その場を見ていた第三者が客観的に説明してくれていれば、色々違ったでしょうね。
それでも遺族側のやり場のない感情は存在するでしょうけど。
その場を見ていないからこそ、自分が得た少ない情報から怒りが湧くのでしょうけど、少々やり過ぎな気はしますね。
まあ、小学生が坂を勢いよく降るという暴挙に出てなければ良かっただけの話なんですけどね。
現実でも同じように中学生がおばあちゃんを殺してしまったとかありますし。
作者からの返信
どうもありがとうございます
遺族の気持ちのやり場は
「客観的情報」でもどうにもならない場合があって
この形だと「怒り」の持って行き場がないため
マイナスの感情が高ぶりやすいです。
程度はともあれこれが実際にあると周知が広がっているいるからAEDを代表とする善意の人助けを大人になる(知識を得る)ほどやりたくなくなるのが現実ですもんね、お隣の国なんてもはやそれが当然レベルだとかなんとか……責任や賠償求められるのが救助側だなんて、そりゃそうなりますわ。世知辛すぎる。
作者からの返信
これは「とっさに身体が動いてしまった」というのと
法的な責任って、我々の普段の行動とまた別の文脈があるってことなんです
AEDについては
責任は生じないことが
何度も広報されています
それを知らない方がネットで
繰り返し「責任が」と発信するので
とても困っています