最愛の君を逃がさない方法
風犬 ごん
第1話
物心つくころ、私は自分の前世を思い出した。
そうなのだ。私はすでに一度死んでいる。忘れもしない大学二年目の終わり、交通事故だった。
あの日は久しぶりの大雨で視界も悪く、帳がすっかり空にかかり終わるころ。恋人だった男と大喧嘩をして――いや、あれは一方的に私がキレただけか――恋人の横っ面をグーでパンチしたあと、泣きながらぐっしょりと濡れたアスファルトを全速力で走っていた時だ。雨と自分の涙で前すらまともに見えていなくて、大きなクラクションの音と強い光に照らされて、「しまったっ!」と思う間に体に衝撃が走った。今思い出しても、あれは、まあ、なんとも言えない衝撃だった。色々。
(そう言えば、あの事故の時、誰かが私を呼んだ気がしたような……)
もしそうだとしても、あの事故の瞬間にその誰かを確認する暇なんてなかったし、そもそも、誰かの声が聞こえたことさえ、その時の私の願望による幻聴ではなかったとは言い切れないわけだし。
(って、余計なことを考えていないで、『これ』を何とかしないとなぁ……)
私は自分の左腕に巻き付きながら急速に成長するいばらの蔓を見つめながら、かなり焦っていた。
春の彩に色付き始めた庭の一角。私の眼前には見事に咲き誇る深紅の魔草バラが、朝露に濡れて輝いている。
なんてことのないいつもの朝。私は美しく咲いているバラを見て、毎日忙しい父様のために、少しでも心を和ませられればと思って、庭に咲くバラを父様の執務室に持っていこうとしただけなのだ。
私の左の小指から刺さったとげが、私の血と魔力を糧に恐ろしい速さで成長し、今や私の左腕の肘にまで達している。蔓をちぎろうが、葉っぱをもごうが、その成長を妨げることはもはや不可能だった。
(うん。無理。不味いなぁ。これは不味いですよー。これが見つかったら非常に――)
「姫様、手袋をもってまいり――」
(あ……)
見つかったら不味いなぁ。と思っていればこれだ。
声のするほうへと振り返れば、笑顔でこちらに近づいてきていた庭師の一人、レイノルドと目が合った。そして、彼は何かに気が付いたようにピタリとその場に立ち止まると、視線を下げて私の左腕に視線を落とし、持っていた手袋をぽとりと芝生に落とした。次の瞬間――。
「ひ、姫様ーーっ⁉ だ、だれかっ‼ 誰か魔法士を、誰かぁっ‼」
60歳を迎えたばかりのおじいちゃんとは思えぬ速さで、レイノルドはその場から駆け出して行った。
白百合をモチーフにした陶器の花瓶に深紅の魔草バラが3本活けられている。
掃除の行き届いた広い執務室のほぼ中央に置かれているすわり心地の良いソファーには、頭痛を抑えるような仕草で座る父様と顔面蒼白でその隣に座る母様がいる。私は何と声をかけていいかわからず、ただ黙って二人の向かい側のソファーでおとなしく座っていた。
「お前の気持ちは嬉しいのだ。ユリシエル」
父様はため息を吐き出すようにそう言うと、大きなデスクに置かれているバラに目を向けて、仕方なさそうに薄く笑った。
「だが、お前が怪我をしたと聞いた時の私や、サーシェリアの気持ちも分かっておくれ」
父様がそう言って、言葉同様の心配そうな表情で私を見つめるものだから、私は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「ごめんなさい」
決して困らせようと思ってやったわけではないのだけど、結果としてそうなってしまった。
「ユリシー、あなたが家族やこの国のことを思って行動しようとしてくれているのはよくわかります。ですが、あなたが怪我をしたと聞くたびに、私の心臓が悲鳴を上げるのです。いつか取り返しのつかないことになるのではないかと、母は心配で夜も眠れません」
母様の涙でうるんだ青い瞳が不安そうに揺れるが、いや、でもそこまでじゃないでしょ。さすがに。なんて言い訳しようにも、母様と父様の心配そうな顔を見れば、言い訳なんてできるはずもなく。
ああ、もう落ち込むわぁ。失敗が多いわけじゃないと思うんだけど、どうしてこうも二人に心配をかけてしまうことになってしまうのか。ただ役に立ちたいだけなのに。
そう思って私がかっくり肩を落としていれば、父様の大きな手が私の頭をやさしく何度もなでつける。
「うむ。だがもう魔草バラが咲く季節なのだな。今年も見事に咲いたものだ。とても美しい」
そういうと、父様はとろけるような顔で微笑んでくれる。太陽に透ける金色のくせ毛と、暖かい鮮やかな空色の瞳が穏やかな光で満ちていた。こういう顔を見ると、自分がどれだけこの人に愛されているかが本当によくわかる。
普段はとても公平で威厳ある人物と言われている私の父だが、ものすごい愛妻家であり、ものすごい子煩悩でもある。おまけに太陽王なんて異名まで持っているかなりのイケメンだ。そして、父クラウデンス・ジェイコブ・ソーデナブルは、ここソーデナブル王国の国王であったりもする。そして、母はこの国唯一の女王だ。
「これから春の草花が城の庭園を彩りますね。天気の良い日に、またお庭を散歩しましょうね。ユリシー」
父様の言葉に頷きながら、母様もそう言って私に微笑んでくれた。その微笑は春の女神と称されるほどに美しく、深い海を切り取ったかのような青い瞳は愛情に満ちている。月の色で染めたような銀色の髪が窓から入り込む緩やかな風に揺れていた。
本当に、なんで私の両親ってこんなに綺麗なんだろうか――。
(――そう、私の両親と兄弟姉妹たちは、本当にやばいくらいに綺麗だ。だというのに、私ときたらなぁ……)
私は大きな姿見の前に立ち、大きくため息を吐き出す。
「姫様、とてもよくお似合いですよ」
そう言って、私の頭上から見慣れた侍女のエリエスが笑い皺を深くしながら微笑んで見せる。40歳手前の凛とした女性だ。乳母ではないが私が4歳のころからずっと私の世話をしてくれている。
ちなみに私の乳母は、私が乳離れをしたころに引退したそうだ。そりゃ一番上から私までの兄姉全部の面倒を見てたんだから、お疲れ様でしたとしか言えない。
(それにしたってなぁ。私はあんまり似合っているようには見えないんだよなぁ)
とは思いながらも、それはそれは嬉しそうに頬を緩め、満足げな侍女に文句など言えようはずもない。
「ありがとうエリエス。このドレス大好きよ」
私がそう答えて笑えば、彼女は嬉しそうに微笑んでくれる。そんな彼女の顔が見れるだけで満足です。
でだ。さすがにもうお気づきとは思うが、私が生まれ変わった場所は実は日本ではない。いや、それ以前に地球でもない。うん、まあいわゆる異世界と言う所だ。異世界転生ってやつだね。まあその手の話は溢れてるので、私があえて説明することは何もないのだけど。なんで私が? と言う疑問はあった。
疑問はあったが、答えを導き出すには至らず、14歳になった今でも『なぜ?』という疑問は残り続けている。とは言え、考えても答えの出ないことには、ここ10数年棚上げにしている状態だ。まあ、特に問題もないのでどうでもいいか。と最近では思うようになった。
とにかく、この世界は物語の異世界よろしく、魔法があり、前世の世界では空想上にしか存在しなかったはずの生き物が普通に存在している。まさに中世風ファンタジーな世界なのだ。が、だからと言って、私がものすごい魔力を持っているだとか、ものすごい天才的な剣術使いとか、そんなことは決してないし、元がマンガやアニメ、ゲームだ小説だとかといった世界でもない。
だからますます、なんで私が異世界に転生? とも思うわけだが、それはまあいい。
この世界での私は、この世界の水準で言えば普通だ。魔力適性はもちろんのこと。剣術に至っては「婦女子が剣を振るう事勿れ」が常識で、教えてすらもらえないのが普通である。そもそも私の護衛に普通のロングソードを持たせてもらったことはあったが、あんな重い鉄の塊なんて、か弱い子供や女性が簡単に振り回せるものじゃないし、前世の私なんて、木刀どころか竹刀すら持ったことないんだから、剣術なんてやりたいとも思わなかったわ。
この国にも女性の剣士が居ることはいるけど、数は本当に少ないということだけは記しておく。
それにここでの私の活躍は期待しないでもらいたいとも思う。確かに前世の記憶を持ったまま転生したのは事実だけど、前世の知識を使ってなんかすごいことをやれる! なんてことも絶対にないのだ。
私の生まれたこの国は、魔法士と言う仕事がちゃんとあって、大抵のことは魔法で何とか出来てしまうし、町の人は大体魔法が使える。そのおかげで空をかける辻馬車とか、数百ガロンもありそうな水を運ぶ水夫、普通に亜人の行商が城に異国の珍しい品々をもって来ることも珍しくなく、食文化もすさまじく発展していて、お隣のラベス帝国では魔法と科学を融合した魔工学なる分野も発達しているおかげで、魔工兵なるロボットみたいなのまで居るくらいだ。この世界の凄さを是非いろんな人に見せてやりたい。
そんな世界で私ができることなんて……はんっ! 部屋の隅で自分の無力さを噛みしめるくらいしかないのではないだろうか。
(自分で無能って、言ってて悲しくなるよねぇ)
そして、何よりも悲しいことと言えば、鏡に映る自分の顔だ。
ソーデナブル王国のお姫様と言う立場に生まれた私の顔は、色違いの自分の顔だったのだからそりゃ悲しくもなる。髪がプラチナブロンドで瞳の色が青と言う以外、本気で前世の自分の顔なもんだから、色の違和感が半端ないっ! せめて茶色ならまだマシだったのにっ!
薄い日本人顔の私がカラコンいれて髪を染めたみたいにしか見えないんだよっ!? 何この仕打ち、父様ははがっつり彫りの深い渋めのイケメンで、母様もめちゃ美人なのに、そこから生まれた私がこれって、どういう遺伝子の不思議だくそっ! 世界のフシギだねっ!
とにかく、自分の顔はそれなりに好きだけど、やはり色が嫌なのだ。
これだけ色々と発展している世界なら、髪や目の色くらい変えられるかと思ったのだけど、2年ほど前に一回、城で務める魔法士に髪と目の色を黒くしてほしいと頼んだら、全力で拒否されたことがある。と言うのも、どうやらこの世界では黒色は自然にしか発生しない色らしく、例えば布とかを魔法で黒く染めようとしても黒くはならないらしい。ものすごく薄いグレーにはなるとか。だから黒い布などは、天然の染料で作るしかないらしいのだけど。
だからと言って、その布に使う染料を肌に使うとかぶれて大変なことになるし、そもそも魔力を持つ生き物に染料を使っても黒色は1日も経たずに落ちてしまうらしく、そんな無駄なことに国民の血税が使えるもんか。と、私は諦めるしかなかったという。
そんなに黒髪にあこがれるなら、動物や人毛を使った付け毛をしてはどうかと魔法士にススメられはしたものの、ウイッグとかカツラをしてまでってことでもないんだよなぁ。ってことで、結局そのままを受け入れている。
「それにしても、すっかり春でございますね。ユリシエル様」
じっと鏡を見ていた私に、エリエスの穏やかな声がそう話しかけてきた。そんなエリエスの声につられるように大きな窓へと顔を向ければ、私の部屋の外はすっかり春らしい若草や青々とした芝生が広がり、ひらひらと魔光虫が――魔光虫っていうのは前世でいう所の蝶々だ。この世界の蝶々はうっすらと光っていてなんとも幻想的ではあるが――咲き始めた色とりどりの花たちと遊んでいた。
「そうね。私はあと何回この景色が見れるかしら……」
それは独り言に近いつぶやきではあったものの、エリエスがそっと私に寄り添うように背中をさすった。あ、いや、悲しいとか辛いとかってことではないんだよ。変な気を使わせてごめんエリエス。
お飾りみたいなものだけど、それでも私は王家の端くれだから、いつか父様に言われてよそに嫁ぐ日が来るだろうと思う。最初のころはそんな古い因習なんてばからしいと思っていたこともあったが、いろいろ学んでいくうちに、王女としての役目とか、義務はきちんと受け入れなければいけないと思うようになっていた。好きでもない人との結婚は、まあ確かに嫌なんだけど。
この国の王女として生まれたのだから仕方ない。まあ、全兄弟、姉妹中12番目のびりっけつなわけですが。
「来年も一緒に見れたらいいですね……」
そう言ってしんみりとするエリエスだが、ふと12番目ってことを思い出したら。
「でも待って、エリエス。この国って、ラベス帝国とサルニエン王国とカイジュラ王国に挟まれてるでしょ?」
と言うことを思い出した。
でもエリエスは私が言いたいことが分からないのか、不思議そうに目を丸くして首をかしげて見せる。
「そうでございますね。その三国に限らず、どの国とも同盟が結ばれ、ゴーズ大陸は長らく平和でございますね」
「そうなのよ。平和なのは素晴らしいことだわ。でも大事なのはそう言うことじゃないの。いい、よく考えて。その3国に共通するのは全員が兄弟が少ないこと、サルニエン王国にはご子息がお2人、カイジュラ王国は男女の兄妹しかなく、ラベス帝国の皇帝に至っては、3年前に先代の皇帝陛下がお亡くなりになってから、唯一のご子息であるゼイデン皇太子殿下が継いだあと、あの方は結婚さえされていないんだもの。子供なんて居るはずないし、そもそも本人が嫁を探さないでどうすんだって話よっ」
しかもどの国の人も私よりみんな歳上だ。まあそれはどうでもいいんだけど、倍率の話だろ。
「そ、そうですね。ですからゼイデン皇帝陛下がこちらにひと月ほどご滞在される予定なのではないですか?」
「そうなのよっ! 嫁探しに来るわけなのよっ! だけど、相手は女性が放っておかず、その見目麗しさと、抜きんでた強さと賢さで、そこら中に色恋話が吐いて捨てるほどある超が付くほど女好きで節操なしの種う――」
種馬と言おうとしたその口を、言い終わる前にバシッと、エリエスにふさがれてしまった。
「姫様っ。淑女がそのような言葉を使ってはなりませんっ」
いや、すまない。つい、昔の記憶が私の言葉に火を付けそうだった。
「コホン。うん、とにかく。そういう浮いた話ばかりを聞く方よ。選ばれるのはきっとシェリア姉さまやデボア姉さまのように、年齢も近く美しい女性なはず。少なくともこんな子供ではありえないわ」
私はそう言うと、私を見せるようにエリエスに両手を広げた。
「ゼイデン皇帝陛下がどうなさるのかまではわかりかねますが、姫様は社交性を身に付け、幅広く交友関係を広げることをお考えいただきたく思います。そこから、様々な――」
「ちょっとまって、違うの。分かってる。私が皇帝陛下に選ばれるかどうかって言う話じゃなくて、私に価値があるかどうかの話なの」
「価値……で、ございますか?」
「つまり、私はびりっけつだわ。私よりも上の兄姉は2人をのぞいて10人がまだ婚約者なしなのよ? 力を望む有力者なら、まず私は選ばないわ。だって、私の発言力なんてこの城内においては一般人以下よ?」
私の言葉に、エリエスはこくりとのどを鳴らした。そうなのだ。悲しいかなそれが現実という。
一応、『お姫様』としての権威はあるだろうが、それはあくまで『お姫様』というマスコットとしての価値くらいだ。だから私はお飾りと称されても何も言えない。
何しろ私一人がどうこうなろうが、代わりなら11人も上に居るのだ。私はスペアにすらしてもらえない。そんな私を嫁にもらう利点ってのはなによ? って話なのだ。
「権力者同士の結婚なんて自分の権威を肥大化させる手段に過ぎないんだから、私を嫁にする利点ってものがなかったら、私なんて結婚できないんじゃない?」
「そのようなこと……」
と途中まで出かけたエリエスの言葉は、難しく神妙な顔とともになくなっていく。
そして、これはただの自虐ネタではなく、私が言いたいのはつまり。
「だからこそっ。結婚するためには一般人になるか、ゴーズ大陸から出て外の国に行くかしかないと思うのっ!」
「なっ!? 何を言っているのですか姫様っ⁉ またとんでもないことをっ」
「そうと決まれば私は語学勉強を頑張らないとっ!!」
「姫さまっ!?」
まあ、許してもらえるとは思ってないけどねっ!
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