第22話 後輩の過去

 ご飯を食べ終えた俺たちは、ウィンドウショッピングを再開した。


 しかし、お互いに目的のものはなく、ぶらぶらと店を回っていただけだったため、一周したあたりで、この後どうしようかという雰囲気が流れていた。


 そこで、映画館に行こうという俺の思いつきに玲愛が乗っかってくれたため、モール内の映画を見ることになった。


 玲愛が「映画デートといえば」と恋愛物の作品をチョイス。その作品の次の上映時間が丁度よく、席も空いていたため、そのままそれを観ることになった。


 俺一人で二人分のチケットを買い、玲愛のところに戻ると、彼女は二人分のジュースとポップコーンを一つ抱えていた。


「買ってくれたのか、ありがとう。いくらだった?」

「いいですよ。先輩が私の分の映画代出してくれたので、そのお返しです」


 そういうことならとご厚意に甘えることにして、そのまま映画館内に入っていた。


 チケットに記載されている席の番号を確認しながら、自分達の席のもとまで辿り着き、座って一息つく。玲愛からジュースを受け取り、「ありがとう」と返して、一口だけ飲んだ。炭酸が口中でシュワッと弾けて気持ちがいい。よく俺の好みがわかったなと思った。


「一緒に食べましょうね」


 そう言ってポップコーンを俺と玲愛の真ん中にある肘掛けの上に置き、手で支えてくれる。


 あたりを見渡すと、やはりカップルが多かった。というか、カップルしかいなかった。俺たちも傍から見ればそう見えるのだろうから浮きはしないだろうけど、俺の心は少し浮わついていた。


 そんなことを考えていると、館内の照明が消えていった。そして映画前恒例の利用上の注意と広告が流れ始める。たまに気になる作品があるけど、結局観にいかないんだよなあと思いながらそれらを眺める。


 そして遂に映画本編が始まった。


 少女漫画原作の実写化らしいが、俺はこの作品を知らなかった。ちなみに玲愛も知らないらしい。なので、展開等を初見の反応で楽しめる。


 主人公の女子高生にはずっと片想い中の幼馴染がいる。その幼馴染とは同じ高校に通っているが、彼は校内で王子様と呼ばれるような存在になってしまい、遠い存在のように思えてしまった主人公は、自分は彼に相応しくないと身を引いてしまう。

 ある日、クラスに転校生がやってきた。転校生が最初の挨拶をしている時、主人公と彼は目が合い、二人して「あーっ!」と叫ぶ。主人公の父方の実家に帰郷するときに昔会っていた少年が転校生だったのだ。

 二人は思い出話をしながら意気投合。次第に主人公は転校生に惹かれていくのだが、「俺の幼馴染は俺だろ」と王子様が主人公に壁ドン。この時、館内に黄色い声が上がった。

 実は王子様は主人公を昔怪我させたことがあり、それに対して負い目を感じていたらしい。そのため王子様も主人公から身を引いていたのだが、転校生の登場に気が気でなくなったらしい。

 主人公を巡って二人の幼馴染が争う構図に。そして最終的に転校生が王子様を認める形で、主人公は王子様と結ばれた。


 クライマックスのシーンでは主題歌が流れ、感動的な演出だった。実際、最後にはすすり泣くような声が館内に響き渡っていた。


 俺は少し理解できなかったため感動することができなかった。まあ、少女漫画原作であるため、男の俺には分からないものなのかもしれない。


 そういえば玲愛はどうなんだろう。そう思い、視線を隣にやると、真顔のままポップコーンを食べている姿がそこにあった。


 俺の視線に気づいた玲愛はクスッと笑い、


「ポップコーンいりますか?」


 とだけ言った。





* * * * *





 映画を観終わった俺たちは、もう用事がないためモールを後にした。


 普通、映画を観終わった後はその感想戦に入るところだと思うのだが、俺たちはあの映画について何も語らなかった。


 別に面白くなかったわけじゃない。時折挟まれる小ネタには少し笑わされたし、ストーリーも王道だった。ただ、共感することはなかった。


 しかし、恋愛感情がない俺なら分かるが、玲愛も語ろうとしないのは理解できなかった。もしかして俺に気をつかっているのかと思ったが、それならそもそもこのジャンルを選ばないだろう。


 全く関係ない話題で盛り上がりながら、電車に乗り、玲愛の家の最寄り駅まで着いた。


 ここで今日はお別れだなと思い「またな」と声をかけようとした瞬間、服の袖を掴まれた。


「家まで送ってください」


 そうお願いしてくる玲愛の表情には、いつも俺をからかってくるような余裕を感じさせなかった。元々断る気はなかったが、一緒にいてあげないといけないという使命感に駆られ、俺は素直に降車した。


 俺は玲愛の家を知らない。そのため、駅から玲愛の進み方向に従って歩いて進んでいく。うちの最寄り駅からそこまで離れていないが、普段来るような町ではないため、見慣れない町の風景が広がっていた。


 駅から俺たちの間に会話はなかった。

 住宅街に入って少し進んだところで、公園が現れた。その横まで来たところで玲愛は足を止めた。


「少し寄り道しませんか」


 公園を指差しながらのお誘い。


 俺ももう少し玲愛と話がしたいと思っていたため、首肯して公園に向けて足を進める。

 

 公園という場所に久しく来ていなかったと、入ってみて思った。ブランコや滑り台などがあり、謎に開けたスペースもあった。おそらく、危ないからといった理由で撤去された遊具がそこにあったのだろう。


 他には誰もいない公園の中に入り、玲愛はベンチに真っ直ぐ向かい、そのまま座った。そして、隣をポンポンと叩いて無言で俺を見つめてくる。その意図を理解した俺は、玲愛の隣に座る。


 二人が座ってから、またしばらく沈黙が続いた。遠くからカラスの鳴き声が聞こえてくる。空も淡いオレンジ色に染まってきた。


「先輩」


 玲愛の一言が沈黙を破ったが、続く言葉はなかった。しかし、玲愛を見ると、何か言いたそうな様子を見せている。


「ゆっくりでいいよ」


 いつまでも待つからという意味を込めた言葉を投げかけると、玲愛は頷き、深呼吸をしてからゆっくりと口を開く。


「私、好きになるという恋愛感情がないんです」


 その言葉は、俺の中にストンと入ってきた。腑に落ちたのだ。


 この数日間、玲愛と関わってきて、色々不思議に思うことはあった。決定的だったのは、さっきの映画の際の真顔だ。恋愛物に感動するかどうかは人それぞれだ。しかし、あの時浮かべていた顔は、俺のそれと全く同じであった。


「あ、でも先輩とは少し違うんです。他人の好きは分かるんです。でも、私自身の好きが分からないんです」


 確かにそこは俺とは違う。実際、そうでないと他人が玲愛のことを好きになったかどうか、玲愛自身は分からないはずなので、あの目標は告白されないと達成されない。しかし、告白されなくても彼女はわかると言っていた。


 彼女の言葉を受け、俺は考えを述べる。


「だから、全男子生徒を惚れさせようとしたのか? 好きになるという気持ちを受けて、好きという感情がわかるように」


 玲愛は考えるように少し間を空けて首を横に振る。


「たしかに、そのような思惑は少しあったと思います。でも、それの本当の目的は違うんです」


 じゃあ、何? とは聞かない。急かさない。玲愛が自分から教えてくれるまで、いくら時間をかけてでもゆっくりと待つ。


「私の家、母子家庭なんです。私が小学生の時、父が家を出て行って、それから……。私の母は父が大好きでした。家の中でも外でも、娘がどれだけ恥ずかしいと言ってもイチャイチャしていました。でも、私の憧れの夫婦像だったんです。……なのに、父は他に女を作って、家を出ていきました。それから母はずっと父の姿を探しています。今も。まだ諦めきれていないみたいです。そんな母の姿を見て、そんなに好きだと思える人がいて羨ましいなと思いながら、好きになることが怖くなっていました。私もいつか大好きな人ができて、結ばれて、幸せだと思える日々が続いて……そして、突然、地獄に落とされるんじゃないかって。そんな考えをしている内に、私の中から好きという恋愛感情が消えていることに気がつきました」


 そこまで話して、玲愛はふぅと一息つき、そしてまた話を再開させる。


「でも、やっぱり憧れなんです。私もいつか素敵な旦那さんを見つけて、幸せな家庭を築きたいんです。……だから私は、いつかできた恋人に、絶対に裏切られないような魅力を手に入れようと決意しました」


 だから、彼女はあんなことをしていたのか。


 合点のいった俺は「そうか」とだけ呟く。


 玲愛は俯いていた顔を上げ、笑顔を作って俺に向ける。そして、少し泣きそうな声で言う。


「今日、先輩とデートして楽しかったです。恋人同士ってこんな感じなんだなって思っちゃいました。きっかけは私の馬鹿げた目標のためでしたが、段々、先輩の存在が私の中で大きくなっていくのも感じていました。……でも、あの映画の主人公の気持ちが私には分かりませんでした」


 玲愛の瞳からこぼれ、そのまま頬を伝う。 


「なので、先輩。ここまでにします。私はもう、諦めました。恋愛ができないのでは、目標を達成しても意味がありませんし。今までご迷惑をおかけしました……っ!?」


 公園。夕暮れ時。ベンチに座って泣いている少女。

 それが過去の思い出と被り、俺の心はここ数年で一番揺れ動いた。


 気づいたら、泣いている玲愛を抱き寄せていた。


「せ、先輩……? 何してるんですか? セクハラになりますよ、なんて」

「諦めるな」

「っ!」


 腕の中で玲愛の体がビクッと反応したのが伝わってきた。かなり体に力が入っている。


「で、でも私……」

「俺も今日のデート、楽しかった。最初は玲愛の目標のためのものだと思っていたけど、気がついたらそんなこと忘れて、ただただ玲愛と遊んでいるのが楽しかった。玲愛は色んなものに飛びついていたな。そのおかげで今日は色んな発見があった。普段の俺なら素通りするようなものも、玲愛が気づくから、行き慣れたあのモールもとても新鮮な感じがした。……とにかく、すごく楽しかったよ」

「…………」

 

 玲愛は言葉を発さない。しかし、さっきより体に込められていた力が弱まっている。


「あの映画については……俺もよく分からない。でも、それでいいんじゃないかって思うんだ。だってさ、あの主人公、最初は王子様の方が好きだーって感じだったくせに、ぽっと出の転校生のことが好きになり始めてさ。あぁ、王子様のことを諦めたんだなと思ったら、やっぱり王子様と付き合う! ってなんだそれ! って思わないか?」


 俺は、少し時間差のある映画の感想を述べていた。


 それを聞いて、玲愛が「……ふふっ」と少しだけ笑った。


「王子様も王子様だ。過去に主人公を傷つけた負い目があるのはわかったが、結局、焦って主人公に詰め寄ってさ。転校生に関しては、王子様を認めて諦めるんだぜ? さっきまでのグイグイきてた感じはどこ行ったんだよ!」


 腕の中からクスクスという小さな笑い声が聞こえる。玲愛の体からは力が大分抜けてきていた。


「それでも、館内の人たちは共感し感動していた。たしかに俺たちはあの場では異端だったのかもしれないが、感性が違っただけかもしれない。いや、きっとそうだ。……だから、あの映画を観て、思い詰めることは何もないんだ。そして——」

「あっ」


 玲愛の頭に手を置き、ゆっくりと動かして撫でてやる。


「玲愛、お前は十分魅力的だ。恋愛感情がない俺が言うくらいだ、自信持てないか?」


 しばらくの沈黙の後、玲愛はぷふっと吹き出して一笑いし、目を赤くした顔を上げていう。


「たしかに、言えてますねっ。……てことは、先輩は私に落とされたってことになりませんか?」

「言われてみればそうだな。……おめでとう、玲愛」

「先輩に祝われるの、なんか変な感じですね。……でも、ありがとうございます」


 そう言って笑う玲愛は、その笑みを隠すように俺の胸に顔を埋め、俺の背中に回してきた腕に力を入れる。


 そしてそのままの体勢で話をする。


「私も映画の感想言ってもいいですか?」

「あぁ、いいぞ。ちなみに俺は駄作だと思う」

「ふふっ、言いますね。……先輩は、あの転校生の最後の行動は理解できない感じですか? 王子様に主人公を譲ったあの行動」

「んー、まあそうだな。よく分からんが、あそこまで主人公に対して積極的にアピールしていたんなら、そのまま突っ切って欲しかったな。何が何でも手に入れる気概というか。それこそ、諦めないで欲しかった」


 俺の胸の中からくぐもった声で「そっか」と呟いた玲愛は、バッと顔を上げ、いつものからかうような、しかしいつもより輝いて見えるそんな笑顔で言う。


「私、夢を諦めません。これからは何があっても、この夢だけは譲りません。……なので、覚悟してくださいね、先輩」

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