第2話
ラベス帝国の皇帝ゼイデンが我が城に到着したのは、夕刻ごろだった。
待ち人の到着が知らされ、私たち兄妹と国王と王妃も彼の人物が現れるのを謁見の間の玉座の前に整列して待っていた。
歓迎のための正装をした我が国の兵士が花道をつくり、我が国とラベス帝国の国旗を取り付けられた槍が空を指すように掲げられる。
そして、ラッパの音とともに兵士たちの作るアーチを潜りながら、屈強な護衛を6人ほど連れて謁見の間に現れた若く凛々しい皇帝は、堂々と玉座まで引かれた赤い絨毯を歩き、私たちの父、この国の王の前で足を止め、最大限の礼儀でもってあいさつをした。
「この度は急な申し入れを快く受け入れてくださったことに深く感謝申し上げる」
そう言って顔をあげたゼイデン皇帝陛下と、一瞬目が合った気がした。
その瞬間、全身に『何か』が走った……わからないが『何か』だ。
(いや、これ、ダメなやつ……気づいちゃダメだっ)
「よくぞ参られました。我が国に皇帝陛下をお迎えできたことを喜ばしく思っております」
父様がそう言って笑顔で挨拶するのに合わせて、私を含めた兄弟たちも一斉に彼の皇帝に頭を下げた。
心臓がざわつく。
(……うるさい。黙ってろ)
余計なことを思い出しそうだ。分かっているのだ。その『何か』の正体くらい。
でも、今は気がついてはいけない『何か』なのだ……。
(とにかく、顔が気に入らないってことだけはハッキリしたっ)
白色を基調とした桜色の飾りやフリルのふんわりとした可愛らしいドレスに身を包み、皇帝へのあいさつも全員分が終わってやることが無くなった私は、退屈なラベス帝国のゼイデン皇帝陛下と父クラウデンス王が話し終わるのを、私のすぐ上の兄の後ろにこそこそ隠れながら待っていた。
今年、無事20歳を迎えられた隣国ラベス帝国の皇帝ゼイデンはまさに、嫁探しが目下の最優先事項となっている。
3年前、ラベス帝国の前皇帝が病気で急死し、即位式もそこそこに、当時皇太子だったゼイデン皇子は留学先から慌てて戻り、すぐに玉座に着いた。
この3年間は、ゼイデン陛下にとってまあ大変だったのだろうというくらいしか想像は出来ないが、父君が亡くなったというのにそれを悲しむ暇もなく、落ち着いてきたと思えば嫁探しをしろと家臣たちにせっつかれ、半ば強制的にソーデナブルに来る羽目になったのに、よくもまぁ途中でキレなかったものだと感心する。
キレて投げ出したくてもラベス帝国に代わりの皇子も皇女もいないんだから仕方ないかもしれないけど。
「お前、またトンデモナイことを言って父上を困らせたって?」
ふと、一人っ子皇子って大変だなぁ。なんてぼやっと考えていた私の耳に、それは本当に小さな声ですぐ上の兄ハリスがおかしそうに言ってきた。
いきなり何をいいだすのかしら? と言う思いも込めて少し訝んで見せながら、私も皇帝と父様のことを気にしつつも小さな声で。
「とんでもなくないです。大陸の外に留学したいって言っただけです」
そう答えれば、ハリス兄さまは父様譲りの癖のある金髪を揺らしながら、笑いをこらえるように肩を小さく震わせていた。ハリス兄さまの私と同じ青い瞳が面白そうに私の瞳をのぞき込んでくる。
ああこれはたぶん、あれだ。ゼイデン陛下が来る前に、父様に軽く『留学したいなぁ』なんて話をしたことだろうとは思ったが、ハリス兄さまの態度を見るに合っていたようだ。てか、笑うな。
「バカだなぁ。そもそも外との交流がないのにどうやって行くつもりだよ?」
あきれ半分という感じでハリス兄さまはそう言ってまた笑う。
それは私も考えたが、他にいい方法が思いつかなかったのだ。
でも確かに、ゴーズ大陸のほぼ中央に位置している我が国は、3つの国に挟まれてそれより外との貿易がほぼない。まったくないわけではないが、近隣の国に入ってきたものを買い取る方が楽だし、海からこの大陸に入って、国を2つも3つも跨いで貿易するメリットがあまりないのが現実だ。
外の大陸から来るのは、大体が個人で旅をしている行商人くらいなものだし。
それでも、やろうと思えば出来ないことはないかと思ったのだ。つまり――。
「気合で」
「出たよ。ユリシーの精神論。お前ねぇ。気合で何とかなるもんじゃないだろうが」
まさにハリス兄さまの言うことが正しい。気合で何とかなれば、戦争も無くなるよねー。とは頭でわかっていても、それを素直に認めるのはちょっと悔しいので、私は口を少しだけとがらせて見せた。
「成せばなる」
とも言うじゃない?
「成さねば成らぬ何事も、じゃねぇよ。父上もいい年なんだから、あんまり心労をかけるなっての」
ごもっとも。外の大陸に留学したいといった時の父様の青ざめた顔が思い出されるよ。
なんか、本当にごめんね。父様。だけど、気まぐれやわがままから言ってることじゃないってことだけは分かってほしい。
「分かってます。分かってますけど、そういうつもりで言ったんじゃありません。ただ、私にも出来ることを探したいだけで……」
私がそういって兄さまの背中の服をつまむと、ハリス兄さまはどこか仕方なさそうに息を吐き出し。
「お前が1日でも大人しくしててくれれば、父上は大いにお喜びになると思うがなぁ」
と、からかうようにそう言った。
「なんですか。私が毎日、父様に心労をおかけしてるような言い方止めてください。失礼です」
「自覚がないのが一番怖いんですけど。マジかよお前は……。髪と目の色を変えたいとか、庭に魔光虫を飼いたいとか言い出したり、一人で街の図書館に行こうとしたり、厨房でコックたちを困らせたり、護衛の剣を奪い取って勝手につぶされそうになったり、まだまだあるけど自覚ないの? マジで?」
「すみません。もう許してください」
そんな昔の話をほじくり返さなくてもいいじゃないか。確かに、そんなこともあったよ。私の部屋の外の魔光虫は確かに私が飼いたいと言い出したからあそこにいるし、髪と目の色のことは魔法士にも散々止められたし、エリエスにも怒られたし。
厨房の件は、父様にクッキーを焼いてあげようと思っただけだし、図書館に行きたかったのは家庭教師が町にも大きな図書館があるって教えてくれたから、ちょっと行ってみようかなって思っただけで、城門の兵士たちにものすごい勢いで止められたから断念したし。
護衛の剣は、まあ、確かに休憩中の護衛の人の目を盗んで勝手に持とうとしたけど、重すぎてつぶされたのはいい思い出だ。
改めてそう指摘されると胸がちょっと痛むが、最初は本当に前世の記憶のまま行動しようとしてしまったから、私の存在はそれは見事なほど奇妙に映っていただろうけど。
「でも、今はとんでもないことはしてません」
さすがに学習したので、素っ頓狂なことはしてない……はずなんだが。
「いや、俺はつい昨日、庭師たちの悲痛な叫び声を聞いた気がするんだよなぁ」
「うっ。あ、あれは、庭の綺麗な花を父様の執務室に飾っていただこうと思って……ちょっと花を摘むくらいなら自分でもできるかと……」
「で、怪我したんじゃダメだろ」
「あれは、怪我と言うか、バラのとげが刺さっただけです」
「魔草バラのとげは魔法士じゃないと抜けないんだって知らなかったのか?」
「知ってましたっ」
魔草バラに関してはさんざん家庭教師から習いましたっ! とげが刺さると魔力と生き物の血液を吸って急激に育ち、絡みついて素手で取ることは不可能だって聞きましたっ! と言うか、身をもって体験したばっかりですっ!
ああもう、これじゃあ本当にトンデモナイことしかしてないみたいじゃないか。
それにしても、いつも視界には居ないはずのハリス兄さまがここまでご存知と言うことはだ、きっと家族はみんな知っているに違いない。
もう、本当に私はこの世界に来てからトンデモナイお転婆娘扱いを受けてるんじゃなかろうかと心配になってくる。なんて、ちょっと落ち込んでしまう私だが。
「いやいやユリシー、落ち込んでる場合じゃないぞ?」
「まだ何かあるんですか?」
私がそう言ってこっそりと兄を見上げれば、それこそこれだけ近くにいる私でさえ聞き取りずらい小さな声で、こっそりと。
「ゼイデン皇帝陛下がしばらく滞在されるんだぞ?」
「知ってますよ。と言うか、目の前に見えてますよ」
私が大きいと思っていた父様よりもさらに頭半分ほど背の高い男性が、父様と穏やかな顔で談笑している。
黒髪黒目の噂以上に見目麗しいイケメンだ。姉さまたちは頬を赤らめてうっとりと見つめてしまっている。
まあ、私はあの顔が嫌いだ。実物を見たら余計に嫌いになったが。それはさて置き。
あのイケメンが居るからなんだというのだ。
「ひと月だぞ? お前、あの方の前でボロを出さずに大人しくしてられんの?」
と、本当にちょっと心配だと言いたげな顔でちらりと私を見た兄さまに、私はカチンときた。
「それくらいできますよっ。ひと月なんて楽勝ですからねっ」
と力いっぱい、もちろん小声だが、兄さまに宣言してやったのだが。
「いや~、お前なら、俺の期待に応えてくれると信じてるぜ」
そう言うと、ハリス兄さまはニヤリと含みのある顔で笑う。あーーくっそう。見てろよっ。完璧な『お姫様』をきっちりやり切ってやるからなっ。そして、父様や兄さまにぎゃふんと言わせてやるっ。
「ショコラデラックスケーキ」
私がそうボソッとつぶやけば。
「虹光虫10匹」
ハリス兄さまがそう言って、こっそりと拳を背中に回す。なので、私は兄さまの拳に自分の拳をちょこんと当てる。これで賭けが成立した。
そうこうしているうちに父様とゼイデン皇帝との話も終わり、これから城内の案内をするというので、このままいったん解散となった。これでやっと少しの休憩をはさんでようやく夕飯にありつける。
今日は初めてゼイデン陛下をお招きするので全員参加の晩餐会となったが、私は末席で向こうさんは上座の父の近くだから、必然的に話をするどころか目が合うこともないので一安心というところだ。
お客様を招いての夕食なので、言わずもがな今日は豪華な食事にあふれている。普段から別に質素と言うことはないが、家族で食事をするのは週の終わりと始めだけなので、大きな食堂のこれまた大きなテーブルに豪華な食事が並ぶこと自体が少ないだけなのだが、やはりちょっと珍しい光景ではある。
普段は自室でそれぞれ食事をするが、だからと言って、私たち家族の仲が悪いわけじゃない。無駄なお金を使わないという父の方針に従っているだけである。昔からこの城での食事はそう言う感じらしい。
それはさて置き。広いテーブルは普段であっても自分で食事を取りに行くことは絶対にない。給仕が飲み物や食べ物を私たちの元に運ぶために控えている。前に一度、自分で食べたいものを取りたいといったら、給仕の一人に「私の仕事を取らないでください」とやんわり笑われたことがあったので、私はしっかり反省してただ静かに運ばれてくるのを待っていることにしている。
「ユリシー」
目の前のお皿に乗っているローストピグ――ピグと言う動物のお肉だ。見た目も肉質も牛と似ている――をちまちまと切って口に入れていると、聞きなれた父様の声に呼ばれ顔をそちらへと向けたら、なぜか全員の視線が私に集中していた。
なに? 私は何か会話を聞き逃したのだろうか? と思いながらも、優しい笑みの父様に「はい」と返すと。
「ユリシーの庭で確か、珍しい魔光虫を育てていたね?」
そう聞かれたので、私は「はい」とすぐに答えて頷いた。
その珍しい魔光虫が今回のハリス兄さまの景品に指定されてるやつだ。まあ、あの珍しい種類が居るのは本当に偶然ではあるのだが、育てていたらいつの間にか増えたので、まあいいかと育て続けている。
ちなみに普通の魔光虫は白っぽい黄色の光を纏うのに対し、虹光虫は名前の由来でもある、虹色に光るのが特徴だ。
「虹光虫ですよね。確かにたくさんいます。今年も数が少し増えたので、魔法士たちに少し渡しておきました」
魔光虫はポーションの材料になるらしい。珍しい種類の虹光虫は、特に効果の高いものが作れるらしいので、魔法士たちはわりと喜んで受け取ってくれる。こういう所で、ちょっとでも役に立ててよかったよ、本当。
それで、私が光る蝶々を飼ってるからなんだっていうんだろうか? そう思い首をかしげる私に、父様はうんうんと頷きつつ、ゼイデン陛下の方へと顔を向けると、今度はゼイデン陛下が私に微笑みながら。
「あれは随分と繊細な虫だと聞いている。繁殖が非常に難しいものだとも聞いているのだが、何かコツなどはあるのか? よければ、是非見せてもらいたいのだが」
そう言ってきたが、そんなことを聞かれても非常に困るのだ。なにしろ特別なことは一切していない。
「もちろん、いつでもご覧になっていただいてかまいませんわ」
一応、笑顔で私もそう答えた。見たいというなら好きに見ればいいが……。
(やっぱりこいつの顔が気に入らないんだよなぁ)
見れば見るほど熱を感じさせない冷たい目が嫌いだ。その低く落ち着いた起伏のない声も。何もかもが癪に障る。なにより、あいつと生き写しな顔が大嫌いだ。
そう思ったとたん、全身にぞわっと電気が走るような寒気に襲われた。だから私は急いで愛想笑いもそこそこにさっさと夕食の方へ意識を向けることにした。すでに父様や他の兄弟たちに意識を向けはじめたゼイデン陛下が私のことなど気にするはずもない。
そのあとは、ゼイデン陛下と会話することもなく夕食が終わり、私は早々に自分の部屋に戻った。こういう時に子供と言うのは逃げられてお得だなと思う。
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