第7話 マイラとルーチェは友達である。
「他人を、頼りなさい」
病床にて、父は言った。
「まずは、ドゥロイ家を、頼りなさい」
力の抜けた声でゆっくりとマイラに言い聞かせる。
「お前も、親しくしてもらっているだろう。彼らは、信用できる。わたしがやる予定だった、仕事も、彼らに任せると、いい」
「……はい」
マイラは唇を引き結んで、神妙に話を聞いている。
「仕事の、内容は、把握しているだろう。割り振りは、お前に任せる。やれるな?」
「やれます」
「よろしい……」
トゥクはそう言うと、じきに寝息を立て始めた。
父は本当に疲弊しているのだ、とマイラは考えた。だが悲しんでいる余裕は無い。父の分まで、この屋敷での仕事もこなさなければ。
マイラは少しの間、目を閉じた。それから毅然とした表情で、やるべきことに取り掛かり始めた。
まずは、父の状況および頼み事を伝える手紙を、ドゥロイ家へ向けてしたためる。正式な手紙だから、馬車で運ばせるのがいいだろう。もしもの時のために、頼みごとの部分はぼかして書いて、後々直接会った時に仔細を相談するのが望ましい。
マイラは机に向かった。ペンを手に取り、さらさらと文面を書きつけていく。礼儀正しい挨拶文を前後に入れ、中身は丁寧に簡潔に分かりやすく。
「……よし」
インクを乾かしてから封筒に入れる。召使いに、馬車を出すように頼んで、手紙を託した。
一仕事終わった。休む間もなく、次は部隊の鍛錬だ。時間が無いので、今回は参加せずに様子を見るだけに留める。
丘では今日も元気にバリスの怒声が轟いている。ルーチェは先日よりかなり姿勢が良くなっていた。表情もこころなしか引き締まっている。また、風起こしの演習場では、模擬戦が行われていた。強い風が四方八方に巻き起こり、草も木の葉もその身を震わせている。
「……よし」
次だ。
勉強をおろそかにしていはいけない。家庭教師からも釘を刺されている。忙しいからと言って、己を磨くことを怠ってはならないと。シロンに容赦なく横笛の指導を受け、また神鳥リルについての論議を交わす。全ての授業が終わった後、マイラはいつも以上にくたくたになっていた。昼餉に向かう足が重い。
父への心配が消えないし、いつもより責任感を感じるし、仕事はこの後も沢山あるし、……悩み事が頭の中で泥水のように淀んで溜まっていく。結局マイラは食事を半分ほど残してしまった。その後、一旦父の容体を確認しに行ってから、今後の計画を立てるために一人自室に戻る。
作業机の前の椅子に座って、机に両肘をついた。
「まだ協力の許可を得られていない貴族との交渉と……オルカ帝国に逃げ込んだ旧大貴族からの資金援助の要請と……農民のまとめ役との作戦会議と……それから……」
ぶつぶつと声に出して懸案事項を並べ立てていく。そこにノックの音がした。
「……何?」
考え事のせいで、いささかそっけない返事になってしまった。
「マイラ様、お茶をお持ちしました」
答えたのはルーチェの声だった。
「お茶……? ああ、どうぞ……」
「失礼します」
ルーチェが器用に片手でお盆を持って部屋に入ってくる。甘い香りのするお茶を、ソファの隣の机に二人分置いた。
「その……こちらへ来て、少し休まれては如何ですか?」
「あ……、うん」
マイラはよろよろと立ち上がって、青い花柄のソファのもとまで移動した。向かいにはルーチェが座った。
「ルーチェ、鍛錬は?」
「休み時間です」
「そっか。休まなくていいの」
「いえ……召使いの長から、お茶をお持ちするよう、頼まれまして……」
「ふうん」
マイラはお茶を一口飲んだ。いつもより砂糖が多めに入っているようだ。
気遣わせてしまったか、とマイラはぼんやり思った。周囲に疲れた様子を見せすぎた。召使いたちがルーチェを寄越したのは、最近特にマイラとルーチェの仲が良いことを見越してだろう。ルーチェとは出会ってからまだほんの少しの時間しか経過していないが、マイラは特にルーチェを気にかけていたし、ルーチェもマイラに懐いているようだから、気心が知れた者同士で休み時間を過ごすようにと計らってくれたのかもしれない。
「気を遣わせて悪かったね」
マイラは言った。
「わたしは大丈夫だよ」
「いえ、大丈夫じゃないと思います……」
ルーチェがか細い声で反論してきた。
「そう? こう見えて仕事はちゃんとできてるんだ。心配はいらないよ」
「根を詰めすぎていらっしゃると、みな申しております」
ルーチェは言った。
「お父上のご病気で心労を重ねていらっしゃるところに、メルン家当主代理としての重責も背負われて……。お茶の時くらいは、お気を楽になさってください」
「……」
確かに、息抜きをしようという発想が、ここ数日はすっぽり抜けていた。
「マイラ様はいつも気丈で、しっかりしていらっしゃいます。ですから、その、無理をなさってしまうのだと思います」
「……なるほど」
マイラは呟いた。
「いつもより冷静じゃなかったみたいだ。これからは気を付けよう。仕事には休息も大事だからね」
「いえ、そうではなく」
ルーチェはもどかしそうだった。マイラは、彼女が何を言いたいのか分からず、首を傾げた。
「あ、あのっ、マイラ様は、わたしとは、その、と、友達でいてくださると仰せでしたよね」
「ああ、うん」
「でしたら、友達を、頼ってくださいませ。わたしどもに向けて、気を張ったりなさらなくても良いのです。弱音を吐いてくださっても良いのです……」
ルーチェはつらそうだった。
「わたしは、恩義のあるお友達が、一人で何でも抱え込んでしまわれているのが……苦しいです」
「……」
マイラはじっとルーチェを見た。
「……その発想はなかった」
マイラは言った。
「召使いには常に堂々たる態度を取ることが重要だと思っていたけれど……逆にそのことが友達を悲しませることになるとは」
「他の召使いも心を痛めております。その……わたしで構わなければ、どうか、あの……等身大に、気安く、接してくださいませんか」
マイラは、川の流れの如き長い長い息を吐いた。
「……分かったよ、ルーチェ。気安く接する友達なんて今までいなかったから、どうすればいいか分かんないけど、やってみるよ。実はね、ルーチェ」
「はい」
「ルーチェの言う通り、わたしはこの短期間で心労がかさんでいる」
マイラはなるべく素直に、思っていることをルーチェに伝えた。それは、少し恥ずかしいし、勇気のいることでもあった。自分の弱みをさらけだすのは、よほど相手を信頼していないとできないことだ。だが、マイラはルーチェを友達だと思っていて、ルーチェもマイラを友達だと思ってくれている。ならば、気負う必要がどこにあろうか。
他人を、頼りなさい。
父の言葉が蘇る。
気づけばマイラは、ルーチェの休憩時間を超えて話を続けてしまっていた。だが誰も止めはしなかった。ルーチェは相変わらず口下手だったけれど、一生懸命マイラの話を聞いて、マイラをなぐさめてくれた。その心遣いがマイラには嬉しかった。嬉しいと思うことができるようになっていた。
「ありがとう、ルーチェ」
マイラは心から言った。何だか、ルーチェが友達として、より近しい存在に感じられた。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます、マイラ様」
「……さて」
マイラは冷めきったお茶を飲み干した。
「これで午後も頑張れそうだよ」
「頑張りすぎないでくださいませ」
「了解」
マイラは優しく笑いかけた。
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