第2章

第9話 人々はいよいよ動き出す。

 冬は過ぎ、春が訪れた。

 トゥクは寝たきりではなくなり、ある程度屋敷を歩いて回れるようになっていた。だが、まだ激しい運動はできないし、風もそよ風ほどしか起こせない。

「やはり参加は難しそうだ」

 トゥクは残念そうに言った。

「本当なら、直々に指揮を取りたいところだったのだが」

「そこはドゥロイ家の方々が何とかしてくれるよ。全体の指揮はお任せしてあるんだ。それに、わたしだって戦場で頑張る」

「お前は無理をするな」

「何言ってるの、父さん。戦力になるわたしが頑張らなくちゃ話にならないよ」

「だが……」

「安心して任せていいよ。これまでだって辛うじて進めて来たんだから、本番も上手くやれるって」

「……確かにお前はしっかりしているし、お前がいれば風起こしも強力なものになるだろうが……だが……」

 トゥクは納得が行かない様子だった。

「じゃあ、わたしは久しぶりにみんなと鍛錬に参加して来ようかな」

「うむ……」

 マイラは寝室を去って、外に出た。

「マイラ様! おはようございます」

 バリスをはじめ、部隊の者たちが挨拶をしてくる。

「おはよう。……今日は久々に暴れたい気分なんだ。付き合ってくれるかな?」

「それはもちろん、喜んで!」

 そういうわけで、マイラは武人たちと共に馬を駆った。

「はいやぁー!!」

 恐ろし気な音を立てて暴風が巻き起こる。周りの馬と武人たちがくるくると舞い上げられては、ふわりと地面に着地する。彼らは完全に、マイラの風起こしに翻弄されていた。着地の際に馬を怪我させないようにするのが精いっぱいだ。

 普段、遊び半分に風起こしを使っているマイラだが、本気を出すと災害級の風を起こせる。稀有な能力の持ち主だ。切り札として敵に悟られないよう、滅多に本気は出さないが、たまにはやっておかないと腕がなまる。

「怯むなーっ! マイラ様の風起こしも完全ではない! 隙を突いて攻撃を仕掛けよーっ!」

 バリスの怒声が耳朶を打つ。

「来させない!」

 風起こしは強ければ防御にもなる。自分の周りを風で取り巻いて、人を寄せ付けないのだ。果敢にも木刀を持って駆けてきた武人たちはあえなく馬ごと吹っ飛ばされる。

 武人たちが再び攻勢に転じる前に、マイラは防御に専念するのをやめ、更なる攻撃を畳みかけようとした。その時だった。

 ビリッと腕に痛みが走った。

「!?」

 マイラは反射的に腕を庇い、体勢を崩した。慌てて体に力を入れ直して馬に縋りつく。風起こしの力が一瞬弱まった。そこに突っ込んできたのは、ルーチェだった。

「行きますっ!!」

 今度はマイラの目に冷たいものが降りかかった。水だ、と認識した時にはすでに遅く、ルーチェの木刀がマイラの頭をぽかりと叩いていた。

「痛っ」

「すっ、すみません」

「お、おおおーっ」

 武人たちがどよめく。

「あのマイラ様から一本取ったぞ」

「よくやったルーチェ!」

「……やられたよ」

 マイラは苦笑した。

「かなり上達したんじゃないの、ルーチェ。乗馬も魔法も」

「ありがとうございます」

 ルーチェは顔を上気させて、ふうふうと息を荒くしていた。

「マイラ様は、防御と攻撃の間に隙が生まれますので……そこを狙っておりました」

「そっか。確かにわたしの風起こしは、初動が遅れる傾向にある。今後とも、課題にしておこう」

 その後も鍛錬は続いた。武人たちは存分に体を動かし、風を起こした。

 ルーチェの魔法は初期に比べると格段に上達していた。集められる水の量も電気の量も随分と増えたらしい。そしてそれらを実に器用に使いこなすのだった。彼女は今や部隊内でも屈指の武人になっていた。短期間でよくぞここまで成長したものだ。

 やがて小麦の収穫の時期になり、農民たちは畑仕事により一層精を出すようになった。反乱を起こす予定日までに仕事を済ませなければならないから、みな一生懸命だった。マイラは、貴族たちとの最終調整にひた走る一方で、以前より頻繁に訓練にも参加した。

「お疲れではありませんか」

 ルーチェは心配そうだったが、マイラは首を振った。

「むしろ鍛錬で思いっきり風を起こすのがいい気晴らしになっているよ。ちゃんと休憩も取るようにしているから、大丈夫」

 そうして収穫の時期も終わり、そろそろ計画の実行も現実味を帯びてきた。

 ハルジャ地方はどこも緊迫した空気に包まれている。

 作戦前夜、マイラは召使いを何人か連れてドゥロイ家にお邪魔していた。ルーチェには休んでもらうため来てもらっていない。

「いよいよですね」

 マイラはドゥロイ家当主のフィオルとその長男のセダトに対して言った。

「はい、マイラ嬢。……農民は動いてくれるでしょうか」

「うちの領では士気が高まっていると思われます。他所でも問題なしとの報告を受けています」

「そうですか。士気があれば、あとは我々が援助しましょう。かつかつではありますが、資金繰りは何とかなりそうですし……」

 オルカ帝国の貴族との交渉を、ドゥロイ家は実にうまくやってくれた。ドゥロイ家はオルカ帝国で地位を得ていたハルジャ系の貴族に対して、次女を嫁がせたのだ。これで外部からの資金が手に入った。話によると軍も派遣してくれるそうだから、もう物凄く心強い。スーリャ帝国最大の敵たるオルカ帝国、そのうちの一貴族からとはいえ軍事力を得られるのはありがたいことこの上ない。婚姻の重要性を甘く見ていたマイラは舌を巻いた。オルカ帝国の貴族との婚姻を決意した令嬢も、立派に戦っているというわけである。

 マイラは最終的な打ち合わせを済ませて、屋敷へ飛んで帰った。早く休んで、明日の朝の動向を見極め、必要とあらば支援の準備をしなければならない。

 何とかここまで漕ぎつけた、とマイラは思った。父が不在で苦労はたくさんあったけれど、ルーチェやドゥロイ家や周りの人のお陰で、何とかここまでやってこられた。いよいよ明日だ。明日、戦いが始まる。自由のための戦いが。

 そして、朝がやってきた。

 農民の男たちや風起こしの得意な女たちは、一斉に家を出て州都へ向かった。

 武器を手に、勇猛果敢な農民たちが、ぞろぞろと行進を続ける。

「スーリャ人を追い出せ!」

「そうだ!」

 そう掛け声を上げて士気を高揚させる様子も見られた。

 彼らは大挙して町に雪崩れ込むと、派手な色の建物をめがけて行進し、各々武器を握り直して、スーリャ人の館を襲撃した。

 スーリャ人は慌てふためいていた。州都の管理人は軍人だが、そこで働いているのは文官だ。武装蜂起されたら最初は打つ手が無い。

 その様子をマイラは上空から確認していた。

 まずはほっと一息。計画は本当に、スーリャ側には漏れていなかったらしい。これだけ地方全体を巻き込んで長期間に渡り大規模に動いていれば、勘付かれていてもおかしくないとはらはらしていたのだが、どうやらその心配はなさそうだ。敵の意表を突く、という作戦の第一段階は無事に達成された。

 州都の館は完全に武装した農民たちに占領された。外からではよく分からないが、建物の窓から書類の束が舞い散っているのを見ると、風起こしも存分に使っての戦いが繰り広げられているらしい。やがて建物のてっぺんに、神鳥リルの金色を模した黄色一色の旗が掲げられた。その様子を見届けると、マイラは他の地域を見学しに飛んで行った。どこも似たような状況だった。苦戦している州では、そこの貴族の雇っている武人たちが力添えをしているようで、何とかうまくいっている。

 ハルジャ地方全体で一斉に起きた農民反乱。盤石だったスーリャ帝国の支配に、亀裂が走った。

 だがこれはまだ序章に過ぎない。

 スーリャ人の館を全て占拠したのは、まだまだ作戦の入り口。

 ここから、本当の戦いが幕を開けるのだ。

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