第28話 珠白の独白

 小学生の時、大好きだったお母さんが亡くなった。


 お父さんからお母さんが亡くなったと聞かされた時、わたしはその言っている意味が分からなかった。いや、分かりたくなかった。


 最後にお母さんの顔を見ようと、お母さんが入院していた病院に連れて行かれたけど、直前でわたしは逃げちゃった。事実を受け入れたくなかったのだ。


 病院を出て、そこからは何も考えずがむしゃらに走った。だんだん疲れてきて、目に入った公園のベンチに座った。座って何もしていないと、お母さんとの思い出が頭の中を駆け巡り、どんどん気持ちが落ち込んでいく。


 この時、別に死にたいとは思っていなかった。自殺なんて発想はなかった。けど、どうやったらまたお母さんと会えるのかをずっと考えていた。結局、このままじゃ、いずれその発想に辿り着いていたのかもしれない。


 でも、そんなわたしを救ってくれた人がいた。お兄ちゃんだ。実際はこの時はお兄ちゃんではなかったが、その1年後に彼はわたしのお兄ちゃんになった。


 急に知らない男の子に話しかけられて、人見知りなわたしは固まってしまった。色々聞かれるのだろうか。今は一人にしてほしい。そう思っていたのだが、彼は最初に話しかけて以降、何もせずに隣に座っていた。


 最初はそんな彼の様子に困惑した。でも、次第にその存在が心地よく感じた。わたしには味方がいるんだと、そう思わされた。だから、自然とわたしの口はぽつりぽつりと心の内を吐露した。


 支離滅裂なことを言っている自覚はあった。でも、思ったことが全て口から漏れていた。止まらなかった。その時に初めて、自分が誰かに心の内をぶち撒けたかったんだとわかった。


 もう我慢の限界だ、そろそろ泣いてしまいそう。そう思った瞬間、彼がわたしの頭を撫でてきた。初めはビックリしたが、身体はそれを受け入れていた。お母さんがよく撫でてくれていたのを思い出す。


 そして、彼はゆっくりと言った。


「我慢しなくていいんだよ。今はいっぱい、お母さんとのお別れを悲しもう。そしてたくさん泣いたら、前を向こう。お母さんを忘れようってことじゃないよ。今後も、ふと思い出す時があると思う。でも、君を想ってくれて、支えてくれる人はたくさんいるんだ。お父さんもそうだろうし、今から出会う人たち……俺もそうだよ。いつかまた辛くなったとき、周りを頼って。そして、この悲しみと一緒に生きよ?」


 それはわたしにとって残酷で、そして生きる気力を与えてくれた言葉。お母さんの死を受け入れられずに逃げてきたわたしは、一瞬自分が非難されたかのように思えたが、この言葉がなければ、わたしはお母さんにお別れを言えなかっただろうし、今まで生きていないかもしれない。


 そして、彼は頼ってもいいと言ってくれた。初対面であるわたしに。お母さんという絶対的な支柱を失ったわたしに、生きる希望を与えてくれた。


 その後号泣してしまったわたしは、迎えに来てくれたお父さんと病院に戻り、お母さんに最後のお別れを告げることができた。


 あれから、わたしはお兄ちゃんのとを考えていた。頼りにしてくれと言ってくれた人。でも、やっぱり家族じゃなきゃ、いつも傍にいてくれなきゃ、頼りにしたい時に頼れない。


 あの人は嘘つきだ。そう思う時もあった。でも、彼を嫌いになることはなかった。むしろどんどん好きっていう気持ちが強くなっていく。それが何の好きにカテゴライズされるのか、わたしには分からない。


 ある日、突然お父さんから再婚するという話を聞かされた。正直、わたしはお父さんに失望した。あんなにお母さんのことが好きだったのに、たった1年で新しい女の人と結婚できるなんて。


 だから、わたしは絶対に反対とお父さんを責め立てた。すると、観念したお父さんがこの再婚の真意を教えてくれた。相手の人も子持ちであること。相手の人とはお互いに同意の上で、恋愛感情は無しに子供のために結婚すること。


 そんな夫婦の形があって良いのかと、別の怒りが芽生えそうになった。だけど、お父さんがわたしのことを考えてくれていること、それを教えてくれている時に今もお母さんのことを愛していることが話の節々から伝わってきたため、わたしはなんとか納得することができた。


 それと、わたしを宥めるために必死だったのか、それともただ口を滑らせたのか、お父さんは再婚相手が離婚した原因も教えてくれた。昔からお父さんはデリカシーがない。しかし、恋愛感情なしで再婚できる相手のことを理解することができた。


 再婚相手とその子供と顔合わせをすることになった。お父さんによると、相手の子供はわたしの年上の男の人らしい。それを聞いて、あの時の彼の姿が脳裏に浮かんでくる。でも、そんな奇跡が起きるわけがない。幼いわたしからお母さんを奪った神様は、そんなに優しくないって知っていた。


 でも、神様はどうも気まぐれみたいだった。顔合わせに向かうと、ずっと会いたかった人がそこにいた。あの時より、ほんの少しだけ大人っぽくなっていた彼は、更に頼り甲斐があるように感じた。


「これから君が珠白のお兄ちゃんだ。よろしくね」


 お父さんが彼にそう言うと、彼はわたしに笑顔を向けてくれた。彼はわたしのお兄ちゃんになった。世の中で一番頼れる家族という存在になったのだ。


 それから、わたしはとにかくお兄ちゃんに甘えた。頼っていいって言ってくれたのだ。あれから1年間放置されたのだ。気づけば周りからブラコンと揶揄われるぐらい、わたしはお兄ちゃんに依存していた。でも、お兄ちゃんはそんなわたしに嫌な顔を一切見せず、可愛がってくれた。だから、わたしももっと甘えるようになる。


 だけど、一つ懸念があった。お兄ちゃんはモテる。すごくモテる。わたしが中学校に上がると、2つ上のお兄ちゃんは中学3年生で、同じ学校に通える喜びに満ち溢れていた。


 でも、嫌なものもいっぱい見るようになった。中学生になってくると、周りは色恋に目覚め始めていた。あの先輩がかっこいいとか、この前彼氏とキスしちゃったとか、そんな話をよく耳にするようになった。


 それに関連した話題でよくあがる名前がわたしのお兄ちゃん、浅野眞也だった。初めは、あの先輩かっこいいよねっていう話だけ聞こえていたので、わたしは「わたしのお兄ちゃんだもん」と心の内でドヤ顔をかましていた。


 しかし、クラスメイトがお兄ちゃんに告白したという話を聞いた時、わたしは身を引き裂かれるような感覚に陥った。どうも彼女は振られたみたいで、付き合うには至らなかったみたいだが、彼女を慰める彼女の友人らの会話から、他にも多くの女子がお兄ちゃんに告白していることが分かった。


 もしかしたら、いずれお兄ちゃんも彼女ができてしまうかもしれない。そうなってしまったら、わたしは今まで通りお兄ちゃんに甘えることができなくなるかもしれない。他の女に、お兄ちゃんを奪われるかもしれない。


 わたしは、どうすればお兄ちゃんの傍にずっといられるかを考えるようになった。この幸せを手放したくない。もしかして、わたしがお兄ちゃんの彼女になればいいのではないだろうか。義理の兄妹は結婚ができることを知っていたわたしは、そんな考えに至ったこともあった。その時期、少しお兄ちゃんに甘えにくくなってしまった。


 しかし、そんな考えを捨てる事件が起きた。事件というと大袈裟だが。


 わたしが一番警戒していた女。お兄ちゃんの幼馴染。親の再婚前はお兄ちゃんと同じアパートに住んでいて、親の再婚を機に引っ越したわたしたちの家の隣に、わざわざ追いかけるように引っ越してきた彼女。


 摩安耶さん——今のお母さんがマイホームを持ったことを聞いて、じゃあうちも建てるかとなった両親に、彼女が必死にここに建ててほしいと説得したのだと、お母さんから聞いた。


 そんな彼女が、お兄ちゃんに告白したのだ。中学校の体育館裏に二人が歩いていくのを見たと、クラスメイトが騒いでいるのを聞いた。その時のわたしの焦り様は尋常じゃなかった。今すぐにでも教室を飛び出し、現場に突撃したかった。でも、それが成功しているのを見るのが怖くて、わたしの身体は動くことはなかった。


 結局、彼女は振られてしまった。安堵したが、どうしてお兄ちゃんが告白を断ったのか疑問に思った。だから、思い切って聞いてみた。そこで初めて、お兄ちゃんは恋愛感情がわからないことを知った。


 それならば、お兄ちゃんが他の女に盗られる心配はない。神妙な面持ちでそれを教えてくれるお兄ちゃんには悪いが、わたしは心の中でほくそ笑んでいた。


 そうとなると、わたしはお兄ちゃんの妹であれ続ければいい。お兄ちゃんはわたしの妹であれ続けばいい。わたし達は彼氏彼女なんて不安定な関係ではなく、兄妹という固い絆に結ばれている。たしかな充足感がそこにはあった。


 現に、わたしたちの両親は恋愛感情なしで付き合っている。一緒にいる理由は人それぞれ。こういった形も許されるはずだ。


 それから、わたしは一層"お兄ちゃん"を求めた。事あるごとに甘えた。お兄ちゃんは優しいので、わたし用に学校に傘を2本持っていく。それを利用して、わたしは傘を持ってきているのにも関わらず、忘れたと嘘をついてお兄ちゃんを呼びつける。


 中学校に迎えに来てくれるお兄ちゃんを、同窓のみんなが好意的な目で見つめる。それに優越感を覚えつつ、わたしはお兄ちゃんに甘えるのだ。兄妹という形にこだわることにしたが、これくらいは許して欲しかった。


 そんなある日、お兄ちゃんからデートの誘いを受けた。普段からお兄ちゃんとお出かけすることはあったが、あくまで兄妹でお出かけという体であった。わたしの心持ちは若干違ったが。だけど、今回ははっきりとお兄ちゃんからデートだと告げられた。


 わたしは舞い上がってしまった。わたし達は兄妹として一生を添い遂げる。そう決めたのはわたしだが、やはり抑え込めないのが恋心。そう、わたしはお兄ちゃんが好きだ。家族としても、一人の男性としても。


 だけど、どこか違和感があった。どうしてお兄ちゃんは急にそんなことを言い出したのだろうか。でも、そんな疑問は、楽しみという高揚感によってかき消されていく。今は来たるデートを楽しもう。


 デートは楽しかった。心なしか、普段よりお兄ちゃんがリードしてくれた。どこか彼氏っぽい振る舞いを見せてくれる。わたしの胸は常に激しく鼓動していた。


 その日の終わりに、高揚感で胸がいっぱいのわたしは、お兄ちゃんから衝撃的なことを告げられる。


「俺は、珠白に一目惚れしていたんだ」


 お兄ちゃんはわたしのことが一人の女として好きだったらしい。それを聞いた時、わたしはその場で飛び跳ねてしまいそうな身体を必死で抑えていた。諦めていた関係を手にすることができる。わたしは自分の気持ちを伝えようとした、その時だった。


「でも、今の俺は珠白のお兄ちゃんだ」

「好きだぞ。女の子として好きだったのは昔で、今は妹としてな」


 この数年で、お兄ちゃんが抱いていたわたしへの好意は、女としてではなく妹としてに変わってしまったらしい。上がりきっていたわたしのテンションが、急激に下がっていくのを感じる。


 結局、わたしはその場で何も言えず、そのまま家に帰ることになった。


 何がいけなかったんだろう。どこで間違えたんだろう。わたしは失敗したのかな? お兄ちゃんと一緒にいたい、ただそれだけなのに。おそらく、お兄ちゃんは恋愛感情を取り戻しつつある。非常にまずい。このままではわたしから離れていってしまう。


 お兄ちゃんの考えや行動が急激に変わった、何かきっかけがあるはずだ。そう、わたしたちの中を引き裂くような、邪魔者がいるはずだ。


 お兄ちゃんの通う高校に何かあるはず。わたしはまだ中学生だから内情を知り得ないけど、誰か情報持ちを捕まえる必要があるかもしれない。


 今度、瑞波高校に行ってみよう。そしたら何か掴めるかもしれない。

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