第5話
ゼイデン陛下が城に来てからすでに10日が経っていた。
なぜか毎朝飽きずに蝶の様子を見に来るのが日課になりつつあるが、初日以降、私は出来るだけ本当におとなしく過ごしている。騒がずなるべく聞く側に徹し、とんでもないことをやらないように自分を戒めて――そもそも自覚がないからとんでもない事が分からないんだよっ――過ごしている。偉いぞ私!
だがそのおかげで、私はいつもよりも1時間は早く起きなきゃいけなくなったんだけどね。
「この庭を手入れしている庭師からも聞いたが、砂糖水を与えるのは姫が言い出したことらしいな。なぜそれを与えようと思ったのだ? 魔光虫は基本的に魔力を多く含む植物のエキスを餌として与えるのが普通だろ?」
さわやかな朝の庭で恒例になりつつあるゼイデン陛下との交流が今日も行われている。本当に、他の姉さまたちのところに行ってくれないだろうか。まあ、魔光虫に興味がおありなんだから仕方ないか。
それにしても、また困った質問をするよなぁ。何で砂糖水をあげたかなんて、素直に蝶々の見た目だから、なんて言っても通じるわけないだろうし。
「そもそも魔光虫に限らず、黒蜜虫や星の使いとか、足細虫などの多くの虫たちもよく花に群がっています。魔法士たちから言わせれば、あれは魔素を食べているからだということなのですが、私はただ花の蜜を食べに来ているだけなんじゃないだろうかと思ったのです。だって、私たちだって花蜜を食べるじゃないですか。甘いものが好きな人や動物も多いですし、きっと虫だって甘いものが好きなんじゃないかと」
「なるほど、子供らしい純粋な発想から発見されたことと言うわけだな。多くの識者は見習うべき点かもしれない」
などとゼイデン陛下は供述しており……ああ、もう。分かっていても、この人の顔を見ると褒められてるんだか、小バカにされてるんだか、分からなくなってくる。私の色眼鏡が過ぎるんだろうけど。
「ですが、完全に砂糖水だけで育てた魔光虫は実は光を失うんです。だから、光を奪わないためには一定の魔素を含む蜜が必要で、だからと言って大量に与えてしまうと虫が弱ってしまうんです。たぶん、咲いている花からえるぐらいの量が丁度いいんだと思います」
「私が思っている以上に、姫は独自に研究しているのだな」
ゼイデン陛下はそう言って、感心したように目を開いた。
いやー。研究ってほどのことじゃないんだよなぁ。砂糖水だけをあげてたのは最初、虫たちを部屋の中で育てて居たからなんだよね。
だって、動物と違って虫だから、慣れて懐くとかないじゃん。外で放し飼いしてたら逃げるじゃん? せっかく私のわがままでもってきてもらったんだから、とりあえず頑張って育てようと思うじゃん? ところが光るはずの虫が光らないじゃん? 慌てて魔法士たちから対処法を聞いて魔素を大量に含む植物のエキスを与えるじゃん? ところが虫たちが死にかけるじゃん? どうしていいかわからずに、やっぱり野生に帰してあげた方がいいかと思って外に放すじゃん。元気がないから砂糖水を設置するじゃん? なぜか元気になるじゃん? そして今に至る。
なぜか虫たちはこの庭から外にはいかないし、見る間に元気になったし、とにかく一安心。と言う感じだ。
虫たちを入れてたゲージは窓際に置いてあったから、日光が足りないというわけじゃないと思うし、意図していたわけじゃないけど、知らずにちょっとだけ魔光虫たちのことが分かったのは、ある意味で僥倖だったとは思う。だって、魔法士たちが高いお金を出して買う虹光虫の数をほんの少しでも減らせる手伝いが出来たと思えばね。まあどこまで役に立ってるかは謎だけど。
「私の場合は研究と言うよりも、必要に迫られてと言う方が正しく思います」
「正直だな。だが幼虫から育てているのだろう? 青虫や毛虫は平気なのか?」
「手の平からはみ出るくらい大きな青虫には驚きましたが、育てていますと可愛く見えてきますよ?」
「女は苦手なものだと思っていたがな」
そう言ってクスクス笑うゼイデン陛下に、彼が「やはり子供だな」と言う含みを込めたことくらい嫌でもわかる。
ええ、ええ、そうですとも。私は十分にまだまだ子供ですとも。
「大人の女性になると虫が嫌いになってしまうのであれば、私は子供のままがいいです」
だから、私は大人になるつもりはないをアピールして、無邪気に笑ってみせる。
「2年も経ては、あなたも立派な成人だろ?」
なんて、ゼイデン陛下は少し意地悪くにやりと笑うが、そんなことたいした問題じゃない。
「遠い海の向こうにヴァンキールと言う亜人たちがいるそうですよ? なんでもアンデットに近い存在で、血液から栄養を取ることしかできなくなる代わりに、不老不死になるそうです」
なんて、私が笑ってやれば。
「はははっ! やめておけ。そんなもの見た目だけ子供でも、いつか中身は化石の老人になるだけだろうにっ!」
と、なぜかやけに受けてしまった。
この人の笑いのツボがよくわからない。
ちなみに、ヴァンキールっていうのは吸血鬼のことだ。
「成りたいわけではありません」
子供のままでいる方法はあるぞと言いたいだけだ。
「私はあなたの顔が気に入っているのだ。姫はそのまま大人になる方がいい」
そうゼイデン陛下が甘い声を出して怪しく微笑んで見せるものだから、私の背筋にぞわりと悪寒が走った。
こいつ、許容範囲は広めかよ。私相手に無駄にエロフェロモン振りまくんじゃねぇよ。寒気がするわっ。んなことよりもだっ。あんたは早よ嫁を決めて帰れっ。
「でも私は姉さまたちのように華やかな美しさがないことくらい分かってますので」
良くも悪くも日本人顔ってのは、あっさりだもんなぁ。なんて一人心の中で納得していた私だが。
「自分が理想とする美しさと、他者が捉える美しさは常に同じではない。覚えておいて損はないぞ?」
そうゼイデン陛下に言われ、私は目を丸くしてしまったに違いない。だって、そんなどや顔で言われなくても分かってますけど。と思ってしまったから。
「はあ?」
いまいち何が言いたいのか理解できなくて、私はそんな曖昧な返事をするだけしかできなかった。
朝の接待と言う名のお仕事が終わり、お昼を食べ終われば私は自分のお勉強の時間になる。
今日は私の苦手な乗馬の訓練だ。
(あ~~お馬さんはかわいいんだけどなぁ)
ちなみに、馬と言っても私たちが知る普通の馬とは見た目や大きさがだいぶ違う。トライデントホースと呼ばれる、頭に3本の鋭い角を生やした馬なのだが、この世界で一番性格の優しい馬としても有名だ。頭に生えた3本の角は、それぞれ『愛』『勇気』『秩序』を象徴しているらしく、平和の象徴とも言われている。
(だというのに、そのお馬さんにさえちゃんと乗れない私ってのはどうなのよ)
城内にある広い芝生の訓練場には、乗馬訓練用に囲いがあって、そこですでに私を待っている訓練士のアーニー上等兵さんが私の愛馬、サンドリオンことサニ―と共に待機している姿が遠目からでもわかる。
この広い訓練場のあちらこちらで兵士の皆さんや騎士の皆さんが訓練に励んでいる中、私は一人どんよりとした気分で囲いに近づいていく。
「相変わらずご機嫌麗しそうじゃない姫様こんにちは」
と、声が届く距離まで近づいた私に、随分なご挨拶をくれたアーニーに、私も笑顔で。
「相変わらずの無礼者なアーニーさん。ごきげんよう」
と、今年で35歳を過ぎる男性に嫌味を返してあげた。
とは言っても、このアーニーが素でこんな砕けた人と言うことではなく、ここでのやり取りは本当に無礼講というだけで、そもそも訓練するのに堅苦しい礼儀とかはいらないと言ったのは私の方からなので文句はない。
「あははっ。今日こそ一人でサニーにのって、お散歩に行けるようになりましょう!」
相変わらず明るい人だ。明るいのは素らしい。
最近ではやっとアーニーの手を借りずに、騎乗できるようになったとは言え、ひとりで散歩なんて私にできるんだろうか? などと思いながら、私は愛馬に近づき、優しい金色に光る瞳を見つめながら、サニーの首元を丁寧になでつける。
温かく滑らかなサニーの白い体躯はどこまでも美しく輝いていた。
「ハイデス兄さまの方がお前の主人に相応しいんじゃないかって、ものすごく思うときがあるよ、本当……」
ハイデス兄さまは第一王位継承者、つまり長男だ。サニーは珍しく本当に模様のない真っ白なトライデントホースだったから、きっと長男のところに行くんじゃないかと思っていたのだが、私が12歳の時に誕生日プレゼントとして、そのハイデス兄さまから贈られたという経緯がある。白馬大好きなくせに、なんで私にくれたんだか。
「そもそもサニーは雄でしたし、何より一番下と言うのは甘やかされるものなんですよ。ユリシエル様みたいに、お転婆で目のはなせない子は特に(・・)!」
「『特に』を強調しないでくれる? サニーをけしかけられたいの?」
「洒落になりません」
頭の3本角は伊達じゃないものね。
まあ、冗談はさておき。私は重い鞍をもってサニーに取り付ける。こういう所から自分でやらないと、馬との信頼関係は生まれないので、ちゃんと彼の具合のいいように付けてやらなくてはいけない。
しっかりと固定して、ズレないかを確認――よし、大丈夫みたいだ。
最終確認のためにアーニーにも見てもらい、OKをもらったのでいよいよ騎乗する。
「サニー、今日もよろしくね」
サニーに騎乗し、上からその顔をのぞき込むようにして彼の首を優しくたたけば、返事をするように彼は『ブルル』と鳴いた。
(よし……)
やるぞ。と、しっかり手綱をにぎり、両足に力を入れてサニーのお腹を蹴る……と、サニーはかなり迷いながらも、のっそりと前に歩き出した。
(な、何とか伝わった……)
「姫様っ! もっとしっかり教えてあげないと、サニーが困っちゃうからっ! 先週も言った通り、姫様が力いっぱい蹴ってもサニーは平気だから自信もってっ!」
とっくに囲いの外に出たアーニーが、囲いの柵から身を乗り出すようにしながら助言をするが。
(分かってるんだけどねぇ)
乗ること自体にはやっと慣れてきたが、力の加減がうまくつかめないのだ。どうにか理解しようとしてくれてるサニーのおかげで、私は非常に助けられて何とか乗れているとしか言えない。
「姫様、もっと背筋伸ばしてっ! きちんと指示出さないとっ!」
「分かってますっ!」
自分では一生懸命にやってるつもりなんです!
不甲斐ない主人でごめんよサニー。もっとしっかり頑張るから! と言う思いで、私は背筋を伸ばして前を向く。
しっかりと手綱を引き、サニーに右回り、左回り、と柵の周りをまわるように指示していく。
ふと、視界の遠くで目立つ青色に目がいった。
中庭に続く回廊の途中に、青いドレスを着たシェリア姉さまの姿があった。スラリと背の高い細身の美女は、これほどの遠目でも目に留まるものだ。
そして、その姉さまの隣を歩くゼイデン陛下の姿に、なんだか微妙な気分になってしまった。
(一応は、他の姉さま方とも友好を深めていらっしゃるようで)
やっぱりどうしても、あの顔の男が他の女性と歩いているのを見ると、気分が悪い。そりゃそうなるに決まってる。さんざん悩まされ泣かされた思い出が脳裏にこびり付いてしまって、すぐに切り替えるのは非常に難しいのだ。
(さっさと嫁を決めて、1日でも早く帰ってくれれば、私の気持ちも落ち着くよね。うん)
だけど、本当に嫌になる。だから、姉さまとゼイデン陛下から、無理やり視線を引きはがして考えないように努めるのだけど……。
本当に嫌だ。カイのことを忘れたいのに覚えていることにも嫌になるけど、つい考えてしまうのも、申し訳ないが、生き写しのゼイデン陛下の顔を毎日見る羽目になっているせいも絶対にあるわけで。
つい、あの事故の後のことを考えずにはいられなくなる。
私は事故の後の記憶がぶっつりと切れてしまっているので、たぶん即死状態だったんじゃないかと思う。苦しまなかったことはよかったと思うのだけど、私が事故にあったあと、あいつは……カイは、少しでも悲しんでくれたのだろうか?
いや、あいつのことだ。私が事故にあって死んだと聞いても、きっと「へぇ」くらいしか思ってないにちがいない。むしろ、新しい恋人を作ることにさっさと頭を切り替えていたはずだ。
そう考えると悔しい気持ちも湧いてくるが、所詮あいつはそういう男だったんだと、逆に皮肉ともいえる笑みさえ浮かぶ。
あいつを思うだけ無駄。考えたって報われない。いつも口ばかりで、『一番』とか『特別』とかいうわりには、一度だって『好き』や『愛してる』を言ったことはなかった。所詮その程度だ。
どうせあいつは私を思っていたことなんてないんだから、私の中から追い出せばいい。
もう2度とあいつのために涙なんて流さない。
あいつを好きだった私はもう居ない。
今ここに居るのは、14歳のユリシエルという少女なんだから。
(だけどせっかく生まれ変わったっていうのに、一番恋愛結婚からほど遠い立場に生まれるとか、わりと面白い――)
自分の思考の海にゆったり浸かりすぎていた私の体に、突然の衝撃が走り、私は一気に意識が現実に引き戻されると同時に、後ろ足で立ちあがったサニーから落ちそうになった。
とっさにサニーの首に両腕をまわして、力の限りでしがみつき、かろうじて落馬は避けられたものの。
「ユリシエル様っ!?」
アーニーがそう叫んだのと、サニーが急に飛び上がって囲いの柵を飛び越えたのはほぼ同時だった。
(な、なにっ!? 何事っ!?)
突如、暴れ馬と化したサニーを私が止められるはずもなく、必死にしがみ付くことしかできない。と言うか、むしろ落馬しないように必死に捕まっていないと、今にも振り落とされそうなのだ。
何が起きてるのか全くわからない。
「サニーっ!! 止まれっ!! サンドリオンっ!!」
そう叫んでみても、興奮しているらしいサニーの耳には届いていないようで、ますます激しく暴れ、頭を振った。
(落ちるっ!?)
もうダメだ。とキツク目を閉じた私は、落馬の衝撃に備える。
落ちたら体を丸めてサニーに踏まれないことを願うしかない。そう覚悟を決めたその時、私の体を後ろから何かが包み込んだ。
すると、しばらくしてサニーをなだめる声が私の頭上から聞こえたと思えば。
「大丈夫か? ユリシエル姫」
と、知らないが知っている男の声が聞こえて、私は顔をあげた。
「ぜ、ゼイデン陛下……? な、なんで?」
そこには見間違うはずもないあのムカつく顔があった。
いや、マジで何で? 先ほどまで回廊に姉さまと居たはずでは?
どうやら、サニーはやっと落ち着きを取り戻したらしいので、落ちなくてよかったは、よかったのだけど。うまく頭が回らない。
(えっと……)
サニーの上に乗る私の後ろに、ゼイデン陛下が同じくサニーに乗っていて、相乗り状態になっている。がっしりしたゼイデン陛下の腕が私の腰に回されていて、私はいつの間にかゼイデン陛下にしがみついている状態で……。
もしかして、暴れ馬状態のサニーに乗ったの、この人。
「ユリシー⁉ 怪我はないのですかっ!!」
状況を必死に把握しようとしていた私のそばに、やっとここまで走ってきましたと言う感じのシェリア姉さまの声に呼ばれてそちらに顔を向ければ、息も切れ切れの青ざめた姉さまと目が合った。
とても心配している様子で、何か答えなければと口を開きかけるが。
「ユリシエル様っ!! ご無事ですかっ!!」
後からシェリア姉さまと同じように青ざめた顔のアーニーも私のそばまで駆け寄ってきて。心配そうにオロオロしだすものだから。
「は、はい。大丈夫、みたいです……」
私が急いでそう返すと、アーニーとシェリア姉さまは心底安堵したように息を深く吐き出した。
「姫はご無事だっ!」
と、一人の兵士が大きな声で叫ぶと、訓練をしていたはずの兵士や騎士たちが、皆そろって深い息を吐き出していて、思った以上に大事になりかけていたことだけは把握できた。えーっと、これは……私が何かやらかしたわけじゃないわよね?
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