第6話
「近年稀にみる大型のウォルフです」
アーニーにそう教えられ、騎士たちが大きな獣の死骸を囲んで居るのを遠目に、私はやっと状況が分かってぞっとしていた。ちなみにウォルフと言うのは狼に近い種類で、大きさは通常でも3メートルにはなる凶暴な魔獣なのだが、騎士や兵士たちが囲んでいるのは6メートル以上ありそうだ。
サニーを馬小屋に戻し、状況の説明を受けて、改めて私の体が震える。
サニーが暴れだした原因が、つまりこのウォルフだったということだ。
この訓練場は、そこそこの魔獣なら侵入すらできないような強固な石壁で、おまけに防壁やら保護魔法もかかっている。にもかかわらず、その石壁と魔法をも破壊して侵入してきた巨大な怪物に、サニーどころか、驚かない人はいないだろう。
そもそもウォルフはトライデントホースが大好物――ちなみに、次に人間の子供が好物――で、ここにウォルフが現れることは想定の範囲だった。だからこその二重防壁だったはずだが、6メートル級の化け物なんて、これははるかに予想外もいいところだ。その大きさじゃあ、従来の防壁なんて意味をなさなかっただろう。そう思えば、これはもう事故としか言いようがない。
「5・6メートルはありそうですね」
先ほどよりも青ざめたシェリア姉さまが、私の手を握りながら震えてそう言った。
「ああ、それにしても。さすがソーデナブルの騎士たちは、あの大型魔獣をいとも容易く片付けるな」
感心するようにそういうゼイデン陛下だが、とんでもないと言うふうに、アーニーは深々と頭を下げ。
「いえ、訓練場に入り込まれた時点で気が緩んでいる証拠です。なんとお詫び申し上げればよいのか。この失態の責任はすべて私にございます。皇帝陛下に助けていただけなければ、我が国の至宝であらせられるユリシエル殿下がどうなっていたことか、考えるだけでも恐ろしゅうございます。心より感謝申し上げます。つきましては、いかような処罰も謹んで受ける所存でございます」
と、硬い口調でいうが、ゼイデン陛下はふっと柔らかな笑みを顔に浮かべ。
「私が言うことは特にない。そもそも、この国の兵士を信頼している。あとは当人と、国王陛下がどうされるかだ」
そう言って、私の肩に手を置いた。
アーニーとそれ以外の兵士や騎士も、ゼイデン陛下の言葉で一斉に私の方を向く。
いやいやいや、え? 説明を受けるまで割と危険だったことさえよくわからなかったくらいなのに、と助けを求めるように姉さまを見れば、彼女も私に『どうするの?』と言いたげな顔を向けてくるだけだった。
えっとぉ……。
「では、そこまで大きなウォルフを退治し、私を守ってくださった皆には、お咎めはナシで。と言ったところで、どうせ納得はしないのでしょう? だったらウォルフに壊されたであろう石壁の修理を皆さんがやるということでどうですか?」
と私が首をかしげて見せれば、兵士や騎士たちは一斉に頭を下げ。
「謹んでお受けいたします」
アーニーが代表としてそう言葉をつけ足した。
まあ、たぶん誰かが父様に今日のことを報告するだろうけど、私が決めたことに父様は文句を言わないだろう。罰を与えること自体要らないとは思うけど。
それと大事なことを忘れちゃいけない。
私はゼイデン陛下に振り返り、深く頭を下げ。
「助けていただき誠にありがとう存じ上げます。また陛下を煩わせてしまったことをお詫び申し上げます」
と堅苦しいお礼を述べれば。
「是非もない。無事ならばよい……が、あまり堅くなってくれるな。お互いに疲れるだろう?」
そう言ってゼイデン陛下は苦笑いを見せる。
「一応、私が頭をたれる立場なのですけど?」
「いずれ家族になる者にまで気を使われるのは将来困る」
「なるほど」
確かにそれは一理ある。が、なぜか少し引っかかった。でもどこに引っかかったのかが分からなくて、私は自分のその違和感には気付かないふりをした。
(いずれ家族になる……か)
もう、誰を嫁にするか決めたんだろうか。
私には前世からの大好物がある。
実はアップルパイが大好きで、毎週自分で焼いていたくらい好きだった。
ところがどっこいこの世界には『リンゴ』が存在していないのだ。それを知った時のショックと言ったら、頭がおかしいんじゃないかと思われるくらい落胆したものだが。
実はリンゴに近い味と触感の果物は存在している。まあ、それを探し当てるまでにすごい時間がかかったが、今では週に一度、3時のおやつにはリンゴそっくりの果物でパイを焼いてもらっている。
だがそこまでの道のりも決して楽ではなかった。
そもそもリンゴに似た果物『コナ』は、酸味が強すぎて食用には向かないと判断されたものだったから、見つけるのも相当苦労したのだが、実はトライデントホースがコナの実を好んで食べるのだ。
ある日、私がサニーの世話をしているとき、たまたまサニーにおやつをあげる過程でコナの実を切る作業をした時に発覚した。匂いがそっくりだったから一口食べてみたのだが、あれは本気で酸っぱかった……。
とは言え、触感やにおいはリンゴのそれに近く、これがリンゴの原種だと考えれば。そう考えが行きついた私は、コックに無理を言って作ってもらったら――私が自分でやるといいだしたら大惨事だし――出来上がったのだ。
私の夢のアップルパイ!!
コックたちやエリエスには渋い顔をされたが、試行錯誤の結果、完成したコナのパイは間違いなく完璧なアップルパイだった!
「幸せ~」
「まず食べてみようとするところが姫様らしいですね」
今日は待ちに待ったアップルパイ改めコナのパイの日で、私は大きくカットされたパイをフォークで切り分け口の中に入れる。
温かくて甘酸っぱくて、さっくりのパイ生地が最高だ。
「姉さまたちにも好評じゃない?」
「確かに。美味しいパイになりましたからね」
そう言って苦笑いを見せるエリエスだが、彼女だってこのパイは嫌いじゃないらしいことを私は知っている。
「でもさぁ。残念なのは、コナの実がそのままでは食べられないことよねぇ」
あれは、もう、本当、泣きたくなるくらいに酸っぱい。おまけにうちには品種改良ができる人材も設備もないし。
「品種改良は魔法ではなく錬金術の領域ですからねぇ」
「んーー。なんで植物の専門家って錬金術師なんだろう?」
「それは、たぶん薬師が草花に特化しているせいではないでしょうか? ポーションの多くは魔草を原材料にしていますから」
「同じ植物なのに」
「そもそも薬師は魔法士に近い職業ですからね。錬金術と言えば科学の領域です。魔工学のほうが錬金術に近いはずですよ?」
「科学って難しいね」
「さようでございますね」
科学と言っても、結局は私が聞きかじった前世の記憶の科学と、この世界の科学は全くの別物だしさぁ。本当に難しすぎる。
「このパイがおいしい。もうそれだけで私は満足だよ」
難しいことは考えない。とエリエスと他愛ない話でのんびりしていれば突然、部屋にノック音が響いた。とは言え、対応はエリエスがしてくれるので、私はそのままパイの続きを楽しむことにしたのだが。
「姫様、ゼイデン陛下がお見えです」
と言うエリエスの言葉に、私はかみ砕いている途中のパイの塊を飲み込んでしまった。
「うっ。うん。はい?」
私は急いで口元をナプキンで拭い振り返ると、そこにはすでに部屋に入っているゼイデン陛下と目が合った。
まだ『どうぞ』も言ってないんですけどね。いいけどさ。もう。
「魔光虫を見にいらしたのですか?」
私は取り繕うように顔に笑みを浮かべて見せるが、ゼイデン陛下は「いや」と一言発して私の前までくると、私が今まで食べていたパイへと視線を向けてじっと見つめていた。
(なに? この人も甘いもの好きなの?)
さすがにお客様にこのパイを出すわけにはいかないので、出さないように指示はしてたんだけど……誰か間違って出して怒らせたとか?
「あの?」
様子を窺うように声をかける私に、ゼイデン陛下は静かに口を開き。
「このパイをはじめに作るように指示したのが君だと聞いた」
低い声でそう言うと、静かに私を見つめた。
なんか、この態度。やっぱり誰かが間違って出しちゃって怒らせたが一番有力かもしれない。
「はい。お客様にはお出ししないように注意していたはずですが、もし間違って口にしてしまわれたのだとしたら、それはすべて私の責任です。城の者や父様を責めないで上げてください」
と、私が頭を下げれば。
「いや、コナの実を使っていることは聞いてる。大変にうまかった」
そう返ってきたから、私は顔をあげてゼイデン陛下を仰ぎ見た。
「それならば、よかったのですが……あの、ではなぜこちらに?」
気分を害したんじゃなければ、作り方でも聞きに来たんだろうか? それならコックに聞いてほしいんだけど。
「いや、ただ……うまいとは思うが。……同じパイなら、もっといいものがあるだろ? なんでこれだったんだ?」
とゼイデン陛下は、昔どこかで聞いたようなことを、少しだけ口元に笑みを浮かべて聞いてくる。
(昔、誰かが同じようなことを聞いてこなかったっけ?)
確かに、誰かに聞かれたことがある気がするのだ。
『アップルパイも確かにうまいけど、同じパイならもっといいのがあるだろ? なんでアップルパイ?』
あの時も、確か。そんなことを聞かれた。だから私は……。
「私、これが大好物なんです。だって――」
『私の大好物なの! だって――』
ああ、思い出した。
「リンゴに恋してるから……」
そう答えたことを。
カイに連れて行ってもらった喫茶店にたまたま置いてあったアップルパイ。それを頼んだ時に、カイが『こんなので幸せになれるなら毎日でも食わせてやろうか?』なんて言って、彼に笑われたのだ。
だけどあの時は彼の言葉がうれしかった。
だって、私に毎日会いに来てくれる。そう言ってくれたみたいで……。
(気分が悪い……思い出したくないっ!)
私はテーブルを叩くように両手をついて立ち上がる。『バンッ!!』と、思った以上にテーブルを叩いた音が部屋に響いた。
「申し訳ありませんが、気分が優れませんのでご退室願えますか?」
「ユリシ――」
「お願いしますっ!」
相手の顔は見れない。失礼なことをしている自覚もある。だけどそれ以上に耐えられない。
(私が触れたくないところを穿らないでっ)
顔も、声も、その仕草も、本人かと見紛うばかりのあんたが、同じセリフを吐くのは、耐えられない。
ゼイデン陛下はしばらく私を見下ろしていたが、ただふっと息を吐き出して静かに私の部屋から出て行った。
「姫様……」
エリエスの私を呼ぶ声が聞こえるが、限界だ。
私は食べかけのパイごとお皿を持ち上げると、そのまま床へと叩きつける。エリエスが息をのむ音が聞こえた。
苛立ちと怒りに頭が白くなる。今は、あの声も、顔も見たくない。
それなのに、私は自分の両目から流れる涙に気が付いて、情けなさや悔しさに心が『痛い』と叫び声をあげることに落胆してもいた。
「姫様、何かお辛いことがあったのですか? ユリシエル様、私がお側におります」
優しいエリエスの言葉に揺さぶられ、全ての感情が混ざったような苦しさで息もできない。
とめどなく溢れる私の涙をエリエスは拭い続けてくれる。
いつでも、彼女が味方であることを私は知っている。ここはもう別の世界だ。もう2度と苦しむ必要なんてない世界で、誰も私を傷付けようとはしない世界なのだ。
それなのに何で――。
「私にはわかりませんが、あの方がユリシエル様を傷つけたのですか? そうであるなら、2度とあの方を近づけさせません。私の全てをもってユリシエル様をお守りいたします。ですからどうか……」
「ちが、違うの。エリエス、違うのよ。あの方は悪くない。あなたも。誰も。悪いのは私なの」
記憶や思いを引きずったままで忘れようとしない私が悪い。
どうせ生まれ変わるなら、どうして記憶全部を消してはくれなかったの?
あいつのために流す涙はない。これは自分を哀れむための、世界で一番情けない涙だ。
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