぉぉっ。



 思わずつぶやいて頭を抱えてしまう私に。



「ひ、姫様っ! 大丈夫ですよ! 世の殿方は華奢な女性がお好きな方も多ございますっ」



「エリエス、それ。フォローになってない……」



 華奢と言えば聞こえはいいが、無い物は無いのだ。ぐすん。

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