第23話 兄の過去

 さて、完全に泣き止んだ玲愛であるが、なぜか未だ俺に抱き着いたまま離れようとしない。俺から抱き着いたものだけど、冷静になればここは公共施設で外だ。誰かに見られると流石にまずいのでは……?


「なあ、玲愛。そろそろ離れてくれても」

「嫌です。先輩には罰を与えるといいました。なので、しばらくこのままで」


 罰ってあれか。玲愛が俺を落とすために頑張ったことに対するっていう。完全に逆恨みだけどな。


 玲愛はごそごそと顔を動かし、耳を俺の胸に当ててくる。


「……先輩の心臓の音、あまり速くないですね」

「これでも緊張しているんだが」

「いいえ、普通こんなもんじゃありませんよ。——ほらっ」


 そう言って、玲愛は俺の腕をつかみ、自分の胸元に持っていく。そして、胸に俺の手を押し付けるようにする。


「な、お前!」

「ほら、先輩。どうですか。私の鼓動」


 手のひらから伝わる玲愛の心臓の鼓動は、ドクドクと生命を感じるには十分すぎて、今にも爆発しそうと言わんばかりのビートを刻んでいた。


 流石に俺も動揺し、顔が熱くなるのを感じる。それを見た玲愛は悪戯な笑みを浮かべ、また俺の胸に耳を当てる。


「ふふっ。やっぱり速くなりましたね、先輩の鼓動。でも、これは性欲のせいですよねぇ」

「そんなストレートに言わないでくれ! 仕方ないだろ!」

「ふふっ。かわいいですね、先輩」


 からかうように笑う。これ以上言い返すことができず、ぐぬぬと玲愛を睨むしかできない。


「先輩は私に魅力的だと言ってくれました。それは本心で言っているんだと信じています。……でも、完全に恋に落ちたとは言えませんよね?」

「……あぁ、そうだな。俺はまだ、恋愛感情はよく分からない」


 玲愛が魅力的だと思ったのは本心だ。だが、この感情が恋愛感情なのかはわからない。ただ単純に人として魅力的だと思ったのか、それとも……その答えを、俺はまだ出すことができない。


「それじゃあ、先輩。まだこの関係は継続ですね」

「関係……というと、玲愛はまだ俺を落とそうとか思ってるのか? もうやめるんじゃないのか?」

「ふふっ。目標がどうとか、そんなものは考えていません。でも、私にもプライドというものがあるんですよ、先輩」


 プライドか。まあ、そういうことなら納得がいく。


「好きにすればいいさ。玲愛といるのは楽しいしな」


 俺がそう答えてやると、玲愛はクスッと笑う。そして、もう陽が沈みかけている空を見ながら言う。


「矛は折れない限り、盾を攻撃できます。私の心は折れていません。……まあ、折れかけたんですが、先輩が直してくれました。なので、私が攻撃し続けるのは、先輩のせいなんですよ?」

「俺のせい、か。じゃあ、責任取らないとな」 

 

 そんな俺の言葉を聞いて、玲愛の顔が赤く見えたのは、きっと夕焼けのせいだろう。




* * * * *




 陽は完全に落ち、明かりは月の光や街灯、建物の光のみとなり、流石に今日はもう解散だと言うことで、玲愛の家まで送って行った。


 玲愛は別れ際、いつもの笑顔を浮かべて言った。


「またデートしましょうね、先輩。次は、完全に私色で」


 『私色』の意味がよく分からなかったが、玲愛はその意味を教えてくれる前に家の中に入って行った。


 帰り道、『私色』の意味について考えていた。今日のデートプランはほとんど玲愛が考えてくれたのだが、それは完全な『私色』ではないのだろうか。


 となると、プラン以外の部分にあるはずだ。……もしかして俺自身? とすれば、俺の行動か……?


 俺のデート時の行動か。今思い返すと、ほとんど珠白と出かける時と一緒なんだよな。なぜか一緒に家を出ずに、外で待ち合わせをするし。流石に恋人繋ぎではないが、手を繋ぐし。……そういうことなのか?


 それっぽい答えを導いたところで、俺は珠白に関連してあることを思い出す。


 先ほど、公園で玲愛が泣いていた光景。俺はそれにひどく心を動かされた。別に泣いている子が好きとかそういった性癖がある訳ではない。


 珠白と初めて会った時も同じような状況だったのだ。珠白は公園のベンチに座って一人で泣いていた。その姿と被って見えたのだ。


 あれは、今から7年間のこと——




* * * * *




 俺の記憶がないぐらい早い内に、父親は俺と母さんの元から消えたらしい。その消えたと言うのが、離婚したのか、亡くなったのか、それともそもそも……といったところは知らない。一度聞こうとしたが、その時の母さんの苦しそうな表情を見てやめて以来考えないようにしている。


 そんな家庭環境であったため、母さんは俺のために朝から晩まで働いてくれていた。本人は俺のためだけじゃないと言うが、あれだけ親の愛情というものを与えてくれたら分かってしまう。


 そのため俺はなるべく母さんには迷惑をかけないようにしようと思っていたし、その姿に尊敬していたため、人助けは率先して行おうなんてことも考えていた。


 そんなある日、いつも放課後に遊んでいる幼馴染が、今日は家族で出かけるから遊べないということで一人で家で母さんの帰りを待っていた。自分以外いない家。当時はアパートの一室に住んでいて、決して広くはないが、やはり寂しくなってきた。


 別に目的もないが、とにかく家に閉じこもっていると負の感情が際限なく襲ってくるため、俺は家を出た。当時は小学生であったため、そこまで遠くに行く気も力もなく、結局いつも遊んでいる公園に足が向かっていた。


 一人だし、ブランコにでも乗ろうかななんて考えながら公園に入ると、先客が一人いた。といっても、彼女は遊んでいるわけではなく、ベンチに座って俯いているだけ。全然楽しそうじゃない。


 ここで俺の人助け精神が吠えた。彼女を助けよう!って。警戒されないようにゆっくりと彼女のもとへ歩み寄り、近くまで来たところで深呼吸をして、なるべく優しく声をかける。


「どうしたの?」


 俺の声に反応して、彼女はゆっくりと顔を上げた。彼女の目には大量の涙が溜まっており、今にも決壊しそうだった。泣いている、そんな事実を目の当たりにしているのにも関わらず、俺は場違いなことを思ってしまった。


——可愛い。


 心臓がドクンと跳ねたのを感じた。頭の中を彼女の顔が埋め尽くしていく。


 俺はそんな自分の考えを振り払うように頭を振り、もう一度深呼吸して、「大丈夫?」と声をかける。


 彼女は何も答えなかった。だが、潤んだその目で俺をじっと見つめ続けてきた。俺はそれに耐えきれず、つい目を逸らしてしまう。すると彼女はまた俯いてしまったので、焦って振り向き直す。


 もう一度彼女を見る。体は小さく震えており、膝の上で握られている両手にはすごい力が込められている。泣くのを我慢しているのが分かった。いや、伝わってきた。


 このまま俺が声をかけ続けても、彼女は決して喋らないだろう。いや、喋ることができないだろう。声を出すと、それが決壊してしまうのだから。


 為す術なしだなと思ったが、一つだけできることがあった。俺が泣いている時、いつも母さんがやってくれていたこと。


 俺は焦らずに、ゆっくりと、彼女の隣に座った。そして何も言わず、彼女を見るわけでもなく、正面をずっと眺めた。


 俺が何もしないまま、10分ほどの時が過ぎた。俯いたままだが、こちらをチラチラと見ていた少女は、ポツリポツリと話した。


「……お母さんが、死んじゃったの。わたしね、お母さんが、大好きで。でももう会えないって、お父さんに、言われて。でも、次の日曜日ね、お母さんとお父さんと遊園地に行く約束しててね。お母さん、車に轢かれちゃったって。さっきまで病院にいたんだ。初めて行ったところ。この公園もね、初めてきたの。わたし、お母さんの顔が見れなくて。最後だからって、お父さんに言われたけど、どうしても見れなくて……」


 一度口を開けると、ダムが決壊したかのように言葉を吐き続ける。ところどころ前後の流れがおかしかった。多分、思ったことを全て垂れ流しにしているんだろう。俺はそれを聞きながら合間に「うん、うん」と相槌する。


「……お母さんね、すごく綺麗なの。わたし、みんなにお母さん似って言われるの。すごく嬉しくてね。いつかわたしもお母さんみたいになるんだって。お父さん、すごく泣きそうな顔してたけど、がまんしてた。だから、わたしもがまんしなくちゃいけなくて……」


 俺は元から父親がいないから、親を亡くすといった悲しみを知らない。仲のいい親戚や友達が亡くなったこともない。だから、俺は彼女のこの気持ちを全てわかってあげることはできないだろう。


 でも、彼女には泣いてほしくない、笑ってほしいと強く思った。気づいたら俺の体は勝手に動いており、彼女の頭の上に手を置いてゆっくりと撫でていた。瞬間、彼女が体がビクッと反応し、言葉が止まった。


 俺は何が正解かわからない中、思ったままのことを言う。


「我慢しなくていいんだよ。今はいっぱい、お母さんとのお別れを悲しもう。そしてたくさん泣いたら、前を向こう。お母さんを忘れようってことじゃないよ。今後も、ふと思い出す時があると思う。でも、君を想ってくれて、支えてくれる人はたくさんいるんだ。お父さんもそうだろうし、今から出会う人たち……俺もそうだよ。いつかまた辛くなったとき、周りを頼って。そして、この悲しみと一緒に生きよ?」


 自分でも何を言っているのかわからなかった。喋りながら、この言葉が彼女をさらに傷つけないか、そんな不安でいっぱいだった。


 俺が言い切ってから、少しの沈黙が流れた。俺はひたすら手だけ動かしていた。すると、彼女の瞳に溜まっていた大量の涙が流れ始めた。止まらない。次から次へと大粒の涙が流れていく。


「頼って……いいの……?」


 震えた声で、伺い立てるように彼女は聞いてきた。それに対して「あぁ!」と気持ちよく返事をしてみせる。すると彼女は更に涙を流し、バッと俺に抱きつき、


「ぁ……ぁあ……お母さん、お母さあああああああん」


 激しく泣く少女を俺は強く抱きしめる。大丈夫、大丈夫と伝えるように頭は撫で続ける。


 それからしばらくして、彼女の父親がこの公園を探し当て、迎えにくるまで俺たちはその体勢だった。彼女の父親からはお礼を言われ、名前も知らないまま彼女とは別れた。


 俺は彼女の力になれたのだろうか。答えは出てこないが、そんなことをずっと考えながら彼女の後ろ姿を見送った。


 そして一年後。俺たちはお互いの親の再婚という形で再開した。




* * * * *




 家に帰ると、玄関で珠白が仁王立ちしていた。どうも怒っている様子だ。


「おかえり、お兄ちゃん。遅かったね。どこ、行ってたの? 誰と、行ってたの? 教えてくれる、よね?」


 さっきまで見ていた思い出の中の珠白とは違い、体はもちろん成長しており、感情も豊かになったなと感慨深くなる。


「ただいま、珠白」

「ねえ、無視しないで。どうして、教えてくれないの? 言えないことが、あるの? お兄ちゃん?」


 でもなんだか今日の珠白の目からは光が消えているなーって思いながら、俺は言う。


「珠白。今度、お兄ちゃんとデート行かないか?」


 そんな俺の誘いを受けて、今までの表情とは打って変わり、困惑と歓喜が混じったような顔をする。


「え、え、えぇ!? わたしと、お兄ちゃんが、で、デート……!?」


 その変わり様を見て、俺は思わず吹いてしまう。


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