第8話 計画を頑張って進めていく。
マイラはルーチェたち召使いを何人か連れて、音楽会に出席していた。会場は、メルン家当主トゥクの風炎病の話題で持ちきりだった。マイラのもとには次々と人々が会いに来て、お見舞いの言葉を言ってきた。それから、今後メルン家がどうなるのかを心配するのだった。
「マイラさんもお早く結婚されて、お世継ぎをお産みになられては?」
同い年くらいの令嬢が当然のように言ってきた。
「いえ……」
マイラはひきつった笑みを浮かべる。
「わたしにはやるべきことがまだまだございますし。世継ぎのことは、もっと落ち着いてから考えようかと思っているのです」
「まあ……。それもそうですねえ」
結婚などにかかずらわっていたら、反乱の計画を主導するなどできるわけがない。マイラにとっては結婚などまずありえない選択だというのに。これだから、この子とは気が合わない。だが愛想笑いくらいはしておかないと角が立つ。交渉にも不利になる。
続いて、ドゥロイ家の次期当主セダトが寄ってきた。黒くてすらりとした作りの上着が似合っている。彼は壮年と言うにはまだ少し若いが、自信に満ちた態度で、他の貴族に見劣りしない。
「ごきげんよう、メルン・マイラ嬢。この度はお見舞い申し上げます」
セダトは言った。マイラは丁寧に挨拶を返した。
「ところでマイラ嬢、手紙の返事は読んで頂けたでしょうか」
「はい。ご協力誠にありがとうございます」
「貴女も大変ですね。こんな時にお父上がお倒れになられるとは。それで、計画の方は……」
セダトは声をひそめた。マイラも小声で、しかし決然と返答する。
「お構いなく、進めてくださって結構です。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、わたしも当主代理として、出来る限りのことはする所存です」
「相変わらず貴女はしっかり者でいらっしゃる」
セダトは上品に笑った。
「計画の進行は任せてください。こちらも父ともども積極的に進めて参りますので。お互い頑張りましょう。……貴女の風起こしの力も、頼みにしておりますよ」
「はい」
その時、また即興音楽対決を始めるお知らせがあったので、マイラとセダトは会釈してそれぞれの位置についた。
ドゥロイ家とはその後も頻繁に手紙のやりとりや密談を続けた。特にドゥロイ家当主のフィオルは頼もしく、マイラをしっかりと支え、導いてくれた。
また、計画の上で重要な、オルカ帝国へ向かう仕事は、ドゥロイ家にやってもらうことになった。オルカ帝国の貴族から反乱への援助をもらえないかと、マイラたちは企んでいた。ハルジャが勝ってスーリャ帝国の領土が後退すれば、オルカ帝国にとっても利益になるからだ。オルカ帝国にはハルジャ王国出身の大貴族の子孫が住んでいるから、彼らのことも当てにしていた。だがあまりオルカ帝国に頼りすぎてもいけない。混乱に乗じて今度はオルカ帝国がハルジャの支配権を要求してくるかもしれないし、何より情報を広めることで計画が敵に露見する危険もある。難しい交渉になるので、まだうら若いマイラよりも、ドゥロイ家が担う方が良いとの結論に至った。
マイラはというと、変わらずハルジャの貴族たちとの接触を続けた。中には反乱に消極的な家もあるから、彼らを繋ぎ止めるのは骨が折れたし、彼らがスーリャ帝国に密告でもしないかとちょっと心配だった。
またマイラは、メルン家の領内の農民の長と話をする場を設けた。夏の小麦の収穫が終わった頃、マイラは農民と接触した。折角だから農民の暮らしを直に見たいと、マイラの方から長を訪ねる旨を伝える。後日改めて、土産を持ち、ルーチェを付き人として、長の家を訪れた。領主の娘の来訪に長はあたふたしていた。農民の長は持ち回り制だから、今年の長には運の悪いことであるかもしれなかった。
家にお邪魔して最初に思ったのは、獣臭い、ということだった。メルン家の厩舎よりもきつめの匂いがする。家畜を飼う場所が家に近いせいだ。それに、泥を固めて造られた壁は、随分と年季が入っている様子だった。それから室内がとにかく狭い。多分、寝室と居間の二部屋しか存在しない。マイラとルーチェに勧められた椅子にはクッションも何もなく、木でできた机の表面は凸凹していて手触りが悪い。
「思ったよりも暮らしには困っているようだね」
マイラが言うと、ルーチェは「えっ」と言った。
「これでですか?」
「……クナーシュ界ではもっとひどかったのかな?」
「あ、ええと、はい……」
「……まあその話はおいておこう。今の暮らしはどうなのか、率直に述べてくれないかな」
すると長は、哀れっぽく語り出した。
納税のための穀物や野菜や家畜の量が少しでも足りないと、スーリャ人にしょっぴかれてしまう。そうしたら鞭打ちの刑に処されるから、みんな怯えながら暮らしている。でも、きっちり納税すると農民自身の口に入るものがなくなってしまう。自分たちはもちろん、子どもらさえしばらくはパンと水だけで生活していて、卵の一つでもつけば儲けものというくらいだ。
「なるほど」
マイラは痛ましい思いで聞いていた。自分が毎日肉を食べているのが申し訳なくなってきた。
「わたしからも、父さんにきみたちの税を減らせないか聞いてみるよ」
多分無理だろうけれど、と心の中で付け足す。貴族の生活水準が落ちればたちまち社交界で浮いてしまう。そうなれば貴族をまとめる役割など果たせない。
だが長は目を潤ませて感謝した。何度も頭を下げて礼を言う。
「でも」
マイラは本題に入った。
「スーリャ人からの税の取り立ては、如何ともし難い」
マイラは、今の農民たちの生活がスーリャ人の仕業であることを力説した。
「スーリャ人たちは、ハルジャの豊かな土壌を目当てに、この地を占領した。だからこそ、重い税を課してハルジャから根こそぎ持って行こうとしているんだ。それではハルジャの民が生活できない。きみたちが真っ当な生活を取り戻すには、ハルジャの豊かさを狙う悪い支配者を、自分たちの手でやっつけるしかないんだ。……では、どうやるか? 簡単だ。きみたちはまず、近くの町のスーリャ人の館を占領するだけでいい。スーリャ人が混乱に陥った所へ、わたしたち貴族が追い打ちをかける。……歴史上、農民反乱に貴族が参加した例は少ない。きっとスーリャ人たちも意表を突かれるだろう」
マイラは身を乗り出した。
「簡単なことだよ。少しの勇気を出せば、子どもらに食べさせてやれる。……協力してくれるね?」
長は気圧されたように頷いた。
「そりゃもう、もとからスーリャ人の奴らにはむかむかしていたもんで。やれるもんならやっちまいたいところです」
「やれるとも。物資の……食糧とかの手配はわたしたちに任せてくれ。必ず成功させてみせる。一年後、よろしく頼むよ」
そうこうして走り回っているうちに、冬が過ぎ、春が来た。
ルーチェの馬術はかなり上達していて、もう片手を離して馬を走らせることができるようになっていた。まだその状態から魔法を使うのは練度が足りないようで、バリスの叱責は止まないが、それもあと少しで何とか成長してくれるだろう。
マイラは、以前ルーチェから忠告を受けた通り、休息を取ることも欠かさずやるように気を付けていた。ある時、部隊の訓練が休みの日に、マイラはルーチェを風に乗せて、遠くの湖を見に行った。
その湖は、草原の中にぽっかりとできた不思議な場所で、細い小川が流れ込んでは出て行っている。ハルジャの北の山脈からの雪解け水があるので、今の湖は特に澄んだ色をしていて綺麗だった。マイラは湖の上から草原へと移動して、芽吹いたばかりの緑の草原に降り立った。
「ハルジャ人は今では農業が主だけど、もともと狩猟民族だったんだ」
マイラは語った。
「この草原で狩りをしていたんだよ。だから乗馬は今でも貴族たちの間で大切にされている」
「そうだったんですね」
ルーチェは息を吐いた。
「疲れた?」
「いえ。ただ、マイラ様が連れて行ってくださるところは、どれも綺麗なところで……感動いたします」
「そう。良かった。わたしも好きなものを友達と共有できて嬉しい」
マイラは笑った。
「わたしはこのハルジャの地が好きだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます