二章
第4話 決裂
年が変わって最初に迎えた朝、アレクは大砲の音で飛び起きた。勢いそのまま下宿部屋のベッドから転げ落ちたが、何とか体勢を立て直し、部屋を出る。
エーデルシュタインの部屋のドアを何度も叩く。
「おい、エーデルシュタイン! 大砲が!」
砲台の音は帝都グルックリヒの中央、ムート皇帝の居城から聞こえた。エーデルシュタインのあずかり知らぬところで襲撃が起きたのだろうか。
エーデルシュタインの部屋のドアが開く。呆れた顔の彼が、初めて会ったときよりは軽い礼服に身を包んで立っていた。
「ああ、あなた知りませんでしたか……」
エーデルシュタインは二階のテラスまでアレクを連れて行くと、街が一望できた。城のほうから、人間が歩いてきているのが見える。
固唾を飲んで街を眺めていると、今度はラッパの音が響いた。遠くで太鼓がリズムを刻みはじめ、だんだんと音量を上げていく。
軍隊の先頭を歩く軍人は、長柄の旗を持っている。赤と黒の生地、そしてムート皇家の紋章で構成されたそれは、見慣れたムート帝国の旗だ。
紋章に描かれているものは主に三つ。武力を象徴するフルフィウス神の
「アレク、これがグルックリヒの新年の行事です。慣れてください」
ここではこんなに派手に新年を迎えるのか、と驚いた。ヒンメルではこんなパレードこそしないものの、魔除けと慶祝の意味を持つヒイラギで一週間余り家を飾り付ける風習がある。エーデルシュタインいわく、ほかの州から見るとだいぶ珍しい風習らしい。
「さ。こんなことで驚いてないで、仕事に向かいますよ」
「あ? 仕事?」
「これから、僕が演説を行うんです。あなたはその補助をしてください」
どおりで礼服を着ているわけだ、とアレクは納得する。アレクはクローゼットの中にあるといわれた礼服を着た。やたらサイズの大きい帽子と、厚手のコート。飾緒だけはやりかたがわからなかったので、馬車の中でエーデルシュタインに整えられた。
馬車は予想通りフルーレ=ヴィレシュタット城で止まった。馬車のドアが開くと、赤いカーペットが城の前まで敷かれているのが目に入る。
「宰相だ!」「皇帝は出てくるのか?」「宰相の今年の対外政策ってどうなってんだろ」
民衆の沸き立った声が耳に入ってくる。どうやらエーデルシュタインは、この国でかなりの信頼を得ているらしい。アレクのほうにはまったく目を止めず、民衆はエーデルシュタインばかりを見ている。
やがてエーデルシュタインは、城の扉の前で立ち止まった。アレクの仕事は、渡すように言われた原稿を渡すだけだ。あとは横で立っているだけ。なんとも退屈な作業だ。
エーデルシュタインは強い風の中、その場にアレクまで覆う結界をかけ、声を拡張させる魔術をかけた。風で横顔が隠れてよく見えなかったが、両方とも無詠唱だ。
「――諸君」
エーデルシュタインの呼びかけひとつで、期待と不安に満ちた群衆の口がみな閉じる。群衆すべてが彼の操るマリオネットのように、エーデルシュタインの動きを静かにじっと見つめていた。
「本日はお集まりいただきありがとう。皇帝陛下は病床に伏せっており、私、宰相のユリウス・ヘルマン・フォン・エーデルシュタインが名代を務めさせていただく」
エーデルシュタインがそう言うと、民衆の中からざわめきが起こる。エーデルシュタインの話だと、一ヶ月ほど前から皇帝は呪いに冒されているらしい。それなら民が心配するのも頷ける。
「しかし──安心してくれ。私は皇帝陛下の件を解決する人間を手配した。しばらく時間はかかるだろうが、必ずやかの者がこの国を平らかにし、諸君らは彼を英雄と讃えるだろう」
エーデルシュタインが手を掲げ、高らかに宣言する。
「必ずやかの者が、皇帝陛下に巣食う悪魔を排除するだろう!」
そう言うと、群衆がワッと沸き立ち、耳が割れるような音量で拍手を始めた。まるで劇でも見ているかのように。
対するアレクは、エーデルシュタインの発言に耳を疑っていた。
──悪魔を排除する?
きっとこの国のことだから、「悪魔」とはそのまま魔族のことを指すのだろう。すなわちエーデルシュタインは、トイフェル人を人として認めないこの国を、正すどころかその思想を推し進めようとしているのだ。
アレクの脳裏に過ったのは、妹であるヨハンナの顔だった。
『兄さんは、わたしのせいで追い出されちゃったんだよ』
ヨハンナは隔世遺伝で魔族の血が表面に多く出ていた。生まれつき魔力量が多く、目が赤い。そのせいで、彼女の母親、アンネがトイフェル人だということも発露してしまった。
ブリッツェンの議会は王族にトイフェル人がいるという事実を隠すため、アンネとヨハンナを国から追放した。それと一緒に、魔術が使えない上弟よりも覚えが悪かった第一王子も厄介払いされた。
『わたしが生まれてなかったら、兄さんが王になってた。兄さんみたいに魔法の使えない人でも暮らしていける、そんな世の中が出来てたかも』
表面上、ブリッツェン聖王国は魔術の巧拙で人を差別しない。だから第一王子のアレクを王にしない合理的な理由が用意できなかった。
しかし魔術の使えない王は役立たずだ。妹は、自分を追い出すための方便だった。
「悪魔を追い出せ! 悪魔はこの国を滅ぼすに違いない!」
民衆の声がどんどん遠ざかっていく。
魔術の使えない自分を追い出したいなら、なんでもでっち上げて捨てればよかったのに。
妹まで巻き込んだ原因は、この国と。
「ああそうだ! 悪魔を崇拝するセイヴァーに裁きを!」
この国を導いている、平和の仮面を被った男だ。
アレクはあまりの怒りと憎しみで、何も動けなくなっていた。
長かったスピーチはやがて終わり、アレクは放心状態で彼について馬車に乗った。
沈黙で満ちた馬車が、民衆の喧騒を縫って去っていく。
馬車の中では、ふたりとも何も話さなかった。アレクはずっと下を向いていた。エーデルシュタインはどんな表情をしているのだろうか。もしいつもと変わらず微笑んでいたら、アレクは彼のことを許せなくなってしまうかもしれない。
何年にも感じられる時間が経って、馬車がエーデルシュタイン家別邸の前でゆっくりと止まる。先に降りたのはアレクで、馬車を降りようとしているエーデルシュタインのほうを振り返った。
「お前、あの演説は」
「多数の賛成を得るためには、この国ではあれがいちばんなんです」
エーデルシュタインは、葛藤に顔を染めていた。
「あの演説はただの手段、だと?」
答えはなかった。
アレクは自分の血がかっと熱くなるのを感じて、そのエネルギーをそのままエーデルシュタインの頬に叩きつけた。
ぱん、と頬を打つ音が別邸の庭に響いた。護衛の人間が動こうとしたが、エーデルシュタインがそれを手で制した。
「お前にはついていけない」
アレクはその場から走り去った。行き先は、なかった。それでも走った。この街ではないどこかへ。
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