第7話
彼女は3日間生死の境をさまよい、一度も意識を取り戻すことなく逝ってしまった。
許してほしいことしか残らなかった。彼女の笑顔を見たのはもうずっと昔のような気さえした。
彼女が戻ってくるなら、なんだってできる。本気でそう思っていたし飽きるほど祈った。
神様だろうが悪魔だろうがなんでもよかったが、この世界にはそんなもの存在していないのだと思い知らされた。祈りに何の意味があるんだ?
大学も辞めた。彼女の居ない世界に何の意味がある?
ただ彼女の残滓を探して歩きまわった。
一緒に行った喫茶店。夕日に染まる歩道橋の上。彼女のお気に入りだったケーキ屋の大好きだったアップルパイは全く甘くなくて。
公園でただ延々としゃべって、カラオケに行って、駅前の居酒屋で一緒に飲んで、酒に弱い彼女を背負って帰ったのをよく覚えてる。背中にある重みとぬくもりに、怖いくらい幸福感に包まれたことも。
連休になったら一緒に旅行しようと約束したのに、果たせなくなった。
大学からの帰り道、車を使うと一緒にいる時間が減るから、俺は大体歩いて駅まで送ると彼女が見えなくなるまで見送った。彼女は一度も振り返ったことはなかったな。
思い出だけはたくさんある。なのに、彼女の香りはもうどこにも残っていない。
探してもどこにもいない。
俺は何でここに居るんだ? 無意味な世界からは抜け出せばいい。死ねば終わりだ。
終わらせてしまえば楽になれる。
だけどできない。
『――生まれ変わりねぇ? リセットしてやり直せるっていうなら、生まれ変わりもありかもなぁ』
俺には、やり直したいことしかない人生だった。だから、リセットできるなら、初めから全てやり直せるなら、俺は喜んで自分の首を掻っ切ることができたと思う。
そんな投げやりな気分で答えた俺に。
『いやいや、生まれ変わりたいなら自分で死んじゃダメだよ』
そう、彼女は言った。
『なんで?』
俺一人だったら、とっくの昔に終わらせていただろうことは自分でもわかる。浅ましくも生にしがみつく理由なんて、一つしかなかった。
『だって、自分で死を選んだ人は生まれ変われないって聞くじゃん』
『誰ルール? 俺には関係なくね?』
別に消えてなくなったってかまわなかったんだよ。俺一人なら。
『そうなんだけどさっ。でも、やっぱりダメ。どんなに辛くても最後まで生きなきゃ。生まれ変わったらまた私に会えるかもしれないよ?』
『ふーん』
『うわっ! 興味ない返事しやがったっ!』
『え? あー興味はあるある』
『適当かよっ!!』
だから、俺は馬鹿みたいに、彼女の言いつけを守るしかない。
もう俺にはそれしか残されてない。
それだけが、生きる唯一の理由で、俺をこの世に縛り付ける鎖だ。
(もう一度会えるなら)
狂いそうなほど憎悪と絶望しかないこの世界でも、最後まで……。
ゼイデン陛下はかなり大雑把で大らかな人だと思う。
出て行けと言った翌日の朝、ゼイデン陛下は何食わぬ顔で部屋にやってきて、いつも通り魔光虫やら、魔工兵の話やら、他愛ない雑談をしながら、なぜか一緒に朝ご飯を食べる羽目になっている。なぜ?
「姫はもう嫁ぎ先は決まっているのか?」
「なんですか、突然。12番目の王女に婚約者なんて簡単にできると思います?」
「そうだな。12番目だものなぁ」
しみじみ12番目とか言われると、自分で話をふったクセに腹が立つ。どうしようもないね私。
「ゼイデン陛下こそ、もう誰と婚約するかお決めになられたのですか?」
「私か? もう決まった」
のんびりしているようでしっかり決めてやがりましたか。と言うことはだ。
「では、早めにお国に戻られるのですね」
これでなんかやっと解放されると一安心した。のだが。
「いや、一先ず国王陛下と話しをしてから結婚を申し込むつもりでいるが、確認したいことも多々あるのでな、時間いっぱいまで居るかもしれない」
ちっ。なんて舌打ちは実際できないが、心の中で思うのは自由だろう。
姉さま方の誰を選んでも――まあ一人をのぞいてはだが――みんな普通にOKだと思うけどなぁ。
大穴狙いで、兄さま方の誰かとか、侍女の誰かとかいう落ちもあったらそれはそれで面白いんだけど。まあそういう面白いことにはならないだろうから、誰が選ばれたのかなぁ。と言うのを一人で想像してニヤニヤしていることにしよう。
「そうですか、万事が滞りなくありますよう祈っております」
「ああ、一応、礼は言っておく」
一応かよ。この前はいずれ家族になるからうんぬんかんぬんと言ってたくせに、そこは将来のかわいい妹に愛想を振りまいてもいいんですけど? 愛想をね。もちろん断じてフェロモンじゃない。
雑談をしながら朝食も食べをわり、そろそろゼイデン陛下も私の部屋から出ていくころかと思いながら、食後の紅茶に口を付ける私。
ゼイデン陛下がそろそろ部屋に戻ると言ってくると思うのだけど……。
「ところで、姫は乗馬が苦手だと聞いたのだが?」
部屋に戻るどころか、さらに話しを振ってきた。
(なんだかな……)
ソーサーにカップを置いて、私は仕方なく彼との会話を続ける。
「少し、力の加減がつかめません。一人でサニーと出かけるのはずっと先になりそうです」
サニーは兄様が選んでくださったのだからとても良い馬だ。だけど、乗るのが私と言う時点で察して欲しい。うまく乗れなくてもいいから、普通にお出かけできるくらいにはなりたいよなぁ。と、思うと、自然とため息も漏れる。
「そうか。それなら、練習がてら遠乗りでもどうだ?」
「私は乗れませんが?」
人の話しを聞いてた。この人。
「練習がてらだ」
「私一人では不安なので、アーニーを連れて行ってもいいのであれば」
最悪アーニーが一緒なら、アーニーと一緒に乗って帰ってこれるし。
「私が見てやるのだから安心していい。これでも乗馬は得意な方だからな。それに、この城の者が一緒では余計な気を使わせてしまうだろう? それはあまり好ましくない」
なんて笑顔でのたまうゼイデン陛下だが、本当は二人で出かけたくないんですけど。と言う、私の本音など言えるはずもなく。
「この城の後ろにある精霊の森の側なら、魔獣も寄ってはこないだろう」
と言われてしまえば立場上、断るわけにもいかない。そもそも昨日失礼な態度で部屋を追い出してしまっている私には若干の負い目ってものまであるので。
「そこまで仰るなら……」
そう返事するしかない。
私の暮らすソーデナブル城の裏手には大きな草原が広がり、小高い丘と草原を囲むように大きな森が広がっている。
その森は通称『精霊の森』と呼ばれ、多くの妖精や精霊が暮らしている。
そもそもソーデナブル王国は大魔法都市という名を持つ国であり、この大陸では最も優れた魔法士を産み育てることのできる場所としても有名である。なので、魔法薬学も最先端であり、優秀な薬師も多い。なにより薬の研究が盛んなのも、この精霊の森があるおかげと言える。魔草や魔花は、妖精や精霊が住む場所で育つというのは常識だ。
だけどこの大陸は本当に絶妙なバランスで成り立っていると私は思う。
それというのも、私の国が『大魔法都市』と呼ばれているといっても、一番強いとかそういう意味ではない。例えば、ゼイデン陛下の治めるラベス帝国では、魔工学と言う科学が発展し、この大陸ではラベス帝国以上の軍事力を持つ国はない。他にもドラゴンや魔獣を飼いならして一大産業を作っている国もあるし、海のそばにある国では、海運貿易と海上船団でもって、大陸の出入り口を守っている大きな国もある。
この大陸では、それぞれの国がそれぞれ違う分野に特化しているおかげで、争いもなくお互いに助け合いながら手を取り合っていけるし、外からの侵略にも強いのだ。おかげで本当に、私は平和な場所に生まれてよかったと常々感じている。
ああ、そう言えば。なんで精霊の森には魔獣が近寄らないかというと、精霊や妖精は人や獣や虫によくいたずらをするのだ。多くの魔獣はそのいたずらが嫌で近づかないらしい。それに妖精以上に精霊は怒らせるとヤバい。と言うのを本能で察してるんだろう。
私は残念ながら、精霊は見たことはない。妖精ならたまにうちの庭で蝶々と追いかけっこしてるのを時々見かけるかな。
清々しい青空の下、青々と光る精霊の森をバックに何とかサニーと城の裏手にある草原まで来ることができた。まあ、ゼイデン陛下に助けられながらだけど。
サニーとゼイデン陛下の愛馬、グレンを近場で休ませて、私はぐっと伸びをした。今の季節は本当に気持ちがいい。
春風の心地よさに、草原や森から香る草木や土の匂いに胸の中が満たされる。
小高いこの場所から遠目に見える城が、なんだかジオラマ模型のようで少しだけかわいく見えた。
「今日も一段と天気が良くてよかったですね」
こうして連れ出してもらえるのは悪いことではない。気分転換にもなるし、少しは苦手意識の克服につながるかもしれないし、なんて、ゼイデン陛下の方へと顔を向けるが――。
(やっぱり苦手なものは苦手だわ)
と、微妙な気分になった。
「ああ、そうだな」
ゼイデン陛下はそう返事をすると、近場にある手ごろな岩に腰を下ろしていた。
風に吹かれて緩やかに遊ぶ髪を、軽くかき上げてふと空を見上げる。なんでもないその仕草でさえ、まるで絵のように美しかった。
(まあ、だからモテるんだろうけど……)
私から見れば、それはずっと遠いどこか別の世界のような。まるでテレビを見ているような感覚に近かった。ここではないどこか別の場所の、私とはまったく関係のないただの『絵』でしかなく。
(ああ、またイヤなことを思い出した……)
カイは、私と居てもいつもどこか遠くを見ていた。
何かを思って、なんとも言えない難しい顔をして、どうしてそんな顔をするのかわからなくて、理由を聞いても結局は教えてくれなかった。今考えれば、彼は私を信用してなかったんだろうなと思う。
同じ顔で、今もそうやって遠いところを見ているゼイデン陛下を見ていると、あいつを思い出す。
あいつの世界には『私』なんて存在してなかったことを思い出す。
(きっと、この人の中にも『私』は存在しないんだろうな……)
結局、あいつは本当に欲しいものが見つかったんだろうか。それを、手にすることは出来たんだろうか?
見上げれば、どこまでも青く光る空は透けるように鮮やかで、伸ばしても届かない空の彼方のその向こうに、私の欲しかった答えがあるような気がして。
つまり、その答えは永遠にわからない。と言うことなのだ。
(くだらない)
どう頑張っても知りようのないことに、いつまで引きずられれば気が済むのだろうか。
「姫は、恋をしたことはあるか?」
空を仰ぎ見ていた私の耳に、突然ゼイデン陛下の声が入ってきた。
なに突然。変なことを聞いてくるな、この人。とゼイデン陛下へと顔を向ける。
「生まれてこの方、そういう経験はございませんね。城の者は皆家族同様ですし、そもそも、家族以外の男性で言えば、こうして話したり出かけたのは陛下が初めてでございますよ?」
しかも私はまだ成人前だし、誰かしらの誕生日に貴族たちが集まることはあっても、個人的にお近づきになるとかないから。何しろ12番目だし。くそっ。
出足から躓いてる感が半端ないんだけどっ。
「陛下は恋をしておいでなのですか?」
私がそう聞き返せば、ゼイデン陛下はふっと皮肉めいた笑みを顔に浮かべた。
「そうだな。だいぶ長く……」
なんだそりゃ。
恋多き、なんて噂されるこの人でも、恋なんてものをしてるのかよ。なんて、ちょっと嫌な気分になった。
いや、だってさ。
「それでしたら、その方とご結婚されればよろしいのでは? それとも側室としてお迎えする準備をしていらっしゃるとか?」
と言う嫌味を言いたくもなる。
何しろうちの両親は12人も子供を儲けるくらいのラブラブっぷりだ。姉さま方の誰を選ぶにしろ、側室ありきでは、うちの両親が快くは納得しない。誰に恋をしているのかは知りたくもないが、その人の身分が足りないというならば、どこかの貴族へ養子に取らせるという方法だってある。それなのに、わざわざ好きでもない誰かとの結婚を選ぶなんて、個人的に嫌だ。
「生涯を共にするのは一人と決めている」
そう言って視線を足元に下げるゼイデン陛下の顔は、なんと表現していいかわからない。微笑んでいるのか、諦めているのか……。
「ならば、なぜ恋した方と結婚されないのですか? 陛下に申し込まれれば嫌と言われないのでは?」
まあ知らないけど。ちなみに私は嫌だけどな。
「複雑なのだよ」
そう言うと、ゼイデン陛下は今度こそどこか煤けた感じで微笑んで見せた。なんで哀愁を背負っちゃってるんだろうかこの人は。
存外、子供には分かるまい。ってか? 分かりたくもないわ。
恋多き、なんて言われてる人だ。きっと好きな女性に告白したところで信じてもらえない。ってのが実際のところじゃないかとは思う。言いたかないけど、クズの臭いがするんだよね。この人も。
「そうですか。子供の私には分かりませんが、恋と言うのは大変なものなのですね」
と言うにとどめて、無邪気な顔を作って笑って見せた。一人で勝手に悩んでください。
そもそも、子供な上に恋をしたことないって言ってる私に振る話じゃないでしょーが。
「大変か……そうだな。姫は、一目惚れを信じるか?」
「先ほどから陛下のイメージからほど遠いことばかり聞いてきますね?」
私がそう言って首をかしげて見せれば、ゼイデン陛下は私のほうに顔を向けて、きょとんとした顔を見せた。なにその『え? なにが?』みたいな顔は。
「姫の中で私はどういうイメージなんだ」
「聞かれましても」
普段の自分の行いや噂を思い出してみたらいいんじゃないかな? なんてことは言えないが、困ったように笑って見せれば、ゼイデン陛下も合点がいったようで。
「あの不名誉な噂のほうか」
と言って眉間にしわを寄せた。やっぱり自分の噂をちゃんと知ってたか。
「私の耳にも届くほどには有名ですから」
「不名誉極まりない」
だろうな。それが事実と異なってるならだけど。
「否定をされないからでは?」
「私から誘ったことなど一度もない」
「据え膳――」
やっぱり噂通りじゃねぇかっ! と思ったものの、口に出しかけた『据え膳食わぬは何とやら』は慌てて飲み込んだ。この世界で据え膳は全く誰にも通じない言葉だし、説明するのも面倒くさい。
「結局、噂通りかと思いますが」
なので、言葉を言いなおしてジト目でゼイデン陛下を見つめれば、首をひねって「んー」と顎に手を当てる。
「無暗に種をばら撒く失敗はないはずだが?」
「いたいけな少女を前に言うことじゃありませんけどっ!? そもそも恋人でもない方と――って、私はしりませんっ! そんなだから噂をされるのですっ! 自業自得ですっ!」
言いたいけど言えないんだよっ! ツッコミ入れられないこの苦痛っ! ボケるんじゃないわよっ!
「答えをまだ聞いてないが?」
「は? ああ、えっと、初恋を信じるかでしたっけ?」
面白そうにニヤニヤしてるんじゃないわよっ。まったく、なんだこいつ。
「よくわかりません。本人も気が付かないところで、きっと何かしら切っ掛けはあるのでしょう。それを一目惚れと言うのではないでしょうか。自分の意思を飛び越えた何かが恋なのだと思いますから。あってもいいのではないですか?」
私の場合は一目惚れだった。だけど、私が初めて見たのはあいつの顔ではなく手だ。優しい手つきで子犬を抱き上げたその手が気になって、子犬に顔を舐められたあのふやけた顔に惚れたのだ。
あんな優しい目で見つめられ、あんな優しい声で名前を呼ばれたい。あの優しい手で触れられたい。そう思ったから……。
あいつのことは、もう忘れたい。だけど、あいつを好きになったことを後悔してはいない。
あの時の気持ちは、嘘じゃない。嘘にしたくない。
嘘には出来ない。
だから、それ以上に、あいつが――。
「私も一目惚れはあるのだろうと思っている。惹かれる相手だからこそ、一目で気付くのだろうよ」
ゼイデン陛下はそう言うと、今度はどこかスッキリしたような顔で口元に笑みを浮かべていた。
だけど結局さ。恋なんて、ほとんどが片思いばっかりだよ。同じように思ってくれる相手を見つけることこそ、まさに天文学的数字じゃないの? なんて、ちょっと馬鹿なことを思ってしまった。
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