第3話 心臓の街

 城を出たあと、エーデルシュタインはアレクを四頭立ての紋章付きの馬車に放り込んだ。向かいにエーデルシュタインが座り、「出てください」と御者に声をかけると、馬車はゆっくりと走りだした。


 馬車は北へ向かっていく。エーデルシュタインは城を見上げて説明をする。


「グルックリヒは、この城を中心として放射線状に道を伸ばした珍しい造りの街並みで有名なんです。

 鉄道の駅がある北部には要人が多く住み、港がある南部には商人が多く住みます。これから行くのも、僕の別荘なので北のほうにあります」


 加えてこの街には、裁判所や議会、陸軍省や造幣局に至るまで、さまざまな分野の「心臓」が詰め込まれているそうだ。この城塞都市ひとつだけで国ひとつが成り立ってしまいそうだ。


 アレクはそんな話を聞きながら、ヒンメルのスラム街とはあまりにもかけ離れた世界に感嘆のため息を漏らした。


 馬車の横を通る人間は誰も彼も満たされた顔をしている。ヒンメルのスラム街なら、こんな仕立てのいい馬車が走っていたら、物乞いが寄ってきて走れなくなる。


 そもそも道が整備されていないから、ぬかるみや雪にはまって動けなくなってしまうかもしれない。


「ヒンメルが恋しいですか?」


 ぼんやりと考え込んでいると、エーデルシュタインが控えめに話しかけてきた。


「あ? ああ、いや……ひどい街だったが、急に見慣れない街に来るとやけに美化されるもんなんだな、って」

「……われわれが最初に接触したのがあなたならよかったですね」


 どういう意味だろうか、と思ってエーデルシュタインのほうへ視線をやると、やけに悲しそうな顔をしていた。


「あなたに接触して、事の次第をすべて話していたなら、あなたたち家族を引き裂くこともなかったのでしょう」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって……」


 冷血な人物に見えたが、どうやら案外人間らしい部分もあるらしい。


「母さんも妹も探し出してみせる。妹は魔術が使えたから、妹に呪いを解いてもらう。それでいいだろ?」


 アレクがそう言うと、エーデルシュタインはわずかに笑った。


「……そうですね」


 かと思えば、エーデルシュタインはいきなり血相を変えて、アレクに詰め寄ってくる。


「て、どうして陛下にかけられているのが呪いだと?」

「いや、胸元に魔法陣が書いてあって、そこに呪いの術式が書いてあったから……」


 術式は古代魔術語で書かれている意味のある文だ。今に至るまで使用言語が変わらないのは、人間に力を貸す精霊や神や悪魔があまねく読めるように、という配慮かららしいが。


「から? もしかして、術式の意味をそのまま読み取ったとかじゃ……」


 そうだが、と言ってから、この反応からするにおそらく王族くらいしか古代魔術語を履修しないんだろう、ということに気が付いた。


「ひとつ、訊いてもいいか」

「はあ」

「なぜ俺……というかブリッツェンの王族は、古代魔術語を学んだんだろう」


 エーデルシュタインは、すぐさま答えた。


「そりゃあ、〈エリクサー〉の内容を正しく受け継ぐためでしょう。あなたにとって術式は、古代魔術語における詩のようなものではないですか?」


 言われてみれば、術式を現代語訳するとすべて意味の通った文章になる。


 単語丸ごと間違えるのなら話は別だが、単語を構成する一文字のレベルでは間違えない。たとえ〈エリクサー〉の術式の一部が失われたとしても、前後の文脈で推測できるだろう。


「よくある話なんですよ。〈エリクサー〉に限らず一族に受け継がれる魔術がある家系は古代魔術語を教えられるんです。エーデルシュタイン家もかつてはそうでした」

「かつては?」

「父の父親が早くに亡くなりましてね。その代で途絶えました」


 なるほど、そういう経緯で失われた術式もあるのだろうとアレクは感じた。もっとも、〈エリクサー〉が現在その危機にあるのだが。



 しばらく乗っていると、エーデルシュタイン家の別荘についた。本邸はセイヴァー共和国との国境部・ウトピー公爵領ユーベル州にあるらしいが、土地勘のないアレクには耳慣れない話だった。


 周りの屋敷より少し控えめな規模の屋敷へ、エーデルシュタインと連れ立って入る。皇帝の親族にしては小さな家も、別邸だというのなら納得だ。


 エーデルシュタインは屋敷の中を突っ切り、一番奥の部屋が自分の部屋、その左隣がアレクの部屋だと紹介した。


 エーデルシュタインの部屋に入ると、メイドがふたり分の紅茶を出してくる。エーデルシュタインはそこにふたつ角砂糖を入れると、飲みながら話を始めた。


「ところで。あなたは僕の名を聞いて何も反応を示さなかったところを見るに、あまり世界の情勢に明るくないようですね」

「ん、ああ、まあ、七年前からスラムにいたから、そこからはあいまいだな。結局大陸戦争は終結したのか?」

「終結したのか、も何も、終結させたのは僕です。三年前、ちょうど二十歳の時ですね」


 三年前で二十歳ということは、今は二十三歳ということになる、が……。


「なんです」

「いや、同い年くらいだと思ってた。実は十八くらいじゃねえの?」

「ぶん殴りますよ」


 口調のわりにやけに物騒な単語が出てきたものだから、思わず笑ってしまった。


「って、失礼、他国の王族に何を……」

「いやいい、今まで王族だと思って生きてこなかったから。俺のことは『アレク』でいい」


 はあ、と少し面倒そうに相槌を打つと、エーデルシュタインは立ち上がり部屋を出ていく。アレクもその後について、飲みかけの紅茶をテーブルにおいてソファを立つ。


「ひとまず……解決策が出るまで、あなたはここで僕の秘書として働いてもらいます」

「ちなみに、今のところの解決策は?」

「先ほどのような血を使った血術や、魔力を込めた紙に魔法陣を書く陣術ならおそらく行けると思われます。

 しかし〈エリクサー〉は口承の術式で詠唱がメインなので、応用するとなるとすこし時間とコツが必要かと」


 何を言っているかよくわからなかったので、とりあえずふうん、とだけ言っておく。


「では最初の業務として、グルックリヒの案内をします。支配する街を知らない人間に、片腕は任せられません」


 そう言って、エーデルシュタインはアレクとともに街へ繰り出した。


 ◇◇◇


 エーデルシュタインは礼服を脱いで、シャツとズボンだけの格好になって街を歩いた。こうしてみると案外庶民らしく見えて、散策に特に支障はなかった。


 エーデルシュタインと巡ったのは、比較的南方にある商人街だった。海沿いのヴンダーシェーンという街から近いらしく、ヒンメルでは珍しい魚もたくさん売っていた。


 彼が最後に足を止めたのは、街の端にある教会の前だった。目を凝らすとグルックリヒの城壁が見えるくらいの郊外だ。どうりで疲れたわけだ。


「こちら、ネーベルシュタット大聖堂。あなたに見せたかったものです」


 大聖堂は均整のとれた白亜造りの建物だが、どこか揺れ動く生命性のようなものも感じた。尖塔群が大聖堂の手前を取り囲むように屹立し、その間を飛び梁が繋ぐ。


 ゴシック様式で形作られた病的なまでの秩序は、大聖堂という名に相応しい。


 アレクが息を呑んで立ち尽くしていると、エーデルシュタインが振り返って「何してるんですか」と声をかけてきた。慌てて先をゆく彼の後を追って大聖堂内へ入る。

 そのまま一本道の廊下を進んでゆき、オスカーは聖堂の最奥部の一歩手前で足を止めた。アレクは顔を上げて辺りを見回す。


「アレク、なにか気づいたことは?」


 エーデルシュタインに問われてすぐ、彼は気がついた。あまりにもあからさまな答えだった。


「──左右の窓が割れてるな」


 大聖堂の最奥部は、上から見ると半円状の形をした礼拝堂になっている。壁の上方には窓があるが、中央のステンドグラスを残してほかは全て割られ、交差させた板が打ち付けてある。グルックリヒらしからぬ粗雑さだ。


 エーデルシュタインはアレクの答えを聞くと、満足そうに頷いた。


「唯一現存してる正面のステンドグラスに描かれているのはフルフィウス神。ヒンメルではあまり見ないでしょう」


 オスカーは正面のステンドグラスを指さした。うねった黒髪の老人が、槍を持って墜落する間際をモチーフにしたステンドグラスだ。


 ムート帝国で主に信仰されるエーマン教の神で、戦いを司る……とどこかで見た気がする。戦いの神だからか、ここグルックリヒではとくに特別視されている。グルックリヒ州の紋章にも、彼の槍が描かれている。


「で、左右の窓に描かれてたのは何か、分かりますか?」


 アレクはしばらく考え込んだのち、ひとつ答えが浮かんだ。それと同時に、オスカーが自分をここへ連れてきた理由を悟った。

 アレクは声を潜めて言う。


「悪魔、か」


 周りの空間に、波ができた気がした。異常なものを、アレクを、外へ出すような波が。

 エーデルシュタインもまた、気まずそうに言った。


「正解です。三四〇年前にムート大公国が滅ぶまで、悪魔崇拝がされていました」


 ムート大公国について聞き返すと、今のムート帝国の前身だと教えた。


 最後の大公は悪魔を狂信的に崇拝していて、他国からやってきた悪魔を名乗る者にあっけなく殺されたという。


 そして大公国はその悪魔を名乗る者に乗っ取られたが、民による必死の抗戦で悪魔は倒された。


 結果、大公の遠筋の者がムート帝国初代皇帝に就いて、三二九年前、帝国が成立したらしい。


「だからこの国は、悪魔を敵だと思っています。国を滅ぼしてしまう敵だ、と」


 アレクの妹・ヨハンナがトイフェル人ということは、母親から伝えられていた。そしてそのせいで、妹は迫害を受けているのだということも。だからその話は、アレクにとって他人事のような気がしなかった。


「アレクは、どう思いますか」


 エーデルシュタインがあまりに神妙な顔で問いかけてくるので、アレクも思わず真剣に答えてしまった。


「“トイフェル人を人として認めない”憲法は、おかしい、と思うが……」


 彼はその答えを聞くと、やけに悲しそうな顔でそうですか、と言った。


「大陸戦争の始まりはご存じですか」

「え、あー……なんだったか」

「カエルラでのトイフェル人虐殺事件です」


 言われて、ああ、と思い出す程度の記憶だった。


 十年前、まだセイヴァーが共和国としての基盤を固められていなかったころ。


 ムート帝国はあわよくばセイヴァーの海運上有利な土地を得ようと、戦争を起こそうとしていた。そこで海賊を買収し、中立国カエルラの首都、ベイシンでトイフェル人を虐殺した。


 トイフェル人の権利を認めていたセイヴァー共和国は、それに憤り宣戦布告した。対するムート帝国は、大陸一の歴史を誇るブリッツェン聖王国と手を組んで対抗した。そしてその戦争を収めたのも、ムート帝国側らしい。


「……なんか、ムート帝国側ばっかが得してるな」

「ええ、だからまだセイヴァーとの対立が続いているんです。彼らの気が済むまで」


 なるほど、と頷いて、アレクは大聖堂の出口へ向かう。なぜ母国ブリッツェンはこの国と同盟を組んだのだろうか――そんなことに引っ掛かりながらも、大聖堂を出た。


 アレクはその一週間後、一年の終わりを、グルックリヒで初めて迎えた。

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